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理屈屋賢者と脳筋勇者  作者: 布団が本体


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第2話 名もなき村(2)


 目が覚めたのは、足音のせいだった。


 複数。四人か五人。藁の上に寝転がったまま、耳だけで数える。足並みが揃っている。慣れた連中だ。


 勇者はまだ寝ている。五人の足音で起きない。想定の範囲内だ。こいつが目を覚ます条件に「外部からの脅威」は含まれていない。


 納屋の扉が開いた。灯りはない。月明かりだけが、入口に立つ影を照らしている。


「旅のお方」


 昨夜と同じ声。同じ男。今度は二人ではなく、五人連れていた。


「客人に、部屋を用意いたしました」


 丁寧だ。言葉だけは。


「結構だ。ここで十分——」


「いえ」


 男が一歩踏み込んだ。


「お休みになっていただきます」


 男の背後に並ぶ四人が、入口を塞いでいる。


「賢者」


 勇者が起きていた。いつの間に。


「聞こえてたのか」

「腹が減って目が覚めた」


 足音ではなく胃だった。こいつの体の優先順位がよく分かる。


 勇者がむくりと起き上がる。村人たちの体が強張るのが見えた。昨日の昼間、この男がどう動くかを見ていたのかもしれない。


「案内しろ」


 俺が言った。勇者が不思議そうな顔をする。


「行くのか?」

「選択肢がない」


 嘘だ。勇者が暴れれば五人くらいどうにでもなる。だが、暴れた後にこの村で情報を得る手段がなくなる。昨夜の光。あの匂い。知りたいことがある。


「ついてこい、勇者」

「飯は?」

「後だ」



 案内された場所は村の南端で、林の手前に半ば地面に埋もれた石造りの建物があった。昨夜、光が見えた方角だ。入口は石のアーチで、蔦が絡みついている。村の家屋より造りが古い。


 石段を降りる。十段ほどで足元が土から石に変わった。空気が変わった。湿っているのではない。重い。精霊力の密度が地上とは桁が違う。壁は切り出した石を積んだもので、隙間から苔が這い出ている。指先で壁に触れると、冷たい石の奥にかすかな脈動があった。


 広い部屋だった。天井が低い。立って腕を伸ばせば届く程度。四隅に魔石が設置されている。薄青い光を放っている。床は石畳で、中央がわずかに窪んでいる。その光が映り込んで、床面が水底のような色に染まっていた。


 村人が最後の一人まで部屋を出ると、入口が閉じた。


 同時に、結界が起動した。四隅の魔石から精霊力の膜が広がり、壁に沿って展開する。薄青い光の壁が、部屋全体を覆った。均一な圧が肌を包んで、息を吸うたびに胸の内側を押されるような重さがあった。


 閉じ込められた。


「……」


 触れてみる。指先に精霊力の抵抗がある。硬い。力で押しても弾かれる密度だ。


「おい、勇者」

「なんだ、賢者」


「部屋の四隅に設置された魔石から放出された精霊力で、この結界が形成されている。四隅のどこかの魔石を——」


「ふん」


 言い終わる前に、勇者が結界の壁面に拳を叩き込んだ。


 真正面。何の工夫もない。ただの右拳。


 精霊力の膜が歪んだ。一瞬たわんで、弾き返す。


「硬いな」

「聞け。人の話を聞け」


 拳を振っている。痛いのか。気にした様子はないが。


 結界は健在だった。歪んだ膜が元に戻る。復元力がある。一点を殴っても、四隅の魔石が均等に力を補充する。構造で保っている。膜が閉じ直すと精霊力が空気を押し出して、鼓膜の奥にじわりと圧がかかる。


「……やるなら、せめて魔石を狙え。結界の面を殴っても再生する」

「どれ」

「四隅に光ってる石があるだろう。あれだ」

「全部か」

「一つでいい。一つ壊せば均衡が崩れる」


 勇者が右奥の魔石を見たが、結界の膜の向こう側にある。


「あの向こうだが」

「分かった」


 理解したのか、音として受信しただけなのか。こいつの「分かった」には常にその二つの可能性がある。



 勇者が魔石を殴りに行く前に、少し考えさせろと言った。勇者は壁に背を預けて腹が減ったと言った。今日に入って二度目の報告だ。聞こえてはいるが、対処する手段がない。


 結界に手を当てて目を閉じ、精霊力の流れを感じ取る。


 構造が見える。四隅の魔石を頂点とした正四面体。精霊力が頂点間を一定の速度で循環しており、乱れがまったくない。野生の精霊力にこの秩序は出ない。誰かが設計した術式だ。循環の方向を追う。右回り。上の頂点から底面へ降り、三つの頂点を巡って戻る。入口はない。出口のない循環だ。破るか、魔石を壊すか。


