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 飛行機はここからシアトルに飛び、翌日の午後、アンカレッジ行きに乗り継ぐ予定だと聞かされる。いつまで経ってもフライトアテンダントがおもちゃを持ってきてくれないので、僕は知世に頼んで訊いてもらうことにした。

「そういうサービスは数年前に廃止されたんですって」

「えっ、そうなの?」

 二十年以上前の話で恐縮だが、僕が乗ったコリアンエアーでさえ(失礼)、飛行機のおもちゃをくれたものだった。幸いなことに飛行機が飛び立ってすぐに愛ちゃんは眠ってしまったので事なきを得たが、いつもの「つまんなーい! パパ、なんかやって」が始まれば、どうやってご機嫌をとるか考えねばならない。酒を呑んで不貞寝してしまえるおとなではないのだ。子どもひとり分の旅客料金はちゃんと払っているのだから、代替策でも検討すべきではないか? 意見を残しておくものでもあればそう書いてやろうと、座席の背に着けられた網袋を探すが緊急時の非難マニュアルや通販カタログばかりで、そういった物は見当たらない。僕はエチケット袋にペンを走らせた。―― I want to say …… 『子供が退屈する』は英語でなんて書けばいいのだろう。チャイルド……ボア? 思いつかないので止めた。

 四月中旬のこの時期、オーロラが見られるチャンスは少ない。機内に観測ツアーらしき一団は見当たらず、ハイキングやアウトドアスポーツに適したシーズンでもないため、それっぽい観光客もいない。洗面所に立った時、それとなく見回してみたが、邦人は搭乗客全員の五割といったところか。春休みを利用して観光に出掛ける人々は、きっとロスアンジェルス行きに乗っているのだろう。厳しい顔つきのビジネスマン風体だったり、ワーキングホリデーか語学留学に向かうと思しき若者で座席は占められていた。

 そして地味なスーツの二人組。このふたりは機内だというのに揃いのハンチング帽を被っていた。勿論、彼らが見た目とおりの日本人だったかどうかはわからない。どう見たってハーフにしか見えない女性の名が『山田恵理』と申請者欄に書かれていたり、『ドクさん』だか『グェンさん』なんだろうな、と思っていたひとが「なあ、にいちゃん、重量税はここで買いよるんか?」とか訊いてきたりするものなのだから。

「あのふたりには注意して」

 果たして知世が小声で囁いた。

「どのふたり?」

「さっきから何度も席立っているふたりよ」

 彼らが座る位置からなら、前方の洗面所のほうがどう見ても近い。わざわざ後部の洗面所に足を運び、そのたびに僕たちの横を通っていくのは確かに不自然だ。片方は三十代後半から四十代前半、もう片方は三十代前半といった年格好だ。街で目が合っただけで因縁をつけられ、おまけに謝罪までさせられた経験がある僕に彼らをじっと見ることはできなかったが『怪しい二人組』という点で僕たちの意見は一致を見ていた。

「愛ちゃんに関する記録はすべて書き換えたんじゃなかったのかい?」

「デジタル化されたものはね。口伝えだったり文書で残っているものは〝彼〟にも操作できない。個別に記憶をいじる必要があるの。それに彼らの目的は愛ちゃんじゃないみたい」

「えっ……」

 じゃあ、僕? そういうことはもっと早く教えて欲しい。

「心配しないで、空の上ではなにも仕掛けてきやしないわ」

 だったら飛行機を降りたら危ないってことじゃないか、心配しない訳にはいかない。

「どこかの組織なんだろうか?」

 僕の声が大きかったのか、知世は人差し指を自分の唇に寄せる。そして僕に耳打ちをしてきた。

「わからない、彼等の思考が見えないの。でも慎重を期すに越したことはないわ」

 知世の言葉は本来僕を戦慄さすべきものだったのだが、くすぐったさが先に立ち、僕はクネクネと身悶えする。

「真面目に聞いて」

 だめだ! 彼女の吐息が耳にかかる度、綿毛でくすぐられるような感覚が襲う。知世から身体を引き離すと、通販カタログの端に走り書きをした。

『近くに日本人はいないし、みんな眠ってる。内緒話はくすぐったい』

 緊迫した状況のはずだった。なのに、知世はあははと笑った。


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