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理屈屋賢者と脳筋勇者  作者: 布団が本体


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第3話 名もなき村(3)


 朝が来た。眠れなかった。


 昨夜見たものが頭の中で整理を拒んでいる。祭壇。村人の列。白い布を纏った少女。精霊力の光。断片だけが回って、構造にならない。


 勇者は眠っていた。林から戻った後、納屋に入ってすぐに倒れた。あれを見た後で眠れるというのは、頭の整理を翌朝に丸ごと持ち越せる体質か、そもそも処理の必要を感じていないか。考えかけて、やめた。どちらだとしても俺が眠れない事実は変わらない。


 朝日が納屋の隙間から差し込んでいる。勇者を起こした。


「飯」

「その前にやることがある」


 村の中央へ向かう。勇者は何も聞かずについてきた。聞かないのはいつものことだ。行き先を聞かない。理由も聞かない。ただ隣を歩く。普段ならそれでいい。だが今日は少し違う。昨夜から口数が減っている。飯の催促も朝の一回だけだ。こいつの語彙から「飯」が消えかけるのは、俺の観測範囲では初めてだ。


 村長の家は、村の中で唯一二階建ての建物だった。石壁に漆喰が塗られている。他の家にはない処理だ。


 扉を叩く必要はなかった。開いていた。待っていたように、老人が椅子に座っている。禿げ上がった頭と、深い皺。目だけが鋭い。地下から出られたことを把握した上で、逃走ではなくここに来ると読んでいた顔だ。


「昨夜、地下に閉じ込めた件について話がある」


「出られたのですな」


 驚いた様子はない。


「あの結界は精霊由来だ。村が精霊と契約を結んでいる。そこまでは分かった」


 老人が俺を見た。長い沈黙があった。それから、ゆっくりと頷いた。


「隠しても仕方がありますまい。あなたは魔術師だ。遅かれ早かれ辿り着く」


「話してもらえるか」

「話しましょう」


 老人が立ち上がり、窓の外を見た。


「この村は、百年以上前から精霊様と契約を結んでおります」



 話はこうだった。


 村の南の林に、土地の精霊が棲んでいる。精霊は土地を肥やし、作物を育て、病を遠ざける。見返りに、年に一度、生贄を求める。


「人間の——」

「ええ。人間の」


 老人の声は平坦だった。


「五十年ほど前、一度だけ生贄を出さなかった年がありました。翌年、畑は全滅しました。井戸は涸れ、家畜は死に、村の三分の一が飢えて死にました」


 老人が窓から目を離さない。


「それ以来、途絶えたことはありません」


「生贄に選ばれるのは」

「精霊様が選びます。我々が決めるのではない」


「昨夜、林の奥で村人が集まっていた。祭壇の前に白い布を纏った者が立っていた。あれは何だ」


 老人の喉が小さく動いた。


「清めの済んだ者を精霊様にお見せする儀です。お受け入れいただけるかを確かめます」


 祭壇の向こうで精霊力の塊が形を成しかけていた。あれが精霊の応答だったのか。


「一つ聞く。俺たちを清めの間に入れたのは、儀式の邪魔をさせないためか」


 老人が黙った。沈黙の質が変わった。


「……精霊様が選ぶのは、一人とは限りません」


 背筋が冷えた。保険だ。精霊が少女以外を欲した時のために、清めておいた。


 老人の目が揺れなかった。揺れない目で、こちらを見ていた。


「今年は」


 老人が初めて俺から目を逸らした。


「——あの子です」


 分かっていた。昨夜の時点で絞れていた。分かっていて、訊かなかった。


「パンをくれた、あの子か」

「ええ」


 勇者が動いた。椅子から立ち上がる音がした。老人が身を竦める。


 勇者は立ち上がっただけだった。拳を握っている。言葉が出ない。見たことのない顔をしている。こいつは怒れば怒鳴る。泣けば泣く。感情がそのまま外に出る回路を持っている人間だ。その回路が詰まっている。怒りなのか悲しみなのか、俺には判別がつかない。


