第6話 商都(1)
◇
商都の城門は、見えてから着くまでが長かった。
城壁の高さから距離を逆算していた。合わない。歩いても門が近づかない。街の規模を見誤っていた。
「でかい」
勇者が言った。初めて見る大きさのものに対して、こいつの語彙はいつもこの一語だ。
門をくぐった。
肌が変わった。
精霊力だ。大気中の精霊力の質が、門の内と外で違う。村の周辺では精霊力は土壌から湧き、水脈に沿い、大気に散った。風のように、どこからともなく触れてくる。
ここは違う。精霊力はある。むしろ濃い。だが流れていない。壁の中、石畳の下、建物の梁——方向が決まっている。一方向にしか動いていない。何かの経路を、通されている。
大通りの両側に精霊灯が並んでいる。昼だ。昼なのに灯っている。見上げて分かった。建物が高い。三階、四階、その上。日が差さない通りを精霊灯が昼にしている。通りの中央では精霊力で動く噴水が水を吹き上げ、光を含んだ飛沫が通行人の肩に落ちている。
華やかだ。村とは比較にならない。
噴水の精霊力を辿った。地面の下から一直線に上がっている。途中の分岐も拡散もない。蛇口を開けたような流れだ。照明も同じ。壁の中の経路から一方向に供給されている。
水道だ。水道のように精霊力が配られている。
風と空調の違い。温度は同じでも、肌が知っている。この街の精霊力は、自然に流れていない。通されている。
「飯」
勇者が言った。噴水も精霊灯も見ていない。
あとで考える。精霊力の管理構造も、この違和感も。先にこいつの腹を黙らせないと思考が持たない。
◇
飲食街は大通りの東側にあった。
匂いだけで五種は判る。焼いた肉、煮込んだ豆、香辛料、パン、甘い菓子。全部、俺たちのものではない。
勇者が最初の店に入った。止める間もなかった。
「飯をくれ」
「いらっしゃい、何名様?」
「二人」
「お席へどうぞ、本日のおすすめは——」
「金はない」
間があった。
「……はい?」
「金はない。飯をくれ」
店主の笑顔が残ったまま、目が死んだ。
「うちは慈善じゃないんで」
「慈善って何だ」
「お引き取りください」
出された。
二軒目。金がないと告げた瞬間、扉の外に立っていた。三軒目は金の有無を聞かれる前に、身なりを見て断られた。
「おい、賢者」
「なんだ、勇者」
「この街、飯くれる奴いないのか」
「金を出せばくれる」
「金はない」
「だから問題なんだ」
勇者が首を傾げている。怒っていない。本当に不思議そうだ。この街の人間が金のない相手に飯を出さないことが、こいつには理解できていない。
「村の子供はくれたぞ。パン」
あの少女だ。見知らぬ旅人に焼きたてのパンを差し出した。理由はない。合理的に説明できない。損得で言えば損だ。
「あれは例外だ」
「例外って、説明できないってことだろ」
黙った。こいつは時々、分析の隙間を正確に突いてくる。自覚がないから厄介だ。
飲食街を抜けた。大通りの端に裏道がある。精霊灯の間隔が広がり、建物の質が落ちる。金の匂いが薄い場所だ。
「歩くぞ」
「飯は」
「当てがある」
ない。だがそう言わないとこいつは座り込む。
◇
路地裏に入った。
壁は煤けて、大通りの華やかさは届いていない。だが精霊力の経路は通っている。ここにも。同じ管理構造だ。光の量が違うだけで、管理は街の隅まで行き届いている。
左手が冷たい。
薬指の指輪だ。普段はほんのり温かい。精霊力を帯びた金属の体温のようなものだ。それが、冷えている。
表面に触れた。精霊力の振動がある。中のものが動いている。
まずい、と思った時には遅かった。
「——あたし無理」
指輪の石から光が弾けた。
小さな光だ。掌に収まる大きさの光が空中で膨らみ、輪郭を作る。人の形。半透明。子供のような体型。腕を組んで、俺を見上げている。
ディーネ。
「この街気持ち悪い。何この精霊力。繋がれてんじゃん全部。無理無理無理」
出た瞬間から全開だ。
「戻れ」
「無理って言ってんの聞こえない? あんた何この街連れてきてんの。相談とかないわけ?」
「お前に相談する事柄はない」
「はあ? あたしあんたの指輪ん中でずっとビリビリ来てたんだけど。気持ち悪くて死ぬかと思った。死なないけど」
「死なないなら問題ない」
「人の気持ち考えないタイプ?」
「人ではないだろう」
「うっわ」
