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同じことの繰り返しなので往路は省略したが、知世が改札機に手をかざすと自動改札のステンレスバーが勝手に下がる。真似をしてみたがなにも起こらないので、僕は定期入れを取り出した。
宵っ張りの若者たち――僕もそのひとりではあったが――が帰宅するには早く、公園や動物園に出掛けていた親娘連れが帰るには遅い――そんな時間帯の電車は空いていた。僕達はロングシートに並んで腰掛け、車窓を流れる夜景を眺めていた。
「これと同じ試みが世界中で始まっているの」
知世は窓の外に眼を向けたままで言った。
「これって?」
「余計な欲求が人類を進化から遠ざける。でも、一度持ってしまった欲望を消し去ることは困難だわ。だから進化の可能性を秘めた遺伝子保有者を探し出し、その発現を妨げない理想的なパートナーを充てがうのが、〝彼〟がわたしたちに与えた使命なの。二世代、三世代先の人類に進化を託すのよ」
僕は『充てがう』に抗議する。
「人間の感情ってのは、そんな簡単なものじゃないよ」
僕は自分を控えめな人間だと思っている。自らの冴えない容姿を棚に上げ、分不相応な美女を伴侶に求めるような図々しさはない。だが、理想を具現化したような知世が誰かを連れてきて「はい、あなたの理想のパートナーよ」と言われたところで、すんなり受け入れられるものだろうか。
「心配しないで。理想的な配合の場合、あなたたちが惹かれ合わないはずはないから」
是非ともそうあって欲しいものだ。美し過ぎる結婚仲介人は明らかに〝彼〟とやらの人選ミスだ。
「その理想のパートナーを見つけ出してもらうのを、僕はじっと待ってればいいのかい?」
「それでは退屈でしょう? タダほど高い物はないとも言うじゃない」
「それは、まあ……そうかもね」
知世は見かけに寄らず年寄り臭い例え話で僕の相槌を引き出した。
「わたしの考えだけど、進化の可能性を秘めた遺伝子保有者は、進化の可能性を秘めた遺伝子保有者を探し当てるように思うの。日常生活に支障が出ない程度で構わない。進化の可能性を秘めた遺伝子保有者を探すため、わたしを連れ歩いてもらえないかしら」
知世は、下手な女子アナより弁舌滑らかに、『進化の可能性を秘めた遺伝子』と三回言った。僕がいままでの人生で巡り会った人々のなかに、誰かその進化にょ……
僕は思考ですら噛んでいた。
この先もこんな美人と連れ立って歩けるのか……。それだけ考えれば、ふたつ返事で承諾したいような依頼だった。だが――
「国のデータベースには全国民の遺伝情報が管理されていて、君たちはそこにアクセス出来るんだろう? だったら、自ずと候補は絞られてくるんじゃないのかい」
「塩基配列を眺めてるだけでは保護すべき遺伝子保有者は特定できない。わたしたちは病院のデータベースにも侵入している。あなたを見つけられたのは、特異な症例が記録されていたせいなの」
国が管理するところに侵入できるのなら、T総合病院のセキュリティ突破など児戯に等しい。
僕たちの会話が耳にはいったのか、隣にいた中年男性が気味悪そうな顔をして席を立っていった。僕の声は必然とボリュームが抑えられたものとなる。
「遺伝子情報より脳波やMRI画像のほうが参考になるってことか……」
「あなたの場合はそうだったけど……、特別ね」
「一度に五人とチェスができるひとや暗算で十桁の掛け算をしちゃうひとたち、驚異的な能力の持ち主は世界中にいるよ。ググってみようか?」
あれこそ、究極の並列思考ではないのか――。合コンで披露しようと、そんなことを調べた記憶がある。