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美貌の女医さん、いや……、知世の言ったとおり、おっつけ記憶は戻ってきた。列車事故に遭った僕はガラスの割れたドアに頭から突っ込んだらしく、額に深い裂傷を負ってこの病院に運び込まれていたのだ。記憶をたどって頭痛に襲われることもなくなったが、視界はまだ少し変だった。
自己分析だが、極彩色の塵が見えるのは、ブラインド・サイトみたいなものではないかと考えていた。信じ難い話かもしれないが、ひとは眼だけでものを見ているのではない。これは科学的に検証されているし、そうでなければ共感覚も説明がつかなくなる。
わかりやすい例を挙げよう、眼を閉じて見る夢だ。網膜を通さないとなにも見えないのであれば、夢はあれだけ鮮明な画像にはならない。
これらについて語ると長くなる。〝薀蓄を垂れ流すのは品のない行為だ〟と、或る作家さんが言っていらした。解説はどこかの検索エンジンに委ねよう。
とにかく僕は、塵の見えない視覚情報処理ルートを発見した。対象物に認識をそれに任せておけば、健常者の視野と同じでいられるようになったということだ。本だって読めるし、知世と病棟婦さんを間違える心配もない。
ドアが開いて知世がはいってきた。鎮静剤の作用か、寝たり起きたりを繰り返す僕の時間感覚は覚束ない。だが、病室の窓から陽光が射している時間帯に彼女はいなかったように思う。
「どこへいってたんだい?」
「仕事よ」
知世はハンガーにコートをかける。背を向けたままでの返答が気になった。
外的要因で遺伝子が変化することなどないのだろうが、入院で使い物にならなくなったナビゲーターはお払い箱になるのではないかと不安で仕方ない。
「頭痛はどう?」
「随分、間遠になったよ」
言ってから僕は、しまった、と思った。病状を偽ってでも同情を引いておくべきだった。
「そう、良かったわね」
知世はパープルのバッグに手を差し入れる。「お別れよ。これは今日までの日当」を僕は覚悟した。だが、知世が取り出したのはレポート用紙とペンだった。
「例の塵みたいなもの、書ける?」
「多分……」
僕には絵心というものがない……らしい。自分では明確な差異をもって書いた動物のスケッチを「山羊だろうと猫だろうと、俊哉の書く動物はみんな同じね」と亜美に大笑いされたことがある。
膝の上に置かれたレポート用紙を前に、僕はまず、構図を悩んだ。絵の上手い方はそうでもないだろうが、一生懸命書いたものを笑われるのは、意外に傷つくものだ。この上、知世に絵が下手なことまで知られたら――。
「どうしたの?」
「いや、……書くよ」
ええい、ままよ! 僕はペンを取った。
「こんな感じなんだけど……」
知世は笑わなかった。まあ、僕の視覚でしか捉えられないものでは比較対照の術もないから当たり前か。
「この線は?」
「ああ、それは」僕は答えた。「黒一色では表現に限界があってね、そこに明確な境界がある訳じゃないんだ。でも、そう書かないと僕と周囲の区別がつかないから――」
ピカソを気取るつもりはないが、あの視覚回路で見ると自他は曖昧になる。自分の腕でさえ、キラキラ光る塵で象られていたのだ。
僕なりの力作だったが、ややもすると、批評家の視点は作者の意図をはずれたところに注意が向く。難しい顔で僕のキュビスム作品を見ていた知世は、その一枚を破り取る。〝こいつは似顔絵描きにも使えない〟そんな判断が下されるのだろうか。
「ありがとう。貰っていくわね」
知世はレポート用紙をきれいに折りたたんでバッグに入れた。
「また、来てくれる?」
病室にひとりでいるほど心細いものはない。席を立った知世に永遠の別れを告げられたように思われ、僕は哀願口調になっていた。
「忘れていたわ、名刺を作ったの」
彼女は洒落た名刺入れから一枚抜き出して僕に見せた。
《H県自動車会議所 参与付法制委員長 真下知世》
染み込んでくる安堵に押し出されるように、僕の全身から緊張感が流れ出していった。