「儀式はいつだ」

「明日の夜です」



 村長の家を出た。


「会いに行く」


 勇者が言った。


「誰に」

「あの子に」


 止める理由がなかった。俺も同じことを考えていた。


 少女の家は村の東の端にあった。村長が教えてくれた。小さな家だ。壁が傾いでいる。手入れをする大人がいない家の傾き方だった。


 扉を叩いた。


「はい」


 少女が出てきた。昨日と同じ格好。籠は持っていない。昨夜の白い布も纏っていない。普通の子供に見える。


「ああ。昨日の」


 少女が俺たちを見て、少しだけ目を見開いた。


「パンの人」

「おう」


 勇者が片手を上げた。


「あの。もうパンはないの。ごめんなさい」

「いや、パンの話じゃない」


 勇者がしゃがんだ。少女と目線を合わせる。


「お前、明日死ぬんだってな」


 少女の表情が変わった。驚きではない。諦めに近い何かが、一瞬だけ走った。


「……知ったんですね」


「村長に聞いた」


 少女が目を伏せた。


「そうですか」


 それだけだった。取り乱さない。泣かない。


「怖くないのか」


 勇者が聞いた。答えを聞いてどうする気だ。こいつは計算で聞いていない。怖いと返ってきた時の次の手を、たぶん持っていない。持っていないまま聞いている。


「村のためだから」


 少女がそう言った。暗記した言葉のように、滑らかだった。


「精霊様がいなくなったら、みんな死んじゃうから」


「お前が死ぬんだぞ」


「うん」


 少女の手が、服の裾を握っていた。指先が白くなるほど力が入っている。声の穏やかさと、指の力加減が噛み合っていない。


「知ってるよ」


 声が揺れた。最後の一音だけ。


 子供の口から出る言葉としては、正しすぎる。あの滑らかさがどうやって身についたのかは、声だけでは見えない。


 ただ、手が震えていた。


 勇者が立ち上がって、少女を見下ろしている。


「待ってろ」


 それだけ言って、背を向けた。


「勇者」


 返事はなかった。待ってろ。何を待てと言っている。何をするつもりだ。答えを持っていない人間が約束だけ置いていった。



 夕暮れ。村外れの井戸の縁に座っている。


 勇者は離れた場所で石を蹴っている。さっきからずっとそうしている。腹が減ったとも言わない。


 整理する。


 精霊に善悪の概念はない。腹が空いたから飯を食う、それと同じ原理で生贄を求めている。人間の倫理を持たない存在の行動原理に善悪を持ち込んだところで、判断の軸そのものが噛み合わない。加護は本物だ。畑は豊かで、井戸は涸れず、病も少ない。対価として命を一つ。取引としては成立している。


 村にも理がある。百年間、これで生き延びてきた。三分の一が飢え死にした記憶がある。生贄を出し続ける以外の選択肢を、持てなかった。持たなかったのではない。持てなかった。


 石を蹴る音が続いている。


 少女は——手が、震えていた。


 全員が正しい。全員が正しくて、子供が一人死ぬ。


 壊すか。精霊との契約を破棄すればいい。勇者の力なら精霊にだって立ちはだかれる。


 だが、契約を破棄すれば加護は消える。五十年前の再現だ。子供一人を救って村を殺す。それは正しいのか。


 座っている石が冷えてきた。


 何もしなければ子供が死ぬ。何かすれば村が死ぬ。どちらを選んでも誰かが死ぬ。


 しかも、正しいかどうかを判断する立場に俺たちはいない。三週間前にたまたま飯を食いに来た旅人だ。


「おい、賢者」

「なんだ、勇者」


「お前、どうしたい」


 黙った。


「分からん」


 嘘ではない。分析はできる。構造は見える。選択肢も見える。その先で起こることも見える。全部見える。


 見えるから、動けない。


「そうか」


 勇者はそれだけ言って、また石を蹴り始めた。蹴り方が少し強くなった。


 空が暗くなっていく。村の灯りが一つずつ消えている。昨夜と同じ順番で。明日の夜が来る。答えは出ていない。


 明日が来る。


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