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「かけてくれたまえ」
勤務先のミーティングルームみたいな部屋にはいった僕たちはパイプ椅子を勧められる。スチールデスクを挟んで調査官と向き合う形だ。ふたりとも揃いのハンチングを被ったままだった。
「あのう、弁護士とかは呼んでもらえるのでしょうか?」
日本語のわかる正義感溢れた青年が望ましい。ふたりの調査官は一瞬、顔を見合わせ、そしてくっくっくと笑った。
「どうも誤解があるようです。先ほど印南が申しました通り、我々は警察官ではなく、従って逮捕権もありません。それと神内さんはなにかの被疑者ということではないんです」
若いほうの調査官、戸崎さんは、それは丁寧な話し方で僕に事情を説明してきた。印南調査官も先ほどまでの鋭い視線を収め、柔和な表情をしていた。但し、眉間に皺はそのままに。
「だったら僕たちは急いでいるので」僕は椅子を引いて立ち上がる。「お話は日本に戻ってから伺います」
「待ちたまえ」印南調査官が言った。「そうなると証拠物件を司法警察に渡すことになる。君はそれでいいのかね?」
――なんだよ、安心させておいて……。僕は渋々、腰を下ろした。
「あの倉庫の出来事についてお伺いします。あの晩、あそこでなにがあったのでしょう」再び戸崎調査官。
「それは……」
〝彼〟が衛星に侵入して津野さん父娘が拉致された場所を突き止め、知世が生体認証スキャナを操作して潜り込み、佐藤君が銃で撃たれ、僕と知世も危うくそうなりかけたところでサブちゃんが目覚めて悪人を気絶させ、知世が彼らの記憶を奪って、ついでに愛ちゃんを僕たちの娘にした――と正直に語ったところでおいそれとは、いや、絶対に信じてはもらえまい。さて、どうする?
逡巡する僕を急かすように戸崎調査官が言う。
「あの倉庫は我々も予てから内偵を重ねていました。そこへあの事件が起き、あなたの定期入れが落ちていた。これについてご説明をいただきたいのですが」
「はあ……」
定期入れが落ちていたからといって僕があそこにいた証拠にはならない。ここはすっとぼけるに限る。「いやあ、僕にもさっぱり」と言う前に、知世が泣き出しそうな顔で僕に身体を寄せてきた。
「すべてお話ししましょう」
その意図を汲んだ僕は、彼女の手を取って慰めるふりをする。瞬時に情報が伝わり「実は――」それがそのまま口をついて出る。「夜の埠頭に車を停めて海を眺め、僕と妻はロマンチックな気分に浸っていました。そこへ突然中国人らしき一団があらわれ、僕たちを車から引きずり下ろしてあの倉庫に連れ込んだんです。抵抗しようにも多勢に無勢、これはきっとなにかの間違いで、話せばわかってもらえると思ったのですが日本語は通じませんでした。僕たちが木箱に押し込められかけていた時、別の一団が倉庫に乱入してきて銃撃戦が始まったので、正面のシャッターを開けて脱出しました。偶然、通りかかった車に助けを求め、一目散に埠頭を後にしました。ですからその後のことはわかりません。ニュースを見て津野誠さんの遺体が発見されたのを知った時には、腰を抜かすほど驚きました」
立て板に水とはこのことだ。傀儡と化した僕でさえ感心してしまうほど澱みなく作り話が流れ出てくる。
「新婚さんでしたね? まだまだ恋人気分でいられる訳だ。羨ましい限りです」
いやぁ、と鼻の下を伸ばす僕の意表を突いて戸崎調査官の質問が突き刺さる。
「しかし変ですね。定期入れはなぜプレハブの屋根にあったのでしょう
「定期入れは最初に奪われていたので、どんな経緯でそんな場所で発見されたのか、僕の与り知るところではありません。僕は不法侵入で訴えられるんでしょうか? でも、あれは無理矢理――」
プレハブの上にあったのか……。僕の口は引き続き嘘のスロットマシーンとなっていたが、その表情が愕然としていたら怪しいことしきりだ。




