01
「俊哉、いる?」
玄関が開く音がしてひとりの女性が僕の部屋にはいってきた。彼女を見た瞬間、僕のなかでフレディ・マーキュリーがシャウトした。
――僕は君を愛するために生まれてきた。
思うのだが、好悪の感情は遺伝子レベルでの欲求ではないだろうか。だからこそ、ひとの好みは千差万別で、結果、人類という種が現在まで滅びずにいられたのだ。
凄い美人でも食指を動かされないこともあれば、巷のマドンナを次々と勝ち取っていくのが、いわゆるイケメンとはほど遠かったりもする。
だが、理想を具現化したような美女となれば話は別だ。僕は我を忘れて見とれていた。
「あっ、ごめん。お客さんだったのね。わたし、ショーツ忘れていかなかった?」
「えっ……」
なんとも世俗的な問い掛けが僕を現実に引き戻す。極めつけの美人だが、初めて見る女性だった。その彼女のショーツに心当たりなどあろうはずがない。たとえ心当たりがあったところで、空とぼけなければならない状況に僕はいる。
僕はいま、プロポーズする予定の女性とふたり、食卓を囲んでいたのだ。
「どちら様でしょう?」と訊き返す前に、交際してちょうど一年になる伊東亜美が、声に不機嫌を滲ませて言った。
「誰なのよ?」
「さあ……、人違いじゃないかな」
僕の答えは、作為も欺瞞も混じらない、とても正直なものだった。
「俊哉って呼ばれたじゃない、人違いじゃないでしょう。玄関に鍵ぐらいかけときなさいよ」
名前など集合郵便受けにだって書かれてるし、なんとなればお隣さんに訊いたってわかる。だが、そんな簡単なことすら怒りに駆られた亜美は気づかない。
僕達の会話は美女にも聞こえていて、彼女は見覚えあるキーホルダーのついたマンションの鍵を、指先でくるくる回しながらにこやかに笑っている。
「どこでそれを?」と訊ねる前に、美女は焦れたように僕の袖を掴んで揺すった。
「ねえってばあ、忘れてなかった? 俊哉が、いいねって言ってくれたTバックよ。ほら、Tの縦と横が交わる部分にハート型の穴があいた赤いヤツ」
そんなセクシーなショーツなら誰であろうと気に入らないはずはないが、知らないものは答えようがない。彼女の唇から洩れ出る〝交わる〟にも僕の心臓は過剰な反応を見せる。
この先、僕の人生でこんな美女を焦らせるようなことなど二度と訪れないだろう。人違いを主張するのが惜しく感じられていた。それが亜美の怒りの炎に油を注いだ。
「わたし、帰るっ! どうぞごゆっくり」
亜美は美女――亜美がそうでないと言うつもりは毛頭ないが――に嫌味たっぷりな口調で告げたのだが、美女――くどいようだが亜美でないほう――は、「あら、あたしは捜し物が見つかればすぐに帰るから、あなたこそゆっくりしてらっしゃいな。食事中だったんでしょう」と切り返す。そうはならなかったが、亜美の頭から蒸気が上がり、シューという音が聞こえても、さして不思議とは思えない状況だった。
怒りで顔を真っ赤にした亜美が部屋を出ていく。数秒後、凄い音がして玄関の扉が閉まった。ドアクローザーがついているのだから、体当たりでもしなければ、ああはならない。美女は「どうしちゃったのかしら?」と言って肩をすくめて見せた。