 だが、妙だ。指先に当たる精霊力が、温かい。


 掌を押し当てたまま、力の向きを探る。内側だ。精霊力が内に向かって流れている。牢なら逆になる。中のものを封じるなら外へ向けて張るのが道理だ。この結界は中にあるものを包み込んでいる。


 封じ込めではない。では、何だ。


 掌に残る温もりが、加護の手触りに似ている。


 ——清めの間だ。


 精霊に捧げるものを、精霊力で包んで「整える」。そういう用途の部屋。結界は器だ。


 何を清めるのかは——考えたくない仮説が一つある。


 左手の指輪が冷たい。


「……黙ってろ」

「誰に言ってんだ」

「独り言だ」


「おい、勇者」

「なんだ」

「ここは牢じゃない」

「牢だろ。閉じ込められてる」

「構造の話をしている」

「構造はどうでもいい。出られないのは同じだ」


 理屈を積み上げている俺に対して、こういう一言で全部ひっくり返してくる。


「出る方法は分かった。右奥の魔石が一番古い。劣化してる。そこが弱点だ」

「最初からそう言え」

「お前が先に殴ったんだろうが」


 勇者が立ち上がった。


「もう殴っていいか」

「待て。魔石は結界の向こう側にある。結界を貫通しないと届かない」

「貫通する」

「根拠は」

「さっきより強く殴る」


 根拠を求めた俺が悪かった。こいつに力加減の理論を聞いても返ってくるのは「殴る」の一語だ。


「……好きにしろ」


 勇者が右奥の角に向かった。


 構えが変わった。腰を落として、右腕を引く。


「壊す」


 声の温度が違う。さっきのは試し打ちだったらしい。


 拳が結界を捉えた。精霊力の膜が歪む。今度は復元しなかった。膜が裂けた。そのまま拳が魔石に到達し、魔石が砕けた。


 均衡が崩壊した。残り三つの魔石が明滅し、結界が消える。精霊力の残滓が霧のように散った。部屋の空気が一息に軽くなって、石段の上から夜の冷気が降りてきた。


「……」


 散っていく精霊力に手をかざした。加護と同じ質だ。この力は精霊そのものから来ている。村が精霊と何らかの契約を結んでいる。


「出るぞ」


 勇者はもう入口に向かっている。


「飯だ」


 結界を素手で砕いた直後に飯の話ができるのは、こいつくらいのものだ。


「……ああ」



 地上に出た。夜風が精霊力の残り香を散らす。


 月が高い。真夜中に近い村は静まり返っている。


 音がする。南の林の奥から。人の声ではない。精霊力が空気を震わせている音だ。


 林の中に光がある。昨夜と同じだが、今夜は強い。


 足が動いた。


「賢者」

「静かにしろ」


 林を抜けた先に、開けた場所があった。木々が円を描くように途切れ、月明かりが遮るものなく降りている。


 地面に紋様が刻まれている。古い。石畳の隙間から草が生えている。中央に祭壇のような石が置かれている。


 村人が並んでいた。二十人ほど。誰も声を出していない。祭壇を囲むように、半円に立っている。


 その中に——


 あの子がいた。


 パンをくれた少女が、祭壇の前に立っている。白い布を纏って、両手を前で組んでいる。周囲の村人と同じように、無言で。


 ただ、他の村人とは違う——祭壇に一番近い場所に立っていた。


 少女の顔は見えない。背中しか見えない。小さい背中だ。白い布が夜風に揺れている。


 勇者の足が止まった。


 俺の横で、何も言わずに立っている。腹が減ったとも言わない。


 祭壇の向こうで、精霊力の塊が形を成しかけている。


 ——見なかったことにはできない。


 だが、今夜はまだ、理解の外にいる。


 風が吹いた。光が揺らいだ。少女の白い布が翻った。


 それだけだった。


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