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Lumina Linea~エメラルドの糸使い~  作者: 彩︎華じゅん
第1章 糸と鳳仙花
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第1話 シネレアの朝

 秋空に、灰色の羽が舞い落ちた。

 まるで、ほどけた縁を見えない糸で縫い合わせるように――静かに、確かに。

 



 

 夏の暑さが落ち着いた九月の下旬。早生リンゴの収穫が始まり、人々が小麦の種まきに向けて畑を耕し始める頃合いである。

 『ブティック シネレア』は、ルミナリア王国、ノーシアの農村地帯に佇んでいる。

 屋根に緑のシェードがかかったレンガ造りの店。

 ショーウィンドウを覗くと、中には季節の洋服を身にまとったマネキンがあり、その横には麻カゴや麦わら帽子などが陳列されているのが見える。

 店の奥には作業部屋があった。

 年季の入った機織り機やペダルミシン、糸車が並ぶ板張りの室内。

 そこでは、三人の人物が手仕事に没頭していた。

 トン、トン、と機を織る白髪頭のスピカ。カラカラと糸車を回す長髪のルーナ。そして、カタ、カタとミシンのペダルを踏む少女、アルデアである。

 隣のキッチンから聞こえる、ストーブのゆるやかな火音。くつくつと鍋の煮える音。そして、3人の手仕事の音が静かな室内を満たしていた。

 細く開けられた窓。吹き込んだ風が、小瓶に飾られたホウセンカの花を揺らした時。

 糸切りバサミで最後の糸始末をしたアルデアは、ほっとしたように大きく伸びをした。

「できた……」

 彼女の手にあるのは、淡い青色のベビードレスだ。

 コットンの地に白い花の刺繍がぽつぽつと咲いていて、裾は柔らかなレースがあしらわれている。

「お疲れさまアルデア。ついに完成ね」

 糸車を止めたルーナがアルデアに目を向けた。

「お母さん、どうかな……?」

 アルデアがそっとドレスを広げると、ルーナは「どれどれ……」 と目を細める。

 じっくりと全体を、裏返して糸処理の具合を見たルーナは、指で縫い目をなぞる。そして、肌に当たる部分に違和感がないかどうかをつぶさに観察する。

 一通りチェックが終わった後、彼女はアルデアににっこりと笑いかけた。

「うん! いいじゃない! 合格! スピカさんにも見てもらいなさい」

 アルデアは機を織るスピカのもとへ駆け寄ると、ドレスをうやうやしく掲げて頭を下げた。

「師匠、お願いします!」

 杼口にシャトルを滑らせようとしていたスピカは、彼女が差し出した服を受け取ってニヤリと笑ってみせる。

「どれ、見でけっが」

 しわだらけの手が丁寧に縫い目をなぞり、ルーナがしたのと同じように針のチェックをしていく。そして、はみ出た繊維の端がハサミで切り落とされる。

 その様子をアルデアがソワソワと眺めていると、眼鏡を額に引き上げた彼女は満面の笑みを浮かべて服を返してきた。

「ちょびっと仕上がり甘いとこはあるけど、初めてでこれなら大したもんだ。ばっちゃんからも合格!」

「やったぁぁぁ!」

 服を抱きしめたアルデアは、そのまま踊るように部屋を駆け回った。

 微笑ましくそれを見たスピカは、ふぅっと息をついて首を回す。ルーナもそれにつられるように背中を伸ばし、室内に緩んだ空気が流れる。

「もうお昼なのね。集中してるとあっという間に時間が経つわ」

「一休みしてご飯にするべ。ばっちゃんのスープもそろそろいい頃だ」

 スピカは膝にかけていた厚いブランケットをたたむ。そして、杖を頼りに「よっこらしょ」と機織り機の前から立ち上がった。

 ワンピースの裾からのぞく金属の装具が、彼女の動きに合わせてギシギシと軋む。

「あででで……。ずっと座ってたから固まってしまったがな」

「座ってて。私が準備するから」

 ルーナは膝をさする彼女を食卓の椅子に座らせると、手際よく昼食の準備を進めていった。

「申し訳ないねぇ。どうにも動き出しが悪くて……」

「仕方ないわよ。転んでひどくなったらいけないし。アルデア、準備を手伝ってちょうだい」

「分かった!」

 アルデアはテーブルの上に散らかった糸くずや布の切れ端を手箒で集め、食器棚からスープ皿やウールの鍋敷きを出して並べる。

「らちが明かないねぇ。私もそろそろ引退かな」

「足怪我しても機織りやめない人が何言ってるの」

 呆れたように苦笑したルーナが、スープの鍋やパンの乗った皿、リンゴの入った麻籠をどんどんテーブルに運ぶ。

 アルデアが鍋からそれぞれの皿にスープを分けると、あたりはとてもいい香りに包まれる。その香りで忘れていた空腹を思い出した3人は「いただきます」と手を合わせた。

 とろとろの野菜と鶏肉の入った、やさしい甘さのスープに生姜の風味がきいている。 3人はパンとスープをひと口ひと口噛みしめるように味わい、あっという間に皿を空にしてしまった。