ディーネが両手を広げた。呆れた身振りだ。半透明の体が路地の精霊灯を透かしている。
「お前誰だ」
勇者だ。ディーネを見ている。目が丸い。
「あ? あたしディーネ。精霊。こいつの指輪に住んでんの」
「住んでるのか」
「住んでる。家賃とか払ってないけど」
「そうか」
勇者がしゃがんだ。ディーネと目線を合わせている。
「かわいいな」
ディーネが固まった。
「……は?」
「小さくて光ってる。かわいい」
「あんた頭おかしくない?」
「よく言われる」
ディーネが俺を見た。何こいつ、と顔に書いてある。説明する気はない。俺にも分からない。
「で」
話を戻す。
「この街の精霊力だが」
「あ、そうそう」
ディーネが空中に浮いたまま、腕を組み直した。声のトーンが少しだけ変わる。
「この街の精霊、繋がれてるよ」
「管理されている、とは思った」
「管理っていうか繋がれてる。精霊が自分で動いてないの。どっかから引っ張られて、中通されてんの。水道と一緒」
噴水で見た一方向の流れ。やはりそうだ。
「精霊がどこかに集められて、そこから配給されている」
「そう。でさ、その集まってるとこがヤバい。あたし指輪の中からでも分かった。全部どっか一か所に向かって繋がってんの。めちゃくちゃ太いのが一本」
「中枢がある」
「たぶんね。あたしそこ近づきたくない」
ディーネが身を震わせた。半透明の輪郭がぶれる。
精霊が精霊力の管理構造を不快に感じている。自然の流れの中にいる存在にとって、管理された精霊力は——何と言えばいい。拘束か。
「指輪に戻れるか」
「だから無理だって。振動がうるさすぎて、あの中にいらんない。出てる方がまし」
この街にいる間は、ディーネが外に出たままになる。
「……面倒だな」
「あたしのセリフなんだけど」
精霊が管理されている街だ。野良の精霊を連れ歩けば目を引く。姿隠しの術をかけた。ディーネの輪郭が揺らぎ、路地の空気に溶ける。
「え、ちょっと——消えてんだけどあたし」
「声は抑えろ」
◇
路地裏のさらに奥で安宿を見つけた。看板が半分剥がれた二階建てだ。一泊の値段を聞いた。手持ちでぎりぎり足りた。部屋は狭い。寝台が二つと窓が一つ。
勇者はもう寝ている。横になって三呼吸で落ちた。
窓の外を見た。夜だ。だが暗くない。
精霊灯が街全体を照らしている。大通りも路地も、屋根の上も。均一に光っている。暗がりがない。一つもない。村では夜は暗かった。精霊の光は月明かりに似て、足元が辛うじて見える程度だった。
この街の夜に影がない。
「あの光、全部繋がってる」
ディーネが窓辺にいた。欄干に座って、足をぶらぶらさせている。さっきまでの喧しさが嘘のように静かだ。
「真ん中のどっかから、全部の精霊灯に流してる。一個一個灯してるんじゃなくて、元栓から配ってんの」
「元栓」
「あたしの語彙にケチつけないでよ」
「つけていない。分かりやすい」
元栓から経路を通して、街中の精霊灯に精霊力を配給する。一括管理。効率的だ。
村の精霊は——契約だった。精霊と人間が向き合い、合意し、対価を交換した。贄という歪んだ形だったが、そこには双方の意思があった。
窓から差し込む光が手の甲を照らしている。温かくはない。
この街では精霊が管理されている。経路で繋がれ、配給されている。契約ではない。運用だ。
どちらが正しい、とは言えない。言えるだけの判断材料がまだない。
ディーネの背中を見た。小さな半透明の体が、管理された光に照らされている。
「気持ち悪い」
ディーネが呟いた。街を見つめたまま。
「きれいだけど、気持ち悪い」
精霊灯が明滅した。一瞬、街が暗くなり、すぐ戻った。
ディーネが振り返った。
「今の、分かった?」
「供給の瞬断か」
「違う。精霊が震えたの。繋がれたまま」
黙った。ディーネの目から、さっきまでの軽さが消えている。
窓の外では、何事もなかったように街が光り続けている。暗がりのない夜。管理された美しさ。
この管理は誰が、何のためにやっているのか。今日のところは答えが出ない。まだ一日目だ。
寝台に横になった。目を閉じても精霊灯の光が瞼の裏まで届く。この街では闇が来ない。勇者の寝息が聞こえる。ディーネは窓辺から動かない。
明日はまず金だ。金がなければ飯がない。飯がなければ——。
考えている途中で、意識が落ちた。




