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「大丈夫?」

「ひぃ」

 嘔吐による涙で視界がぼやける。心配そうな顔で訊ねてくる知世に力なく笑ってみせる僕は、ちっとも大丈夫ではなかった。

 イケメン君ふたりは出航してたった十五分でグロッキーになった僕を見てニヤニヤ笑っている。船に染み付いたコマセの匂い、船体補修材の刺激臭、いまや潮の香りでさえもが嘔吐感を煽る。「うえーっ!」僕は三分おきに船縁にしがみつき、母なる海にクリアブラウンの胃液を献上していた。

「トレーニングのことは忘れていいから、少し休んで」

 そうしたいのは山々だが、揺れ動く船上に避難場所はない。

知世が僕の髪をかき上げるとスーッと吐き気が収まっていく。

「なにをしてくれたんだい?」

 僕はムクリと起き上がって知世に訊ねた。

「ヒスタミン受容体を遮断したの。少し眠くなるかもしれない」

「ははあ」

 なにをどうしたかはわからずとも、いきなり僕の体調は回復した。知世たちの話によると、津野さん父娘救出作戦のメンバーは船上の四人だけ。正真正銘、ヤバい連中を相手に、僕にも戦力の25パーセントとして期待がかかるということだ。

〔ヘラヘラ笑ってる場合じゃないぞ。試してみたいことがある〕

 僕はこれ以上ないほど真剣な表情のつもりでいた。


 ドーンと大きな音がして海面に水柱が立つ。

「ひゃーっ!」

 水遊びが楽しい季節ではない。首をすくめて冷たい水しぶきから逃げ惑う様は、ひとに見せられたものではない。それでも僕の力を初めて見る佐藤・鈴木の両名は、静まりゆく海面を見つめ、感嘆の声を上げる。

「たいしたものだ」

「電子は質量を持たないはずだ。どうしたらこんなエネルギーが生み出せるんだ……。もしかして気体分子を利用しているのか?」

 ――どんなもんだい。有頂天になりかける僕を知世がたしなめる。

「時間がかかり過ぎよ、それに着水目標も2メートルずれている。もっと正確に」

「はあい」

 素直な生徒である僕は「だったら自分でやってみろよ」などとは言わない。

 僕は電磁気力を意のままに操るコツを掴みかけていた。この世界ではひとも、物も、それこそ空間でさえもが分子で構成されており、その関係はイーブンだ。居丈高に〝こうしろ〟と命じるのではなく、丁寧に依頼することで電磁気力は僕の要請に応えてくれる。

 僕は知世の指定した場所に三度続けて命中させた。ただ、力にバラツキがあるのがお気に召さなかったようで、なかなか「今日はここまで」の声が聞けない。

「雷雲が出てきた。港に戻ろう」

 鈴木君が空を見上げて言った。西の空から真っ黒な積乱雲が立ちのぼってきて成層圏に達した上部が平らになっていく。俗にかなてこ雲と呼ばれるものだ。

〔おあつらえ向きだ〕

 理論と実践には、いつだって大きなギャップがあるものだ。『雷のサイエンス』を読んだだけで、そうそう――

 ――上手くいくものかな?

〔アイデアというものは実行に移して初めて評価の俎上に乗る。なにもしないのなら、それは思いつかなかったことと同じだろう〕

 ――それはそうだけど……。

〔ケーブルを繋げたロケットを雷雲に撃ち込むことで落雷の誘導に成功した例がある。雲底から負の電荷が地上の正電荷に向けて放電されるものが落雷であるなら、上手くストリーマー(イオンによるプラズマ状態の筒)を形成することができれば、狙った所にリターンストロークを立ち上げられるはずだ。ちまちま静電気を集めているのとは訳が違うぞ〕

 ――僕は協力しないからな。

 言うに事欠いて〝ちまちま〟とはなんだ、〝ちまちま〟とは――。ヘソを曲げた僕は、2ちゃんねるに肉体の指揮権を委譲した。

「ラストよ」

 知世からトレーニング終了の合図がかかった。

〔幸い、付近に船影はない。まあ、見ててみろって〕

 多重放電のごろごろという音が聞こえてきた。放電路はまだ遠くにあったようだ。


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