「美味しかった! おばあちゃんのスープ大好き」

 腹をさすりながら笑うアルデアを見たスピカは、「そりゃよかった」と優しく目を細め、口元についたパンくずを払ってやる。

 食事が済み、空になった食器を片付けた食卓に、今度は毛糸のティーコゼーをまとった丸いポットと三つのカップ、ジャムなどの小瓶が並んだ。

 アルデアはそれぞれのカップにお茶を注ぐと、自分のカップに小瓶からたっぷりとすくい取った黄金色のリンゴジャムを入れてさじを回す。

「まだ信じられない。私ほんとに完成できたんだ」

 カップを両手で抱え、甘酸っぱい香りの紅茶をすすった彼女は安堵のため息を漏らした。

「本当に頑張ったわね。メルちゃん、きっと喜ぶわ」

 ルーナは紅茶にミルクと少しのはちみつを入れ、はちみつの入った瓶をスピカに手渡しながら言う。スピカはさじにたっぷりとはちみつをすくい取ってカップに入れた。

「えへへ。赤ちゃんが産まれるの、すっごくワクワクしてたから。何か特別なお祝いがしたくて」

「綿花の収穫から縫製まで、全部一人でやってみたいって言われたときはびっくりしたわ。まさか本当にやってのけるなんてね」

「さすがばっちゃんの孫だな」

「私の娘なんですけどぉ?」

 口をとがらせるルーナにいたずらっぽい笑みを返したスピカは、アルデアの方に向き直って言う。

「アルデア、心を込めて紡いだ糸は人と人をつなぐんだよ。アルデアが頑張って作ったその服はきっとその子に素敵な出会いをもたらしてくれるよ」

「おばあちゃんいつもそれ言うよね」

「ほんとだよ。アンタのお父さんとお母さんが結婚したきっかけも糸だったんだから」

「やだ。やめてよスピカさん」

 話しながらウィンクを飛ばしてくるスピカに、ルーナはつっけんどんに返す。少しだけ赤らんだ頬を隠すようにカップを傾ける彼女をスピカは笑いながら見ていた。

「お父さんって、どんな人だったの?」

「かっこいい人よ。お母さんのことをいつでも守ってくれる王子様みたいな」

「王子さまは言いすぎでないか?」

「例えよ例え!」

 2人が言い合うのを聞きながら、アルデアはカップの底に残るリンゴの果肉をさじでかき混ぜた。

「お父さんか……」

 アルデアはカップを見つめ、ぽつりと呟く。

「どこにいるんだろうね」

 寂しげな声音であった。ルーナは彼女のうつむいた横顔を見つめ、そっと髪をすいてやる。

「きっとどこかで生きてるわよ」

「んだよ。そのうち糸が結び付けでくれるよ」

「そうだといいな」

「あ、お父さんと言えば、アルデアにはまだ見せたことなかったわね」

 ルーナは棚に置いた道具入れの木箱から皮の小袋を取り出し、その口を開いて見せた。

「わぁ、きれい……」

 中に入っていたのはペンダントであった。美しい透かし彫りが施された銀古美の台座の中心に丸い宝石が据えられていて、宝石はまるで呼吸しているかのように鈍い光を放っている。

