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「誰?」

「あなたも知ってるひとよ」

 生まれて初めてアメリカ合衆国本土に上陸する僕に知り合いなどいようはずがない。ならば――。

「ヘミングウェイさんかい?」

「プロフェッサー・ハンズワースよ」

 そうだった、ヘミングウェイは僕が勝手につけた呼び名だった。

「でも、あの時の様子じゃあ……」

「大丈夫、もう治ってるわ。死んだと思っていた息子が生きていたんですもの」

「僕のことだよ、わかってるだろうけど」

 デイヴィッドは体全体で振り返って言った。あぶなっ! 運転中なんだから前を見ていて欲しい。

わかってはいるが、それは詐欺だ。だが、ハンズワース教授がそれで正気を取り戻したのだとすれば、あながち悪質な嘘だとも言い切れない。心理的アプローチとしてのプラシーボ効果はその治療効果が立証されている。

 車は、僕が日本でも縁のなかった大学のキャンバスにはいっていった。

「こっちだ」

 デイヴィッドの後についてW大学の構内を歩く僕たちを、学生達が物珍しげな顔で見ている。彼らの疑問が「ハリウッドスター並みのナイスガイとオリエンタルビューティーの組み合わせはわかるが、後ろの冴えないイエローとキュートな幼女はなんなんだ?」でないことを僕は切に願っていた。

『PROF. J.handsworth』とプレートのついたドアにはクリップボードが提げられており、当然だが英語でなにか書かれている。

「これは?」

 訪ねる僕に知世が教えてくれた。

「彼のスケジュール表よ。質問に来る学生たちがここに予約をいれておくの」

 そんなシステムなんだ――。工業高校の職員室しか知らない僕には見るもの聞くものすべてが新鮮だった。『In Love』と書かれているが、これはきっと『In Lab.』を洒落たのではないだろうか。あのご老体が『恋に落ちる』とは考えにくい。違う筆跡で、その斜め上に『I’m not in』と書き添えられている。どうやら10ccのファンがこの大学には、いるらしい。

「留守のようだね」僕が言うとデイヴィッドは「人払いをしてあるんだ」とノックもせずにドアを開く。デスクに向かっていた背中がゆっくり振り返った。その人物を挟み込むように立っている若い男女も釣られたように顔を向けてくる――タイタニック出演当時のレオとケイトそっくりのふたりが。

 もう美男美女は見飽きていた。

「Oh! David, Hi,Miss.Tomoyo」

 ホームスパンのスリーピースを着込んだ老紳士が席を立って僕たちを迎える。学生風のふたりもぴたりと寄り添っていた。

 伸び放題だった髪と髭を整えたハンズワース教授は血色も良く、眼鏡が黒縁でスーツが白ならカーネル・サンダースに見えなくもない。なによりショールを巻いてない大学教授は好感が持てる。彼は僕に顔を振って言った。

「And You must be……」

「Yes,He is Mr.Lightning 」

デイヴィッドの大きな掌に背中を押され、僕はつんのめるように前に出た。


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