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「サーモグラフィーは知ってる?」
「体温分布をあらわしたりするアレかい?」
知世は瞳からコンタクトレンズ様のものを取り出して僕に見せる。
「これにはCCDセンサーが使われているの。脳の活動は電位変化にあらわれる。電子が動けば熱を発するのが道理でしょう。あたしはそれを読み取っているだけ」
彼女が語る僕の能力――と言えるようなものなら――は、ベテラン女性職員に〝職場環境改善のアンケートをとってこい〟だの〝機関誌のコラムを書け〟だのと、業務以外の雑事を押し付けられ、僕には僕のすべきことがあるため、両方を限られた時間内に片付けようと獲得したものである。言うなれば環境適応というヤツだ。
「なんだか余計に忙しくなるだけみたいで、子孫に伝えたら迷惑がられそうな気がするんだけど……」
「あははは」
ウケを狙ったつもりはないが、知世は声を上げて笑った。
詐欺師ならこんな晴れやかな笑顔を見せない。もっとも、こう考えてる時点で、既に術中に嵌っていたのかもしれないが。
女性なら科学に弱いだろうとの誘導は、僕の粗忽さを露呈しただけ。完全に手玉に取られた上、新たな戦略も思いつかない。
ああなった亜美は、当分、口をきいてくれない。誤解が解けなければ結婚そのものが御破産になってしまうのかもしれない。だが、そこまで亜美との結婚に執着する理由があるのか?
――いや、特に……。
これが新手の詐欺かなにかだとして、取られて困るものは?
――マンションは賃貸だし、車の所有権はディーラーに。預金通帳の中身は百二十万足らずだから、命以外は別に……。
僕は半ば投げやりになっていた。
「あのさ、その〝彼〟がなんで僕に理想のパートナーを探してくれようとする訳? それがなにかはわかんないけど、僕の子孫に遺伝子が発現しないと困る理由は?」
知世は真顔に戻って言った。
「よく聞いて、人類は破滅に向かってる。進化するしか生存の途は残されてないの。わたしはその手助けに来たのよ」
「破滅……って、地球滅亡の日でも迫っているのかい?」
僕の小学生時代にノストラダムスの予言は外れ、2012年月21日――マヤ暦を拡大解釈した終末の日までは、まだ少しある。
「いまの人類に、〝欲望を捨て去れ〟と言ったところで聞く耳は持たない。何度でも同じ過ちを繰り返すでしょうね。このままではあなたたちは、あなたたちが生んだ物質文明によって滅ぼされることになるの」
よくもまあ、次から次へと益体もないことを……。やはりこの女性はイカレてる――普通なら、そう思うのが当たり前だ。だが、そうやって一笑に付すことのできないなにかが、この知世にはあった。
脳波をいじるなどということが本当にできるものだろうか? そしてこれは間違いなくスケベ根性なのだが、夢にしかでてこないような美女が僕に興味を抱く理由が知りたかった。
「僕の物分かりが悪いせいかな? 質問の答になってないような気がするんだけど」
「出ましょう」
やはり、問い掛けへの答ではなかった。
「どこへ?」
「外よ、あなたたちの社会がどれほど間違っているのかを改めて理解してもらう必要がある」
席を立った知世はさっさと玄関のほうに歩いていく。僕は食卓にあったフライドチキンをひとつ口に放り込み、コートをひっつかんで彼女の後を追った。