お客さまの声
「あの~ぉ」
「あーおばあちゃん! こんにちは!」
14時55分、うろな本線上りホームを単独で巡回した成夢は、事務室へ戻ろうと階段の手前を歩いていたところ、薄紫のモンペを召した猫背の老婆にか細い声で呼び止められた。
「こんにちは。あのねぇ? 快速ウィンディーの桃源郷行きは、桃源郷駅に停まりますか?」
この老婆、いつもこの時間帯になるとうろな駅に現れ、付近を通り掛かった係員に尋ねごとをする社員間での有名人だ。きっと話し相手が欲しいのだろう。
「はい! 停まりますよ! もうすぐ来ますけど、危ないのでベンチに座って待っててくださいね!」
耳が遠いであろう老婆に、普段より大きいトーンで話す成夢は、さりげなく優先席の乗車口正面にあるベンチに手を差し伸べ、腰を下ろすよう促した。案内する時は決して指を差してはならない。
「そうですか。いつもありがとうございます」
「いえいえ! お気をつけて!」
互いに笑顔で手を振りながら、成夢は事務室へ向かい、老婆はベンチに腰を下ろした。背中合わせで歩く二人だが、何度か会っていることもあり、心は通い合っていた。
◇◇◇
15時00分。成夢は応接室の黒い革製ソファーに向かい合って腰を下ろし、分厚い硝子のテーブルに散りばめた目安箱の用紙を分野別に仕分けていた。エレナは何枚かの小袋入りのクッキーと、二人分のロイヤルミルクティーを淹れ、仕分けが終わった頃に応接室へ入った。
うろな駅のきっぷや定期券を発売する窓口の出入口脇には『お客さまの声』という目安箱が設置されている。目安箱の中は窓口の営業を終了する22時に回収し、翌日社員が目を通す。
「えーと、『スマホいじりながら歩くヤツがノロくてウザイ。あと俺にぶつかったヤツ線路に落ちた』」
「こっちは『ヘッドフォンつけてる人が線路に落ちて電車に轢かれるの見た。ついでに遺体も見た。トラウマなんだけどどうしてくれんの?』。そうだよね。あれはトラウマになると思う」
「あ~、これこの前の見渡川の人身事故ですね~。ホームの端を歩いてたら背後から来た電車にビビってバランス崩して転落したってヤツ」
見渡川駅は海浜公園駅の二つ隣にある、うろな町外の駅。直線区間のため快速ウィンディーや特急『かたりべ』という列車が高速で通過する駅でもあり、人身事故が多発している。
「ヘッドフォンとかスマホは放送とかポスターで散々注意喚起してるのに、轢かれる人は後を絶たないね」
「でもなんだかわかるような。俺も大学一年くらいまでは電車の中で音楽聴いてました。さすがに歩きながらは危ないんでやりませんでしたけど」
「電車の中で音楽聴く人って、かなりの率で音漏れしてるよね。注意すると『俺は聴かせてやってるんだ』とか言って逆ギレされたり」
「携帯機器だけでかなり問題ありますね。さて、次は『階段を逆行する客のせいで電車に乗り遅れた』と」
「これもうろな駅では散々注意してるのに、どうしてそのくらいのことも守れないんだろう? 階段にはちゃんと上りと下りの仕切りだってあるし」
「結局ジコチューなんですよ。あのアニメの悪者じゃないですけど。多くの人に他を思いやる気持ちが欠けてるから迷惑を被る機会が増えてストレスが溜まる。この手の対策には強制力が必要だと思うんです。うろな支社管内でのジコチューに関する苦情は1ヶ月で300件越えてるし。もちろん少数派の意見についてもちゃんと検討しなきゃですけどね」
「マナーについては根気よくやらなきゃね。なんか哀しくなっちゃう」
これらの案件は現場や支社、本社に周知され、改善に向けた議論が毎日行われている。
「がんばりましょう。さて、次は鬱な個人に対するご意見でこざいます。まず一枚目、『六会たんハァハァ(´д`;)』。ツインテ妹系メガネっ娘は強いですね。似たようなご意見が20件ほど寄せられております」
ふざけ半分に畏まる成夢にエレナは少々の違和感を覚えたが、ユーモアとして受け止めた。
「ふぅん。じゃあ隅に除けてあるのは?」
「あ、これは読まなくていいです…」
成夢が言い切る前にエレナは数枚あるうちの一枚を手に取った。
「『行谷さんって彼氏いないでしょ』。はいいません。で、次は、『六会たん目当てで近距離きっぷも窓口で買うのに行谷に当たった時のショックはどう癒してくれるの?』。へぇ、窓口は五人体制なのに、なんで私だけ嫌がられてるのかなー。次は~『行谷たんひんぬー乙!』。貧乳じゃないしギリギリCあるし! なんなのドイツもコイツも!」
「でも中には嬉しい意見もありますよ。ほら」
成夢はエレナに用紙を一枚手渡した。
「『行谷たん僕を蹂躙して罵って!! 行谷たんはボクのオカz…』。この先は読み上げたくない」
「でも全く不人気じゃないみたいで良かったじゃないですか」
「良くないし。私ってそんなにダメかなぁ」
「いや、ダメというよりイジリたくなっちゃうんですよねー。そんだけお客さまにも親しまれてるってことじゃないですか?」
「だといいんだけど、複雑だなぁ」
「ダイジョブっすよ! エレナさんが淹れるロイヤルミルクティーはまろやかで優しい味がするから!」
成夢は俯くエレナを放っておけず、ロイヤルミルクティーを一口啜ってから激励した。
「ふふっ、なによそれー。おだてると評価上がるよ?」
「マジっすか!?」
「ごめんウソ。私におだては通用しませーん♪」
「そうっすよねー。えーと、じゃあハラハラドキドキな最後の一枚」
テーブルの中心に最後の一枚を置いて同時に黙読した二人からは、自然と笑みがこぼれた。
『うろな駅の皆さまには、いつも親切にしていただいております。どうかこれからも、地域の皆さまに寄り添っていてください。かしこ』
達筆でいてやわらかい文字を見て、二人は誰からの手紙かなんとなく察した。
「いつものおばあちゃんだね」
「はい。もっといい駅にしましょう!」
駅の仕事は一寸先に何が起きるか予測不能な上、体力と精神力を要する非常にハードな仕事。それでも頑張れてしまうのは、職場の和気藹々とした雰囲気が心地よいのと、お客さまからの『ありがとう』の一言が、明日をつなぐ元気をくれるからなのかもしれない。
ご覧いただき本当にありがとうございます!
某アニメのワンシーンの元ネタが同級生が出演したCMのもので、ちょっと嬉しくなった老いぼれがお送りしておりますw