68
「ハープの破壊は教授の発案だなんて……、騙したのね! 〝彼〟はこれを知っているの? いいえ、知っていたらこんなこと絶対に許さないはずよ」
なにをそんなに怒っているのだろう? 僕の表層意識は霞がかかったようにボンヤリとしていた。
「ママ、こわい……」
レオもどきに渡された海洋生物図鑑を読んでいた愛ちゃんが、知世の異変を察知して僕に擦り寄ってきた。
「我々に与えられた任務は」デイヴィッドが薄笑いを消して言った。「人類を滅亡から救うことだ。進化の可能性を秘めて遺伝子保有者の保護は、方法であって目的ではない」
「詭弁だわ。このプロジェクトが始動して、まだたった一年じゃない。それで六十人近くが見つかっている。悪い数字じゃないと思うのはわたしだけ? そうじゃないはずよ。あなたに同調したのは誰と誰なの?」
「それを知ってどうする? 〝彼〟に報告する気か? 君は仲間を裏切るのか」
知世の瞳に戸惑いが揺れる。
「今回の指示が〝彼〟発でなかった時点で怪しむべきだったわ」
「いいかい?」トーンダウンした知世に乗じるようにデイヴィッドが猫なで声を出した。「プランB移行に賛同する者、しない者は、いまのところヒフティヒフティだ。だが、これが然るべき成果を示せば賛同者だって増えるし、〝彼〟だって認めざるを得なくなる」
「あなたはなにをしようとしているの?」
デイヴッドは、よくぞ聞いてくれた、とでも言いたげににんまりとした。
「この星の未来を託すに相応しい人類の創造だよ。二世代、三世代先の進化を待つなんてまどろっこしいことはやってられない。準備のため、既にメンバーを中東に送り込んである」
「なんですって!」
いきり立つ知世を宥めるように、デイヴィッドは両掌を下にして上下させた。
「興奮しないで聞いてくれ。現在、我々の保護下にある進化の可能性を秘めた遺伝子保有者は五十七名、そのうちの半数以上が、この俊哉のように常人にはない能力を持っていることがわかった」
「それで?」
昼休みにでもなったのか部屋の外が騒がしくなった。デイヴィッドは知世に向けて掌を立て、ドアに顎をしゃくった。
――興味を惹かれた僕は彼らの脳波を調べてみた。全員が共感覚、つまり古い脳の持ち主だったんだ。俊哉が獲得したマクスウェルの悪魔の視座にしても、おそらくはブラインド・サイトの突然変異かなにかだろう。そんな連中を掛け合わせたところでどうなる? 進化どころか現代人のように不健全な欲望に取り憑かれるだけじゃないのか。現生人類の進化はデッドエンドを迎えているんだよ。
――〝彼〟も推論エンジンも、そうは考えてないわ。
――小賢しいだけの学者風情になにがわかるって言うんだ。
既に知世とデイヴィッドは肉声で会話をしていなかった。にも関わらず僕にその内容を知ることができたのは、知世が僕の手を握り続けていたせいだ。
――すまない。言葉が過ぎたようだ。だが、何十年も経ってから〝やはり失敗だった〟では手遅れだということは君にもわかるはずだ。
発言への後悔は、デイヴィッドにおもねるような態度を取らせる。
――悪いけど、あなたには賛同できない。なによりそれは自然の摂理に反することだわ。
――自然の摂理だって? 君の口からそんな言葉が出るとは思わなかったな。
逸らしかけた視線を戻し、知世はデイヴィッドをきっと睨んだ。




