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「その件につきましては、どこからも被害届が出ておりません。なにせ逮捕された中国人たちも口を揃えて『なにも覚えてない』と言うばかりでして――」

「そうでしたか……」

 知世のお陰だった。

「シアトルではどこに行かれていたのでしょう。誰かと会見のお約束でも?」

 上手く切り抜けられそうかな? と思うと、また質問の矛先が変わる。

「観光ですよ。元はと言えば、こんな小さな娘を置いて独身気分を味わおうとしたのが間違いだった。罪滅ぼしを兼ねてこの子に初めての海外を満喫させてあげたかったんです」

 知世から流れ込んでくる嘘に調子を合わせるように、僕は眠っている愛ちゃんの頭を撫でた。

「この寒い時期に、なぜ、アラスカだったのでしょう」

いつまでも操り人形ではいられない。よおし、僕だって!

「娘は海洋生物が大好きなんです。クジラにラッコに、コ、コ、コアラ! は、いないか……」

 危うく動物しりとりになるところだった。調子に乗るとすぐこうだ。

僕の下手な嘘はともかく、知世が創作した部分は上出来の部類だと思う。僕が戸崎調査官だったらうっかり信じ込み、ついでに埠頭での出来事に深い同情を示したことだろう。しかし相手はプロの調査官、なにか掴んだからこそアラスカくんだりまで追っかけてきたのだ。もしかすると日本国内での接触を避けたかったのだろうか? だとすればなぜ? 印南調査官が言った「公務での調査ではない」についても考える必要がある。公務でないならなにを好きこのんで僻遠のこんなところまで……。定期入れの存在を警察に知らせなかった理由は? 疑問は次から次へと湧き起こる。

 戸崎調査官がやれやれといった顔で両手を広げてみせる。深く椅子にもたれていた印南調査官が背中を起こした。

「いきなりあらわれて信用しろといっても無理は話だとは思うがね、我々は君の敵じゃない。きっと力になれると思う。正直に話す気になったらここへ連絡してくれないか」

 そう言って電話番号の書かれた紙片を僕の前に置いた。

「はあ……」答える僕の隣で愛ちゃんが目を覚ます。うーん、と一声唸ると手の甲で瞼をゴシゴシこすって周囲を見回した。

「ここはどこ?」

「アラスカだよ。愛はアンカレッジ国際空港にいるんだ」

「あーっ! こわいおじさんたちだ」

 愛ちゃんの無邪気な指摘は、厳しい印南捜査官の顔をも綻ばせた。だが、その笑みも長くは彼の顔にとどまらなかった。

「君のスーツケースだが」

「あ……、はい」

「空港に保管を頼んでおいた。わたしの名を言えば渡してもらえるはずだ」

 袖も通してない高機能インナーが戻ってくるのは有難い。

「置き引きならともかく、飛行機からバゲッジクレイムの間であんな目に遭うとは思ってもみませんでしたよ」

「神内君――」

「なんでしょう?」

 今度こそ席を立ってやるぞ、と決心する僕に、印南捜査官の言葉は二の足を踏ませる。

「あれは物盗りの仕業ではなく、ある種の警告のように思うのだが」

「え……」

「君は、自分が思っている以上に多方面に人気があることを自覚し、あまり目立たないようにすべきだな」

 目立つつもりなどないし、この冴えない風貌でどう目立てと? 僕の人生で人目を惹くようなことと言えば、極めつけの美人が戸籍上の妻であることだけ。それもこの一ヶ月という短い期間でしかない。それを永遠にしたい、理想のパートナーなど見つからいほうがいい――僕の思考は手を繋いだままの知世に委細洩らさず伝わっていた……はずだ。


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