最後のバトン
新型『かたりべ』の乗務を終えた鯨と咲月が次に乗務する列車は、旧型『かたりべ』の、さよなら運転。
海浜公園電車区で出区前点検を終えた鯨と咲月は、線路に挟まれた指定通路上で落ち合った。見上げる車両は左に深緑の新型車両、右にこれから運転する肌色と赤の国鉄色車両。
全車指定席の臨時特急『ありがとう485系かたりべ号』。チケットは即完売。その乗務担当には鯨と咲月のほかに美守が選ばれた。3人はこの乗務をもって、うろな支社での勤務を終える。また、それに充当される旧型車両もこの列車をもって営業運転を終了し、福島県郡山市で廃車解体される。
美守は動力車操縦士の資格を有し、普段は運転士としてうろな町界隈の列車に乗務しているが、今回に限り車掌も兼務する。客室で乗車券、特急券の検札を行うほか、もし鯨か咲月が体調を崩した場合の予備要員として中間車の乗務員室で待機、一部区間で列車を運転する。
「いよいよかぁ、なんだか名残惜しいね」
「うん、でも、咲月さんといっしょに乗務できて、こんなに幸せなことはないよ」
「私もいるんだけどなぁ」
「うん、なんだか卒業式みたいだね」
「私はかくかくしかじかで入学が遅かった年長者だね」
「片瀬先輩留年しちゃったか~」
「いや、大学行ったから会社入るの遅かっただけだけど」
「わかってますって先輩!」
「会社じゃ美守ちゃんがいちばん先輩だね」
「高卒のぺーぺーと昇進コースの大卒じゃ、学生時代のポジションに戻る日も近そうですけどね!」
「僕も咲月さんにギャーギャー言われるのかぁ」
「そうかもね。専門卒じゃ給料はちょっと違うけど実質高卒と変わらないもんね」
「まぁまぁ、細かいことは気にしない! そろそろ時間だよ!」
海からの潮風と、山からの清らかな風が混じり合う、さわやかな昼下がり。鯨はうろな高原方の運転台に、美守と咲月は桃源郷方の運転台に入った。
「ヘーイ! 出発進行! 制限35!」
シューッ、ブオオオオオオン! ウウウウウウン!
空気を吐き出し唸りを上げながら、しかしゆっくりと、列車は走り出し、1分ほどで電車区を出て本線の脇(側線)に停車。進行方向を変えて、こんどは鯨が操縦する。既に沿線にはカメラを構えた人々が押し寄せ、最後の雄姿を写真に収めている。
鯨は列車をじわじわ加速させ、時速15キロほどでこの列車目当ての客でごった返す海浜公園駅に入線させた。
夕方、うろな駅。まもなく湯海駅まで行った列車がうろな駅まで戻ってくる。
「はーい皆さん大変長らくお待たせいたしましたー! 6番線に『ありがとう485系かたりべ号』到着でーす! ホームバリケードから身を乗り出さないでくださーい!」
と、洋忠がうろな駅5・6番線ホーム前方で陽気にアナウンスを入れていた。うろな駅も海浜公園駅同様、ホームを埋め尽くすほどの人でごった返している。平日のラッシュアワーはスーツ姿の人で混雑するが、私服姿の人でホームがいっぱいになるのは極めて稀。
「いやー、すごいっすね」
「ほんとね、うろな町の卒業式って感じね」
「そうっすね。きょうを最後に町を去る人もたくさんいるし、なんだが寂しいっすね」
「えぇ、そうね」
列車の中間、5号車停止位置にある監視台の上では、成夢とエレナが駅の様子や列車の往来を見守りながら立ち話。うろな町に残る二人は、少しもの悲しそうだ。
「お下がりくださーい!」
列車が入ってきた。エレナは沈んだ気持ちを吹き飛ばすように、大声で注意喚起をした。
列車が停車すると、最後部の乗務員室から美守がホームに降りて来た。湯海駅で進行方向が変わった際、鯨と咲月、美守は乗務する運転台の位置も交代した。こんどは鯨が桃源郷方に乗って運転している。
「よういっちゃん! えきちょー! 元気にしてるかい?」
ホーム最後部には人生送りバントの助役、一郎と、ほんわかむっつりスケベの駅長、梅太夫が立っている。美守が入社後、初めて配属された職場はこのうろな駅。一郎と梅太夫とは10年近い付き合いになる。
「おうなんだ、左遷されるんだってな!」
「左遷じゃないよ栄転だよ! 都会でも通用するドライブテクニックだよ!」
「美守ちゃんがいなくなると寂しいねぇ」
「えきちょー! 私もさびしいよお!」
美守はぼふっと、ぽっちゃりボディーに抱き着いた。美守は梅太夫の制服に頬ずりしながら、バレないように浮かんだ涙を拭っている。梅太夫も一郎も、車内から見守る咲月も、それに気付いてはいるが口に出すのは野暮というもの。気付いていないフリをした。
発車時刻が近付き、成夢が発車メロディーを鳴らし始めた。さよならの合図だ。
「じゃあね、また来るからね!」
「いつでも来てね」
「俺たちがいる限り、ここはお前の家だ!」
「うう、うあああん! ああああああん! 行きたくないよお、ずっとここで働きたいよお」
「ほらほら、行った行った! 仕事してこい!」
「……うん」
涙を拭って、目を縛る。自らの手で、列車の扉を閉める。
「おおおおおお!!」
「ありがとおおおおおお!!」
ホームから歓声が上がる。中には泣きじゃくる美守をカメラに収めている人もいる。
ここが美守にとって特別な場所だと知っている鯨は、できるだけゆっくりと、歩くような速さでホームから列車を出した。興奮冷めやらぬうろな駅にはまもなく、定期列車の新型かたりべ号が入ってきた。次の時代へと、最後のバトンが渡された。




