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 電車を待つ――ただ、それだけの行為が、知世と並んで立つことで愉悦に浸れるはずだったのだが……。

 知世の美貌には計算し尽くされた『気品』があり、ホームを行き交うひとの注意を惹きつけてやまない。それは、モテない君と並んで立つことで一段と際立っていた。

 夕闇を歩いた昨夜とは違って、ホームの明るい照明は、僕のありのままを映し出す。彼らは佐原先輩と同じだった。あの冴えない男が、美女の興味の対象であるはずがない――斜め後ろのベンチにいたカップルの会話が、それをよく言いあらわしていた。

「モデル?」「――かもな」「じゃあ、あっちは彼氏?」「まさか……。 マネージャーだろ」

 美女と野獣の組み合わせの場合、『野獣君』は、ナンパ除け、或いはボディガードの役割を担う。僕が知世のマネージャーに見えたのは、蛮性の欠片さえ持ち合わせてないからだろう。そして よく観察すれば知世の視野に僕がはいってないことに気づくはずだ。いま、彼女の瞳は、列車を降りてくるひとだかりを忙しく追っていた。例の〝保護すべき遺伝子保有者〟を探していたようだ。

 右肩に小さな衝撃を感じた。見ると、知世が頭をもたせかけてきている。理解なき人々にマネージャーからの昇格を伝えようとしてくれたのかと思ったが、きれいな弧を描く眉の間には深い皺が刻まれていた。海洋博物館前とは明らかに様子が違っていた。

『具合でも悪いのかい? あっ……』

 そのままズルズルとへたり込んでいく知世の身体を支え、僕は空いたベンチを探した。少し離れたところにひとり分の空きを見つけ、知世を抱え直そうとした時、彼女の腕に力が戻った。僕の袖を掴んで身体を起こそうとしていた。

「……ごめんなさい。もう大丈夫よ」

「ダイエットもいいけど」僕は言った。「君は昨日からなにも食べてないじゃないか。健康を損ねてまで体型を意地する必要があるのかい」

 なんとまあ、冴えないのが美女に意見してるぞ――。眼の端に映った男性は、驚愕の表情を浮かべていた。

「違うの」

「いいや、違わな――」

 その時、知世の顔がぶれたので、僕はまた彼女が倒れそうになったのかと思って腕に力を入れた。でも違った。地震だった。ほんの2~3秒で揺れは収まったがホームは騒然としていた。

 頑強な支柱に取り付けられた時刻表のパネルが縦に波打っていた。

「大丈夫かい?」

「ええ、なんともない」

 この地方が大震災に遭った時、僕はまだ小学生だった。当時、Mという街に父方の祖母がひとりで住んでおり、消息がわかってすぐに父は車を走らせた。道路があちこちで寸断されていたため、迂回に迂回を重ね、やっとの思いでたどり着いた父に祖母は「遅いわ」と一言呟いたそうだ。

 父は連れ帰るつもりだったのだが、「御近所さんを見捨てられん」と水や食料、石油ストーブを受け取り、祖母は同行を拒んだ。

「ばあちゃん、一張羅の毛皮着ててな」帰ってきて父は言った。「役人や警察の連中を叱り飛ばしてたぞ。あれなら心配ない」

 そして父は自らに言い聞かせるように「うん、大丈夫だ」と何度も繰り返した。

 その気丈だった祖母も、いまはもういない。崩れた家を建て直している最中に持病が悪化して帰らぬひととなったのだ。

 幼かった僕には、祖母の死期を早めたのが、あの大震災のように思えてならなかった。


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