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路面の継ぎ目を拾う規則正しいハーシュネスが、いつしか僕をまどろませていた。眼を開けた時、車はハイウェイではなく丘陵地帯を走っていた。道路標識には『1』の文字が描かれている。腕時計を見ると三時間近く走った計算になる。そろそろ着いてもいいはずだ。右隣の愛ちゃんはぐっすり眠っており、左隣では珍しく知世が眼を閉じていた。そして――
「イェナマロー、サネハムカイー」
彼らの歌はまだ続いていた。シーフードレストランの例もある。僕はダメモトで訊いてみる。
「そろそろ着きますか?」
自信なさげなか細い声は歌声にかき消される。僕は少し声を張ってもう一度訊ねた
「ハープはまだですか?」
「ンナバサカハネホノモノフィセンダグロモタミテ」
答えてくれた女性の返事は、だいたいこんな感じだった。僕は日本人旅行者の笑みを浮かべた。
「悪魔の屋根……、ハープのことね。そこは軍事企業の私有地になっていて、アンテナのある場所までは近づけない。先に仲間たちが待つ彼らの村へ向かう。彼女はそう言ったの」
身体を起こした知世が前席の女性の手を握っている。語学堪能な彼女でも彼らの言語を百パーセント理解するには至ってないらしい。イメージの遣り取りで意思疎通を図っているように見えた。
「あ、ごめん。起しちゃったね」
「ううん、充分休めたわ」
先住民の女性が早口でなにか言った。
「ハープが出来てから、動物は森を去り――」知世の同時通訳は続く。「狩りができなくなった……。このままでは住み慣れた土地を捨てねばならない」
車内の歌は止んでいた。
僕が敬愛するマイクル・クライトンさんの著書にこうあった。ネイティブアメリカンの人々は自然の優れた観察者で、森が拡がり過ぎると猟場を求めて一部を残し焼き払った。自然破壊を懸念する声もあろうが、実はそれが森の活性化にも繋がるそうだ。これはオーストラリアのパークレンジャーの方もヒストリーチャンネルの中で語っておられたから真実だろう。そして、どの種に於いても絶滅させるような乱獲はせず――食べ飽きるせいかもしれないが――生態系の調整にも一役買っているのだと言う。自然の恩恵に与る立場であることをよく理解しているということだ。そんな彼らを、くだらない兵器開発なんかのために再び追い立てようとするのか。
列車事故に遭ってからの僕は、頑固ジジイのように怒りっぽくなった気がする。気のせいであって欲しいと願う僕がいると同時に、それでいいんだ、という僕が存在していた。
幹線道路を外れ、標識さえない未舗装路を三十分ほど走ると、施設の正門らしきものが見えてきた。ネイティブの女性が知世になにか告げ、小さく頷いてから知世が言った。
「ハープはここから半マイルの地点にあるそうよ」
マーティー・マクフライがツイン・パインズ・ショッピングセンター前でデロリアンを走らせ、タイムスリップした速度が時速88マイルだったから、約800メートル向こうということだな。身を乗り出したくらいではアンテナの先っぽも見えない。道路に面したフェンスには赤く大きな文字で『WARNING』とあり、その下にはアメリカ空軍どうのこうのと書かれている。はいるな、と言うことなんだろう。
車はUターンして数百メートル戻り、喋っていると舌を噛みそうな道を下って行く。雪解けで水嵩の増えた清流に沿って十分ほど進むと森の開けた場所に出る。
丸太小屋、草葺き屋根の家、円錐形のテント――ティピーと呼ぶらしい――と、種々雑多な住居が並ぶ川畔の村は、昭和時代の小学校校庭を彷彿とさせる。その一画には、明らかに新しく建てられたとわかるロッジ風の丸太小屋と二台のトレーラーハウスが並ぶ。揃いのスキーウェアに身を包んだ数名の若い男女が小屋を出てくるのが見えた。




