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セキュリティスクリーニングに向かう僕たちの行く手に立ちはだかったのは、例の二人組だった。
先回りされていたのか――。
知世の手を取って走り出そうとする僕の右に空港警備の警官が回り込む。彼らのデカい身体が壁のように感じられた。
万事休すか――。知世と愛ちゃんを庇うようにして立つ僕に年嵩のほうが言った。
「神内俊哉君だね? 逃げないでくれ、君たちに危害を加えるつもりはない。話を訊きたいだけだ」
「誰なんです、あなた方は?」
努めて冷静に言ったつもりだが、最後の『は』が裏返ってしまった。
「近畿公安調査局上席調査官の印南だ、こいつは戸崎」
険しい表情に刻まれた眉根の深い皺は表情を変えても消えることはない。彼は若いほう――見たところ三十を少し超えたぐらい――の男を顎で指し示した。こちらは優しそうな顔をしているが油断はできない。
「警察手帳を見せて下さい」
「我々は警察官ではないんだよ」そう言って背広の内ポケットから黒い手帳を出して見せる。確かに金色の文字で『公安調査官』と書かれ、それらしい図案も印刷されている。
「そしてこれは公務ではない。だが、こうして地元の警察が協力してくれている。信用してはもらえないかね」
言われてみれば……。いやいやいや、目に見えるもの耳にするものが決して真実ではないということを僕は嫌というほど体験してきた。その警官だって本物かどうか――。そう簡単に信じたりはしないぞ。
警戒を強める僕の背後で知世が言った。
「法務省の方ですね?」
「ええ、そうです。神内君、これに見覚えは?」
印南調査官が持ち出してきたのは透明の密封袋に入れられた革製のパスケースのような……、って僕の定期入れじゃないか! どこでなくしたのか本人でさえ覚えていないものを彼は一体どこで――。ははあ、スったな。悪名高き(僕が読んだミステリー小説ではそうなってる)公安警察ならやりそうなことだ。
この時の僕には公安調査局と公安警察の違いもわかっていなかった。更に警戒を深める僕の顎が落ちるような言葉を印南調査官が発した。
「M埠頭の倉庫にあった。津野誠さんが死体で発見された場所だ。なにか心当たりは?」
ええーっ! あの時だ……。
さて、どうとぼけたものか。「それは僕のではありません」は? 定期券にはしっかりとフルネームが記載されているから無理だ。「盗まれたんです」は? そのうち出てくるだろうと高をくくっていたので盗難届けも出してない。この数分間で二度目の『万事休す』に、僕は狼狽えまくっていた。雲の上でのあまーいキスや、いまは昔……。
四人のハリウッドスターもどきが僕と調査官の遣り取りを胡乱げに眺めていたが、警官に移動するように言われ、渋々、その場を離れていった。
「こちらへ」
若いほうの調査官が手招きをする。
交通違反以外で警察のお世話になったことのない僕は、項垂れて彼の後に従った。眠ったままの愛ちゃんを抱いた知世の後ろには印南調査官がつき、僕たちは到着したのと反対側のターミナルに向かうコンコーズを進んでいく。空港警備の警官が二名一緒だった。
衆目の集まるなか、僕は自分の迂闊さを呪った。
家族にはなんの罪もないんだ、そんな目で見ないでやってくれ。
『Authorized Personnel Only(関係者以外立ち入り禁止)』と書かれた部屋の前まで来ると、戸崎調査官は警官に握手をして礼を告げる。壁を思わせた無機質感そのまま、ふたりの警官は無言で来た道を引き返していった。