「これ、光ってるの? 不思議な宝石だね」

「そうよ。不思議でしょ?」

 ルーナはペンダントを窓の方に掲げて見せた。日の光を通したエメラルドグリーンの宝石の内に、水紋のようなゆらぎが見えて――。

「お父さんがお母さんにくれた最後の贈り物なの」

 アルデアは、その光から目が離せなくなった。

「アルデア? どうしたの?」

 ルーナの声が遠く聞こえる。

 胸の奥が、痛いほどに冷たい。

 周囲の光景が色を失い、冷たく、暗くなっていく。

 髪の間を、泡のような何かがすり抜けていく感触――

 ぼんやりとしたゆらぎは、白く、淡く揺らめく影となり、やがて人の形になっていった。

 現れたのは宝石と同じ色の目と髪をした少女である。髪を二つに結い上げた少女はアルデアのことをじっと見ている。

 その姿にどことなく見覚えがある気がしたアルデアであったが、しかし明らかに人間離れしたその風貌を一体どこで見たのか、思い出せなかった。



『あなたは誰?』



 問いかけようとした声が泡に遮られる。少女は黙って首を振り、白いワンピースの裾を翻してどこかへ行こうとしていた。

『待って』とアルデアは彼女に手を伸ばす。どうしてそうしたかは分からなかった。ただ、彼女に何か言わなければいけないことがある気がしたのだ。

 しかしアルデアの気持ちとは裏腹に、少女の体は輪郭を失い、泡と共にただの光に戻ろうとしていた。



『……待って……スピン……』



 彼女の口をついて出たのは全く知らない言葉だ。知らないのに、どうしてだか懐かしい。アルデアの声を聞いた少女は驚いたような表情を残して消えた。

「アルデア、アルデア! どうしたの? 大丈夫?」

 目の前で振られた手にきらりと光るものが見えて、アルデアの意識は強制的に引き戻される。

「どうしちゃったの? 急にボーっとして」

「大丈夫か? 頑張りすぎて疲れちゃったんでねっか?」

 目に入ったのはいつも通りの明るい室内だった。ルーナとスピカが心配そうに顔を覗き込んでいる。

「あれ、私、何を……?」

「宝石をじーっと見たまま動かなくなっちゃったのよ。やっぱり疲れたんじゃない? 昼寝でもしてきたら?」

 机の上に置かれたアクセサリーを見たアルデアの脳裏にさっきの少女がよぎる。彼女を一体どこで見たのか、スピン……が何なのか、どうしても思い出すことは出来なかった。


 ひどく耳鳴りがする。


 頭の中で何かが「違う」と主張していた。これはここにあるべきものではない。これはどうしても自分の手に収めなければならない、という、強迫じみた考えに思考が支配される。

 アルデアは、水の中でそうしたように、手を伸ばしてその緑色の光を掴み取ろうとした。

 そんなアルデアの様子を見たルーナは「ダメよ!」とペンダントを袋の中にしまい込む。

「乱暴に扱わないでちょうだい。これはお母さんの大事なものなんだから」

「え……? あれ……ごめん」

 宝石の光が見えなくなった瞬間、耳鳴りは止み、アルデアの頭を支配していた強迫観念もどこかへ消え去っていった。

「欲しくなっちゃったのっか? きれいだもんね」

 お茶のカップを持ったスピカが優しく笑いかける。

「そういうわけじゃない……と思うけど……」

「いくらアルデアでもこれはあげられないわ」

 歯切れ悪く言ったアルデアにふくれっ面をしたルーナは、ペンダントの入った小袋を丁寧に道具入れの中に入れてふたを閉めた。

「今はあげられないけど、アルデアが店を継げるくらい立派な職人になったら、考えないこともないわよ。その時はお母さんの道具入れとこのループリングも一緒に受け継いでね」

 彼女が示すのは、左手の人差し指に嵌められた銀の指輪だった。目に小さな青い石がはめ込まれた、白鳥を模した指輪。

 ループリングと言われたこの指輪は、かぎ針編みをする時、くちばしのところに毛糸を引っかけて糸送りをスムーズにするのに使うものだ。

「その指輪、いつも使ってるのだよね」

「そうよ。大切な友達が作ってくれたものでね、お父さんの宝石の次に大事にしてるのよ」

 ループリングを見つめるルーナの目はどこか寂しそうである。

「その人とももうずっと会ってないんだけどね。どうしてるのかなぁ」

「きっといつか会えるよ。ほら、糸は人と人をつなぐんでしょ?」

「ふふっ。アルデアに言われるとはね」

「アルデア、あんたにはお母さんの物だけじゃなく、おばあちゃんの織機も糸車もみんな継いでもらわなきゃならないんだよ。元気なうちに教えれることは全部教えるつもりだから、頑張って覚えるんだよ」

「うん! 私、頑張る! おばあちゃんとお母さんみたいに何でも作れるようになって、ここをもっともっと素敵なお店にする!」

「期待してるわよ。未来の店長さん!」

 家の中に笑い声が満ちる。




 空のどこかからアオサギの声が聞こえる。涼しい風が吹いて、窓辺に飾ったホウセンカの花が、落ちた。

 

アルデアはふと、それを見つめながら、名前のような音を思い出していた。

 

……スピン。

 

それが何かは、まだわからなかった。

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