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僕が目覚めると、ベッドに潜り込んだ時、無意識に擦り寄ってきた愛ちゃんの姿はなく、「お疲れ様、ゆっくり休んで」と帰りを待っていてくれた知世もいない。腕時計を見ると午前十時に近い。泥のように眠っていたのだろう。身体全体が油切れを起こしているようで、上半身を起こすだけで筋肉が悲鳴を上げる。ベッドから足を降ろそうとしてしかめた顔に冷気が当たった。
「yiizįįh atta,」
「パパー、起きたぁ?」
エントランスドアにぶら下がるようにしてふたり、愛ちゃんのネイティブの女の子は、楽しそうに僕の起き抜けを観察していた。
「あ……、ああ。寝坊しちゃったみたいだね」
「起きたら来てねって、ママが」
「どこへ?」
「知らなーい、――えっ?」
ネイティブの女の子がなにか言い、愛ちゃんは聞き返す顔になった。
「きかいのいえだって」
丸太小屋のことか――。愛ちゃんは凄い。たった一日でネイティブの人々の言葉を解してしまったようだ。末はブレンダンを凌ぐ言語学者に? いやいや、ピアニストも捨てがたい。僕が思い悩んでいると愛ちゃんは「言ったからねー」と走り去って行ってしまった。
人使いの荒い連中だな――。それでも僕は丸太小屋にコーヒーメーカーが置いてあったのを思い出し、全身筋肉痛の身体に鞭打って着替えを始めた。
「重役出勤か、いいご身分だな」
丸太小屋に入ると、いきなりダニエルの嫌味が飛んでくる。僕はそれを無視してコーヒーメーカーを指差した。
「いただけるかな」
なかにいたのはダニエルとデレク、アイダンとアビゲイルの四名だった。
「知世は?」
「君の朝食を仕入れに行ったよ」
こんな辺鄙な地にコンビニなどあろうはずがない。「どこまで?」
「心配するな。ブレンダンの運転でスーパーマ―ケットのある街まで行っただけだ。一~ニ時間で戻ってくるさ」
デレクが面倒くさそうに言った。
「そうなんだ。それで――」僕はアビゲイルから手渡されたコーヒーを一口すすった。僕の好みを知らないのだから仕方ないが、煮詰まったようなコーヒーはやたら苦かった。「雷雲は起きそうなのかい?」
「気象モデルを検討した限りでは、天候が崩れるのは来週になるわね」とアビゲイル。モニタには四色の複雑な折れ線グラフが表示されている。
「昨日も言ったように、雷雲がなければ僕にはなにもできない。滞在期間も明日までだと申告してある。どうするつもりだい?」
「税関なら心配はいらない。空港職員にも我々のメンバーはいるからな」
機内で僕たちを取り囲むように席を取れたのも、そんなからくりがあったのだとすれば頷ける。
――あれは物取りの仕業ではなく――印南捜査官の言葉が蘇った。あっ、もしかすると……。
「僕のスーツケースを裂いたのは君たちの仲間か」
「ふふ、バカンス気分の君に眼を覚ましてもらおうと思ってね。あんな安物、任務に成功すれば幾らでも買ってやるさ」
「助かるよ。ROHの道具に格下げなる僕たちは、この先もあちこち連れ回されることになりそうだからね」
「プランBを知っているのなら話は早い。我々の戦力となってくれるのなら悪いようにはしない」
デイヴィッドから連絡が入っていたのか、ダニエルは僕の嫌味に動じる様子もない。
「鞄を買ってくれる話で僕を呼んだ訳じゃないだろう」
「それなんだが――」
ずっと黙っていたアイダンが口を開いた。




