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 まんじりともせず朝を迎えた僕は、寝惚け眼で通勤電車に揺られていた。知世はマンションに戻ってこなかった。

 話は逸れるが、あれだけの事故があった路線を一週間足らずで復旧させてしまう鉄道会社の底力は凄い。平常ダイヤに戻るまで不通区間に臨時バスを走らせることでやりくりしていたようだが、やはり一度に運べる乗客の数は圧倒的に少なく渋滞にも巻き込まれる。早起きして一本早いのに乗ればいいだろうって? 朝の五分は就寝前の三十分の価値がある。線路脇に供えられた色とりどりの花束を眺めながら僕は踏切を渡っていく。ホームには鉄道事故調査委員会の公式見解が貼り出されていた。『陥没の起きた地点はかつて運河が通っており、列車の運行による疲労が地盤に蓄積されて今回の事故に繋がったと思われる』というものだった。海岸に近いこの街には、その昔、運河が網の目のように張り巡らされていた。とマンション自治会の長老がおっしゃっていた。ならばそんな場所など幾らでもあるはず。綿密な地質調査も行わずに再運行を許可すること自体おかしい。政府は毒イチゴに丸め込まれてしまったのだろうか。 日常の足を取り戻した利用客からは、一言の文句も聞こえてこなかった。

 駅を降りると勤務先までは徒歩で十五分の距離だ。ぶらぶら歩きながら昨夜の出来事を回想してみる。すべては夢だったのではないのか……。だが、津野誠さん発見のニュースは駅の電光掲示板でも流れており、現実であることを疑う余地はない。うんざりするほど退屈だった僕の毎日は、スタート地点に戻る保証のないジェットコースターに乗り込んだかの如く激変していた。

「あんた、子供までいたの? とんでもない男ね、危うく騙されるところだったわ」

 僕の呼び名はいつの間にか『俊哉』から『あんた』に変わっていた。

「えっ、なんの話?」

 亜美は無言でパーテーションの向こう側、職員休憩所を指差す。子供の黄色い声が上がっていた。始業時刻まではまだ十五分ある。僕は疑問を解消すべく職員休憩所へ足を運んだ。

「あら、おはよう。よく眠れた?」

スーツ姿の知世が幼女に本を読んでやっていた。

「いや、あんまり……」

 この状況が、僕が子持ちであるといったことと、どう繋がるのだろう。どこか見覚えのある女の子は職員の娘だろうか。寝不足で冴えない頭は類推には向かない。知世の眼が「あちらへ」と裏口を指した。

「ひとりで読んでいられる?」

「うん!」

 利発そうな女の子は僕に親しげな笑顔を向けてくる。

「お利口さんだね」

 思わず微笑み返さずにはいられなかった。

 職員通用口を出るとそこは駐車場で、フェンスの向こうは幹線道路が通っている。大きなプレス機械のある鉄工所で話すほどの大声でなければ耳に届かず、さりとてひとに聞かれるのもまずい。僕は知世の口の動きに意識を集中した。

「誘拐、殺害されたのは津野誠さんだけ。愛ちゃんはあなたの子供ということにしておいたの」

 また〝しておいたの〟ですか……って、えっ? 僕の頭に吹き出しがついていれば「ガーン!」と書かれていたはずだ。どこかで見た顔どころではない。さっきの女の子は僕が電車事故から救い、そして昨夜の大冒険の発端となった津野愛ちゃん(三歳)ではないか。


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