第14話 緑の手
ミルヴァスがアルデアを案内したのは、尖った屋根に木枠の窓――まるで昔読んだ絵本の中から抜け出したような、アンティーク調の三階建てだった。
分厚い木製のドアを開けると、大きな観葉植物の鉢が飾られた玄関ホール。その奥には、吹き抜けのロビーが広がっている。
見上げた高い天井からは麻紐でガラスのボウルが吊されていた。ガラスのボウルには、苔玉のような土塊から芽吹いた、長く滑らかな葉がゆったりとたなびいている。
やわらかな陽の差す窓辺に目を向けると、サボテンや多肉植物の小さな鉢植えがいくつも並んでいる。陽の光をたっぷりと蓄えたつややかな緑の葉に、水やりの名残だろうか、雫が一粒、光っていた。
生成りの壁に沿って並べられたテーブルセットと白いソファ。足元に伝わるのは、飴色の床板のぬくもり。
そして、振り子時計の音だけが響く室内を満たすのは、しっとりとした土の香り――。
初めて訪れたはずなのに、それらはアルデアに不思議な懐かしさを覚えさせた。
床がかすかに軋む。
開け放たれた窓辺に人影があった。白いエプロンと、風にそよぐ黒髪。
視線が合ったその瞬間、アルデアの胸の奥が、きゅうっと締め付けられた。
「セダムさん……っ! 」
セダムは、2人に向かって微笑んで手を振る。風に乗って、ほのかな石鹸の香りがした。
「どうしてここに!? 医療部の人……じゃなかったんですか? 」
「ああ、欠員が出たので手伝いに行っていただけだ。セダムさんは元々寄宿舎の寮母なんだ。」
「そうだったんですね……。」
セダムは、背後にふわりと浮かぶ黒い板を手に取るとそっと指先を滑らせる。すると、板の上に文字が浮かび上がる。
『いらっしゃい。
待ってた。』
並んだ言葉は、まるで彼女のまなざしのように、静かに胸に届いた。
『今日から、
よろしくね。』
ほほえみと共に、手が差し伸べられる。
「よろしくお願いします……! 」
アルデアは両手で手を取った。セダムのやわらかな笑顔に似合わず、その手は、意外なほどごつごつしていた。
けれども、とても――あたたかかった。
「彼女を部屋に案内しても構いませんか? 」
『もちろん。
準備はできてるから、どうぞ。』
アルデアとミルヴァスは、歩き出したセダムの後に続いて建物の奥へと入った。
セダムは歩きながら器用に黒い板に文字を書き込み、
『ここを行くとお風呂。毎朝の掃除の時以外だったらいつでも入ってOK。』
『トイレはそこの角。夜はちょっと暗いから、足元に気を付けて。』
『あっちは男子寮。間違えて入ると困るから、注意してね。』
などと寄宿舎の中を簡単に紹介していった。そして――
『ここが、あなたの部屋。』
着いたのは、ひとつの扉の前だった。
ドアにかかった札には、自分の名前――『アルデア・ヘロディアス』。
その文字は、見慣れないこの空間に不思議と馴染んで見えた。
『一番広い部屋、空いててよかった。』
『他の子には、秘密ね。』
セダムは、病室で見せたような茶目っ気のある笑みを浮かべ、ドアを開けた。
「あ……! 」
部屋の中を見たアルデアは、声を漏らして目を丸くした。
一歩、また一歩と足を踏み入れる。
「君の希望通り、自宅から持ち出したものだ。不足はないと思うが――。」
並んでいたのは、機織り機、糸車、ペダルミシン――。
アルデアはまっすぐ機織り機に近寄ると、震える手でそっと筬を動かしてみた。カタリ――と懐かしい音が鳴る。その音は、ノーシアで暮らしていたあの頃の記憶をほろりと切なく、思い出させた。
「ありがとう……ございます……! 」
涙がこぼれそうで、何度も瞬きをする。セダムはそんなアルデアを見てふっと目を細めると、黒い板にさらさらと文字を紡ぐ。
『じゃあ、またあとで。』
その言葉にミルヴァスがひとつ頷く。にこやかに手を振ったセダムがドアの方を振り返ったその一瞬、セダムの瞳が青く、淡く、まるで水面のごとく揺らめいたように見えた。
(あれ……セダムさんの目って……。)
しかし、それを口にするより早く扉は閉ってしまう。
「早速だが、支給品の確認を行う。」
アルデアの疑問など知る由もないミルヴァスは、窓際の机の上に置かれていた箱を開ける。中には本や見慣れない道具がたくさん詰まっていた。
「こ、こんなにいっぱい……? 使えるか分からないし……それに、お金、払えないです……。」
「支給品と言っているだろう。代金を払えと君に言う者はいない。」
淡々と告げながら、彼は取り出した本を積み上げる。ハードカバーの分厚い本だ。
「これらは魔法学校で使う教材だ。」
次に示すのは、手のひらサイズの薄い板。
「これは、ソノリス。連絡用端末だ。学生用のものは声と文字による通信ができる。」
「セダムさんが使ってたあれですか? 少し大きさが違いますね。」
「ソノリスは用途によって大きさや機能が異なっていてな。セダムさんの端末は、筆談用にカスタムされているんだ。」
ミルヴァスはジャケットのポケットから自分のソノリスを取り出して見せる。
「これは教官用で、学生用ソノリスの位置情報の把握が出来るようになっている。」
「便利なんですね……ソノリス。」
ミルヴァスは次にウェストポーチのようなものを取り出した。ヌメ革だろうか。高級感のある光沢にアルデアは思わず見とれてしまう。
「そしてこれは、タルシア。小さいが今ここにある支給品の全てをしまうことが出来る。」
