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「乗らないのかい?」
僕はタクシーの横を通り過ぎる知世に呼び掛けた。
「旅の醍醐味は、地元の人々と同じ交通手段を使い、同じ目線で風景を見ることにあるのよ。ガイドブックにはない発見が見つかるかもしれない。 タクシーでは地域住民と触れ合うこともないじゃない。愛、バスは好きよね?」
「うん! バスだいすきー」
そんな訳で僕たちはいま、市バスの発着所目指して七番街を歩いている。
高層ビルが林立していない街並みは見通しが良く、樹木の緑が溢れていて、せせこましさがない。快晴の気候と相まって空が近く感じられていた。歩道は広く取られ、交通量が少ないため、道路脇の雪を跳ね上げられる心配もない。行き交うひとびとのうち幾人かが愛ちゃんに手を振ってくれた。
ピープルムーバー(市バス)の料金体系や所要時間については観光ガイドに譲ろう。車内でも愛ちゃんの可憐さは乗客の眼を惹いた。
さして可愛いとも思えない息子や娘の写真を持ち歩き、あまつさえ、それを他人に見せて回るなど理解できない、と考えていた僕だがいまは違う。しかも愛ちゃんは、余所の子の百倍可愛い。
「買い物はお昼までに済ませましょう。この時期だから期待薄だけど、オーロラ観測ツアーを予約しておいたの。送迎バスが来るわ」
「えっ、そんなサプライズを用意してくれてたんだ。そう言えば――」僕は夢うつつのうちに聞いた声を思い出した。「夜中に誰か部屋を訪ねてきたね」
「ごめんなさい、起こしちゃった?」
「いや、夢かと思っていたよ。そうと決まれば」僕は愛ちゃんを抱き上げて言った。「急がないとね」
より北極圏に近いフェアバンクスがオーロラ観測のメッカだ。氷点下二桁を覚悟せねばならない。愛ちゃんに万全の準備をしてあげたかったし、知世の都会的すぎるファッションにも手直しが必要だ。僕たちは、最初に眼についた通販でお馴染みのR・E・Iに飛び込んだ。
そして一時間半後、店を出た僕たちは、どこから見てもオーロラ観測ツアーに出掛ける一家に変身していた。僕と知世はお揃いのオイルドセーターに丈の短いダウンベスト、裏地付きのジーンズにスノーブーツといった出立ちで、愛ちゃんはサックスブルーのカバーオールスタイルだ。フードを被り、開閉式の胸ポケットをごそごそしている様は、まんまドラえもんのようだった。
チューモ瞑想状態の僕に防寒の備えが必要なのかって? 冴えない風貌に頼りない立ち振る舞い、この上、着た切り雀では眼鏡を外したのび太くんと間違えられかねない。
「次はランチだね」
近くにはギリシャ料理にメキシコ料理、韓国料理にベトナム料理と選ぶのに困るほどのレストランがひしめきあっている。
「ええ、でも……」知世は通りの向こう側に眼をすがめる。「迎えが来てるわ」
知世の視線の先には白いフルサイズバンが停められており、にこやかに手を振る男性が見えた。
「ハンバーガーを買う時間くらい……、あるよね?」
「ええ」
ものは考えようだ。本家Tバーガーとの食べ比べなど、そうそうできるものではない。




