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間違いを指摘され、素直に感謝するような人間は、現代ではマイノリティ(少数派)で、この青年のようにいわゆる『逆ギレする』タイプが珍しくないのは嘆かわしいことだ。キレそうになっていた青年だが、相手にしなければ引き下がるだろう。若しくは、騒ぎに気づいた先輩社員が連れにくるさ――僕は知らぬ顔を決め込むことにする。
「たいへんお待たせしました。次の方どうぞ」
「だとよ、どいてくれ」
遠藤モータースのオヤジさんが青年を押し退けようとすると、鬼太郎……もとい、青年は、なにを血迷ったのかオヤジさんを両手で突き飛ばす。僕同様、見た目は細っこい青年だが身長は百八十センチ以上ありそうだ。小柄なオヤジさんはよろけて後退り尻餅をついてしまった。
「乱暴は止めて下さい」
「うるっせえんだよーっ!」
そう叫ぶと、あろうことか青年はカウンターの上に飛び乗ってきた、しかも土足で。かくして彼は僕のなかで『親の顔が見たい』タイプに分類されることになった。
なあに電撃の一発もお見舞いしてやれば――。お仕置の準備を始める僕に周囲の視線が集まった。亜美などは「やられちゃえ」といった顔で僕を見ている。これでは滅多なことはできない。
謝るか? 悪いこともしていないのに? 逃げるか? そうすると僕の仇名が『トン税君』から『遁走君』に変わってしまいそうだ。少々、面倒なことになってしまった。
思案に耽る僕の前でカルトン――銀行などでカウンター越しにお金や通帳を遣り取りする樹脂製のアレだ――が跳ねた。行儀の悪い青年が足でも踏み鳴らしたのかと思ったが、続いてドーンと大きな音がして視界が激しく横にぶれる。
「地震だあーっ!」
来庁者の誰かが大きな声を上げた。僕が親の顔を見たかった青年はバランスを崩し、カウンターから転がり落ちていった。
バサリ、バサリと音がして天井材が落ちてくる。軽量な石膏ボードでも、重力加速度がついた物に直撃されれば無傷では済まない。左後方の棚からは新品のナンバープレートが滑り出る。ビニール袋に入れられているものだから、それはもうトランプのような滑らかさでスルスルと棚から抜け落ちて床を覆い隠していく。不謹慎ながらも僕は、映画タイタニックのワンシーンに回想を重ねていた。もっとも、あっちは白い皿だったが。
深度5? いや、6はありそうだ。でなければ新築間もないこの建物の天井材は剥がれ落ちない。
「みなさん! カウンターの下にはいってくださーいっ」
避難訓練の段取りに倣い、僕は亜美とオバサマたちをカウンターの下に誘導する。業者さん方は既に書類記入用に設置された長いデスクの下に潜り込んでいた。
ゴン、と音がしたほうを見ると、さっきの青年がのびている。慌てて建物から駆け出ようとして開き切ってない自動ドアに激突したらしい。父は正しかった。
カウンターに潜る直前、大きく波打っていた外壁のガラスが弾け飛ぶのを見た。書類保管用のキャビネットが倒れる。先にカウンターの下にいた亜美が僕にしがみついてきて短い悲鳴を上げた。




