そんな自分に、なれたらいいな
「ただいまー」
平静を装い玄関でスニーカーを脱ぐ。
「おかえりー、早かったのね」
いちばん奥のキッチンから夕飯の準備をするお母さんの声がした。
私は手前の洗面所で手洗い、うがいを済ませ、暗い階段を上がり2階の自室へ。
階段を上がっているとき、私は帰りに乗った電車を思い出した。
鯨にとって私は、2階建てグリーン車未満の存在なんだな……。
階段を上り切って自室の扉を開けると、暗い部屋のカーペットにバッグを置いて、そのままぼふっとベッドに飛び込んだ。
掛布団に頬を押し付け、目を閉じる。
私にも問題、あったよね。
もっと鯨の趣味に興味を寄せれば良かった。
そうすれば鯨との親密度が上がるだけじゃなくて、自分の知見も広がった。
でも鯨にも、私の好きな街とかファッションとかスイーツとかに、興味を持ってほしかった。
視野が狭いのは、お互いさまか。
頭がもやもやして、熱くて、胸がざわざわぎゅうぎゅうと、締め付けるように苦しい。
あぁ、苦しい、苦しいよ……。
これはちゃんと人と、しかも大切な人と向き合わなかった報いだ。
掛布団をぎゅっと抱き締めて、歯を食いしばる。
自ずと涙が、ぽろぽろこぼれる。
それはやがて嗚咽となって、呼吸が荒くなる。
別れませんかの言葉は想像以上に胸にグサリと突き刺さり、その矢はいまも執拗に、私の内側を刺し続けている。
好きな人に別れを告げられる、突き放される。
そのつらさを知った。
でも私は、振られるよりずっと前に、鯨を突き放していた。
彼に歩み寄らず、十分に理解しようとしなかった。
それが鯨にとって、どんなに寂しいことか。
普通に考えれば恋人は、自分にとっていちばん大切な人。理解し合いたい人。
誰よりも歩み寄って欲しい人に、歩み寄ってもらえない。それどころか私は、鯨を批判してしまった。
ダメだな、私……。
でもこの失恋は、良い学びになった。
次の恋は同じ過ちを繰り返さないように。
恋じゃなくても、誰かが私に相談を持ち掛けてきたら、その人とちゃんと向き合って、一緒に前へ進めるように。
そんな自分に、なれたらいいな。
ううん、なろう。
きょうから、いまから……。
いや、それはちょっとつらい。
きょうは思いっきり、泣いていたい。
きっと明日も、泣きたくなる。
明後日も、一週間後も、きっと胸の傷は残っている。
でもそれも、いつかなりたい自分になるためのプロセス。
そう、人生は長距離走に似ている。私の好きな、長距離走に。
私は陸上競技の長距離ランナー。
大学でも変わらず、陸上競技を続けている。
もしかしたら私が長距離ランナーになったのには、こういう意味があるのかな。
色んな必然が重なって、人生のコースはできている。
そんなことに気付いた、二十歳のクリスマス。




