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 ひとの死というものは、亡くなった当人の人生の幕を下ろすだけにとどまらず、残された家族や友人、もし、いたとすればその恋人の人生までをも大きく狂わせてしまうものだ。数年前に起きた列車事故がテレビなどで持ち上げられるたび、僕は幾度となくそれを思い知らされる。

 ホームに掲げられたパネルの『無事故記録 今日で○○○日』が四桁になったのを僕は見たことがない。三桁からのカウントダウン――いや、アップか――を電車通学の小学生たちが始める頃、その数字は決まってひと桁に戻り、空欄になった部分はその白さを恥じ入るかのように、プレートで埋められる時を待つ。

 各駅停車は混んでいた。僕はドア付近で吊革につかまり、知世はステンレス製のパイプに手を添えていた。

「うるっせえな! 俺たちゃ虚弱体質なんだよ、見てわかんねえかなあ」

 優先座席のほうで粗野な声が上がる。声の主はそこを占領していたニキビ面の高校生たちで、彼らの正面には小さな女の子を抱いた妊婦さんが立っている。

 彼らの傍若無人ぶりを見かねたのだろう。注意した五十年配の男性に、金髪の若者が噛みつかんばかりの勢いで言い返していた。

「いててててて、ポンポンが破裂しちゃうよー」

 少し暗めの金髪が、芝居がかった調子で言った。

「……ったく、おめえはバイキングだからって食い過ぎなんだよ。ほら、俺たちは病人を介抱してんだぜ。なんか文句でも?」 

 赤い髪の少年が野卑な笑いを浮かべて言った。

 優先席は身体に障害をお持ちの方、妊婦さん、乳幼児連れ、高齢者などの着席を優先させる座席である。妊婦さんに権利があるのは誰の眼にも明らかだった。

 男性は周囲に加勢を求めるが、面倒に巻き込まれるのを恐れてか、誰ひとりとして眼を合わせようとしない。誰かがなんとかするだろう――傍観者効果という社会的手抜きが、都会では日夜繰り返されていた。

 知世が僕の手を握って顔を覗き込んでくる。言いたいことはわかる。サム・チルダースの勇気も見せられていた。だが――。

「さ、さんにんは、む、無理かな」

 気のせいか、知世に掴まれた腕がピリピリする。これが針のむしろというヤツか。

 僕はありったけの勇気を振り絞って優先座席のほうへと向かった。

「あのう……」僕は言った。「よろしければ荷物をお持ちしましょうか? なんならお嬢ちゃんを抱っこしてあげても――」妊婦さんに。

 これが僕にできる精一杯だった。一度は期待に輝いた男性の顔が、落胆に塗り変えられていく。

「きゃー! ロリコンよー、きもーい」

 少年にからかわれても睨み返すことすらできない。臆病な自分が腹立たしく感じられ、その怒りに、頭がかっと熱くなったような気がした。

 知世の手が緩んだ。

「後を……、お願い」

 僕は膝から崩れ落ちそうになる知世を右腕一本で抱き止める。

 また地震か? この状況で?

 前方から金属と金属が擦れ合うような音が――、間髪空けずに大きな衝撃音が聞こえた。

 窓の外の夜に閃光が走る。悲鳴のパンデミック(爆発的感染)は極限に達し、僕たちの乗った最後尾車両は大きく傾いていった。

 妊婦さんの腕から滑り落ちる幼女を床すれすれで受け止めると、僕の身体は重力の支配を解かれたようにフワリと浮き上がる。

 行く手の貫通扉はガラス窓が弾け飛び、ギザギザの歯を剥き出しにして待ち構えている。

 一瞬、時が凍りついたように感じられ、ひとり、またひとりと乗客がそこに呑み込まれていくのが見えた。


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