「こんなに小さいのに!? 」
アルデアはタルシアをそっと持ち上げてみる。しっとりと肌に吸いつく革の感触が心地よい。
「ただし、入れすぎには注意だ。」
「入れすぎると、どうなるんですか? 」
ミルヴァスは一瞬考えるように目を伏せる。
「…………爆発する。あくまで稀な例だが。」
「ば……爆発……!? ほんとうですか!? 」
「ああ。そういう報告は、過去に数例ある。」
彼はどうやら本気で言っているらしい。真顔で言うには、内容が飛びすぎているが――。
タルシアを机の上に置いたミルヴァスは、「そして――。」と今度は眼鏡を2つ取り出した。
「まず、君の視力に合わせて調整した眼鏡だ。かけてみてくれ。」
「は、はい。」
楕円のフレームに赤いつるが可愛らしいデザインの眼鏡であった。ラルスから借りていたメタルフレームの眼鏡を外したアルデアは、恐る恐るそれをかけてみる。
「すごい! 全部くっきり見えます! 」
ラルスの眼鏡は時折ピントがずれてしまって何度も目を細めなければならなかったが、赤い眼鏡はまるで最初から自分の視界だったかのように、違和感なく目に馴染んだ。
ミルヴァスは「それはよかった」と言いながらラルスの眼鏡を懐にしまい、もう一つの眼鏡を見せる。
「これはグラシス。瞳の色を隠すために使うものだ。」
「どうして隠すんですか? 」
「ウィザードの瞳は目立つ。一般人を混乱させないためのカモフラージュだ。」
「私、眼鏡の上にまた眼鏡をかけるんですか? 」
「君の場合はそうだな。だが、この通り軽いし、通常の眼鏡よりも一回り大きめに作ってある。上から重ねても、それほど違和感はないはずだ。」
ミルヴァスは手にしたグラシスを自らの目にかざして見せる。すると、紫金の瞳はその異質な輝きを失い、自然な青い瞳が現れた。
「グラシスをかけている間は瞳が本来の色に見えるようになる。ただし、鏡や写真に写る姿までは偽装できないので、注意するように。」
(この人も、元々は普通の人だったんだ……。)
グラシス越しのミルヴァスの瞳につい見入ってしまったアルデアに、彼は「どうかしたのか? 」と問いかける。アルデアは慌てて首を振り、その瞳から目をそらした。
「そしてこれは、制服だ。」
次にミルヴァスが取り出したのは、黒地に金のボタンが印象的な服であった。
「うわぁ……。立派ですね! 」
「サイズを見たいので着てみてくれ。」
「いいんですか! 」
アルデアは目を輝かせ、さっそく制服に袖を通そうとブラウスのボタンを外しにかかる。しかし――。
(後ろ向いて欲しいって言ったら、怒るかなぁ……。)
その様子をただ無表情に見ているミルヴァスの視線が、痛かった――。
「あの……見られてると……着替えづらいです……。」
「……ああ、そうだな。すまない。」
恐らく本当に気が付かなったのだろう。アルデアに言われて初めて気まずそうに目をそらしたミルヴァスは、「着替えが終わったら声をかけてくれ。」と言い残して部屋の外へ出て行った。
ドアが閉まるのを確認したアルデアは、早速服を脱いで制服に袖を通してみる。
「わぁ……アズキさんが持ってきてくれた服も上等だったけど、この制服、なんだか、すごく特別な感じがする……。」
軍服を思わせる、黒を基調としたロングジャケット風のワンピースだ。ダブルブレスト仕様の前合わせ、金のボタン、裾と袖口に走る金のパイピングが格式高い印象を与えている。
姿見に映った自分はいつもよりも立派に見えて、アルデアは自然と背筋が伸びるのを感じた。
「具合はどうだ? 」
ドアの外からミルヴァスが声をかけてくる。
「すごくいいです! この生地、何の素材を使ってるんですか? 軽いのに、あったかくて動きやすい。ウール……じゃない? コットンでもなさそうだし……」
興奮気味に制服談義を繰り広げようとしたアルデアを、ミルヴァスは「アルデア、アルデア」と呼び止める。
「そうじゃない。サイズの話だ。」
服のことになると周りが見えなくなるとよくルーナに怒られていたことを思い出す。
「……す、すみません……! 大丈夫、です! 」
「それならいい。入って構わないか? 」
アルデアが返事をするのを待ち、ミルヴァスは再度部屋に入ってくる。そして、机の上から白い薄紙に包まれた何かを取り出した。
「支給品は以上だが、もう一つ――。」
「これは? 」
「君が仕事道具と一緒に自宅から持ってきて欲しいと言っていたものだ。」
手渡される包み。アルデアがそっと薄紙を剥ぐと、ふわり、と懐かしい匂いが立ち上る。
中にあったのは、スピカが洗礼式のために仕立てたドレスであった。
繊細なタティングレースに、ガラスビーズがきらめく。けがれのない真っ白なドレスは、あの日見たままの姿だった。
「リリーヴァ……。」
スピカの顔が浮かぶ。このドレスを見せてくれた時の、得意げな笑顔。
『あんたの結婚式のドレスだって私は仕立てるんだからね』と言った、少し寂しそうな声音。
ドレスの裾を直す、しわしわの手――。
無意識に抑え込もうとしていた全てが、あまりにも鮮明に浮かび上がる。
「その服の名前か? 」
「はい……。」と言ったきり、言葉は出てこなかった。
ミルヴァスは、ドレスを抱きしめたまましゃくりあげるアルデアに「……そうか。」とだけ言って、それ以上は語らなかった。
その瞳は、どこか遠くを見つめている――。




