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「ははは、さすがにそれは無理ですよ。僕には真下のように、ひとの意識を操作することはできませんしね。これを使ったんです」
警察署に盗聴器でも仕掛けたのかと訊く僕に、イケメン君は爽やかに笑い、工具箱からスピードガンにヘッドフォンが着いたようなものを取り出した。
「それは?」
「レーザーマイクロフォンです。これはハンディ・タイプで、実際に情報の収集に当たる時には設置型を使います」
〔なるほど、生活安全課のガラスにレーザー光を照射し、その振動情報を読み取ったって訳か〕
――なんだ、それ? 僕は2ちゃんねるに解説を求めた。
第二次世界対戦直後に旧ソ連の物理学者がその原型を開発し、諜報活動に用いたものだと説明される。電波を出さないため発見されにくい上、リアルタイムで室内の会話を傍受できる優れ物だそうだ。
「受光が可能な場所は、知世に確保させたんだな。だが、ガラスを透過するレーザー光もあるはずだ。情報は正確なんだろうな」
これは2ちゃんねるが僕の発声器官を勝手に使って言ったものだ。僕には知世を呼び捨てになんてできやしない。冴えない外見の上、物言いまで偉そうでは知世に嫌われるのではないかと冷や冷やしていた。以前、「正体もわからん女に、なんでもぺらぺら喋るんじゃない」と、こいつに言われたことがある。虫の好かないヤツではあるが、こいつにだって生存本能はあり、それは同時に僕を守ることにもなる。こんなヤツが頭のなかにいることを知世に知られたくなった僕と、珍しく意見の一致をみたため、こいつの存在は知世に明かしてなかった。
「佐藤自身が解析器みたいなものなの。受光ロスが二割程度なら、彼の頭のなかにある振動波モデルが欠損部位を補完してくれるわ」
「神内さんがプロポーズしようとしていたことは間違ってなかったでしょう?」
ルームミラーにイケメン君の含み笑いが映る。
「なんのこと? ……あっ、僕の部屋も盗聴してたのか!」
あのタイミングでの知世登場には、そんなからくりがあったんだ――。
「い、いつから?」
「かれこれ半年になります」
僕が時期を訊いたのには訳がある。僕と亜美は、晩秋のベランダでよく将来のことを語り合っていた。気分が盛り上がればキスだってしたし、安産型だった亜美の下半身に欲情し、ロングスカートのなかに手を差し入れたのも一度や二度ではない。半屋外という特殊な状況が意外な興奮を呼び、僕から自制心を奪い取っていたのだ。レーザー光の照射だけなら許そう。だが――。
「大丈夫、あなたのプライバシーはわたしたちだけしか知らないわ」
うわぁ……。
その『わたしたち』がどれだけいて、僕の間延びした鼻の下に幾人が失笑を洩らしたのかを想像し、僕は顔を真っ赤にしていた。
「あなたへの接触はもっと別のアプローチを考えていたんだけど……」
「神内さんが焦ってプロポーズしようとするからですよ」
僕が悪いって言いたいのか?
そうこうしているうちに車は埠頭に繋がる県道を渡り終えていた。この埠頭は観光地から少し外れたところにある。市街地を見下ろす山の展望台から見る夜景は圧巻だが、昼日中、間近で見る光景はあまりロマンチックとは言えない。倉庫群が軒を連ねるなか、知世が目指すものを見つけたようだ。
「あっちよ」
僕はハイウェイに沿って車を走らせた。
「あそこにいる」
オレンジに塗られた蒲鉾型の屋根を知世が指し示す。こんなに簡単に見つかっちゃっていいのか? まあ、早く片付くならそれに越したことはない。僕はハイウェイをくぐって倉庫の裏側に車を停める。
バースには数隻の船が係留されているが、荷揚げ用のクレーンは格納されたままだ。港湾労働者の方々から投げかけられる視線は、〝場違いなのが紛れ込んできたぞ〟といった感じのもので、いつ、逞しい彼らにどやしつけられやしないかとビクビクしていた。
「これって」倉庫に書かれた文字を読んで僕は言った。「日本の企業だよね」
津野さん父娘の失踪に他国の諜報機関は関わっていない、そう思わせる状況に僕は安堵した。
「この企業はね」知世が言った。「数年前にオーナーが中国人に代わっているの」
「突入するか?」
イケメン君が、その優男ぶりに似合わず、物騒な台詞を口にする。
「暗くなるのを待ちましょう。新聞やテレビの報道を知っていれば、相手だって警戒しているはずよ」
「それまでここで待ってるのかい?」
時刻は十三時を少し回ったところだった。
「いいえ、あなたにはやってもらうことがある」
「なんざましょ?」
〝警察を呼んでこい〟 知世にそう言われるとばかり思っていた僕はふざけて訊き返す。
「トレーニングよ、船を出してもらうことになっているの。第三突堤に向かってちょうだい。仲間が待っているわ」
「船って……」
僕が船酔いするタチなのは個人情報ファイルに載ってなかったのだろうか――。
「海上なら穴の後始末の心配はない。沖合に出れば音も目立たないでしょうしね」