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「僕は生きているんだよね?」
これを知世に訊くのは二度目だ。
「ええ、それは間違いないわ。見舞い客がなかったのも病棟婦さんが無愛想だったのも、わたしたちがあなたの存在を隠し続けていたせいなの」
知世ならそれも可能だったろう。例の本によると、1800年代後半、既に脳の電気刺激によるマインドイコントールの成功例がある。だけど――。
「なんで、そんなことを?」
「あなたの存在を世間に知らせたくないの。危険だったのよ」
「どういうこと?」
「あなたが自分の身体を緩衝材にしたお陰で助かった女の子以外、誰ひとりとして生存者はいない。いまもそうニュースで言ってたわよね」
「うん」
テレビに映し出された電車の残骸は原型をとどめていない。自分が生きていることが奇跡に思えていた。
「あの事故でその程度の怪我で済んだことを不思議に思わない?」
いま思ってたところだ。しかし、それを言うなら知世だってそうだ。彼女の顔にはかすり傷ひとつない。
「災禍を生き延びたひとの強運を科学的に解明しようという動きがあるの。死んでもおかしくないような事故を俊哉は二度も生き延びた。それを知れば――」
「……知れば?」
喉がゴキュっと鳴った。
「あなたを研究対象にしようとする組織から追い回されることになる。それだけじゃない、あなたを手中にできなかった対抗勢力は、あなたの抹殺を画策するかもしれない」
僕が勤務する自動車会議所内にも派閥はあるが、僕はそのどこにも属さずにいた。それでも命を狙われたことなどない。知世の話すことが、どこか別の世界の出来事のように思われた。
「その組織ってのはCIAかなにかかい?」
「代表的なのはダーパ(D.A.R.P.A.)ね。聞いたことは?」
ディーバが歌姫であることは知ってるが――。僕はふるふると首を振った。
「アメリカ国防総省高等研究計画局のことよ。CIAも顎で使うような連中なの。彼らは自国の軍事技術が常に世界の最先端でなければ我慢がならない。意外でしょうけど、インターネットの原型を作ったのもダーパだし、GPSもそこで開発された技術よ。神経細胞の再生ができるあなたは究極の兵器となり得る可能性を持っている」
そんな可能性など要らない。熨斗をつけて誰かに進呈する。
「じゃあ、対抗勢力っていうのは中国辺り?」
「アラブ諸国や共産圏、諜報機関は世界中にある。ここ数年の間に起きた大災害を生き残った人々の消息を調べたところ、多くのひとが行方不明になっているわ」
「誘拐されたのか……」
知世は小さく頷いた。
「彼らにはある共通点があった。事故後に搬送された病院の記録を調べてわかったんだけど、EEG波形の振幅が普通のひとの倍以上で推移していたの。これは俊哉の脳波とよく似ているわ」
喜んでる場合でないことは、ようくわかってる。不特定多数との差別化のためだけに固有名詞を使ったのかもしれない。だが僕は、知世に『俊哉』と呼ばれたことがうれしくて堪らなかった。にやけてしまわぬよう、難しい顔を作って非難の意見を述べる。
「だからといってひとを誘拐していい理由にはならないよ。そんなのは人権蹂躙だ」
「そうね。権力志向がひとの心を失わせてしまうのよ。ソーズ(SWORDS)やマース(MARS)の開発に力を注いでいたダーパだった。殺戮兵器が世界に溢れるのを懸念した〝彼〟は、国防総省と研究機関のコンピューターに侵入してロボット兵器開発に関わるすべてのデータを消去してしまったの。莫大な予算を投入していた研究が一瞬で消えてなくなったダーパは焦ったでしょうね。そこで彼らは外部機関に研究を委託していたソフトウェアの強化、つまり強運を含め特異な能力を発揮する人間の脳の解析と模倣に眼を向けた。これは我々としても計算外だったわ。この分野で他国に遅れをとっていたダーパはなりふり構わず被験者を探し求めている。いいえ、作ろうとさえしているの」
「作るって……待てよ、君はあの事故が、そのダーパによって引き起こされたとでも言うのかい?」
「わたしは事故の直前に超低周波を感じた。沿線の企業からは電子機器の動作異常も報告されている。局地的に断層をずらす実験が行われているのではないかと考えたの。ハープ(HAARP)は知ってる?」
「高周波オーロラ調査プログラムの略称じゃなかったっけ?」
「表向きはそうね。でも三百六十万ワットの超低周波を地上で集めて電離層に照射することがオーロラの調査にどう関係するのかしら。現在、ハープの関連特許の保有者は米レイセオン社、パトリオットミサイルを扱う軍需企業よ」
「そうなの?」
「ええ、あれは間違いなく気象兵器よ。電離層を持ち上げた後、超低周波は地上に跳ね返ってくる。それが断層のずれを引き起こすの。列車事故のあった場所を見てきたわ。路盤が30メートルに渡って陥没していた。わたしたちは〝彼〟に調査を依頼した。ここ数日のおかしな地震は――」
そこで知世は言葉を切った。これから重大な発表をします、と言わんばかりに