屋上の青と無力の僕
第一話
俺は机に突っ伏し、顔を覆ったまま目を閉じている。
なぜって? 眠いから? ……いや違う。
悲しいから? それも違う。
そう、授業中だからだ。
こんな退屈な話、真面目に聞けるわけがない。
ときどき前の席で真剣にノートを取ってるやつがいるけど、
あれはもう頭がおかしい類だ。
そんな連中と同じにされたくない。
どうでもいいことを考えているうちに、チャイムが鳴った。
一瞬で空気が変わる。
あの葬式みたいな静けさは消え、クラスは一気に生気を取り戻した。
「昼、学食行こうぜ!」という声があちこちから上がる。
俺も立ち上がる。……久しぶりに動いたせいか、腰が重い。
それでも無理に教室を出て、人気のない階段を登った。
五階。
ポケットから針金を取り出す。屋上の鍵を開けるためだ。
小学生のころ、「鍵を開けられたらかっこいい」と思い込んで、独学で練習していた。
まさか今になって役立つとは思わなかったけど、
当時の俺を少し褒めてやりたい。
ガチャリ。
一分もしないうちに、鍵は開いた。
扉を押し開けると、視界いっぱいに青空が広がる。
あまりに眩しくて、思わず目を細めた。
「俺とは真逆だな」
青くて広い空。俺の人生とは正反対の色だ。
俺も空みたいに明るく生きられたら、
こんな場所に逃げ込むこともなかっただろう。
まあ、そんな奇跡ありえないけど。
そう呟いて、給水タンクへ向かう。
ハシゴに手をかけた瞬間、遠くから歓声が聞こえた。
「……なんだ?」
グラウンドだ。生徒たちの熱狂する声。
そこに一人、白い髪の少年が立っている。
俊崎 真弘人。
青権学園のトップにして、生徒全員が憧れる“完璧な存在”。
その俊崎の前に、一人の男子生徒が立ちはだかっていた。
手には金属バット。怒鳴り声が風に乗って届く。
多分、俊崎に逆らったんだろう。
男子が突進する。
その瞬間――空気が、凍った。
俺は息を呑む。
気づいた時には、男は地面に倒れていた。
俊崎は微動だにしない。
何が起きたのか、理解できなかった。
……いや、本当はわかっていた。あの一瞬で“倒した”んだ。
でも脳がそれを拒んでる。次元が違いすぎる。
数秒後、歓声が爆発した。
生徒たちは狂ったように俊崎を称える。
その光景を見た瞬間、俺の中で何かが冷めた。
――力がないやつは、何もできない。
好かれることも、必要とされることもない。
俺に居場所なんて、あるのか?
居たところで、何ができる?
この世界は“力”がすべてだ。
人は生まれた瞬間、何かに“愛され”、
その証として“力”を与えられる。
だが俺は違う。
何にも愛されなかった。
だから何の力も持たない。誰からも見向きもされない。
ただの置き物として、ここまで生きてきた。
「俺が何をした……?」
どれだけ問いかけても答えは返ってこない。
――だから、もう諦めた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
「……行かなくていいか。どうせ意味ないし」
俺はタンクの上に横たわり、瞼を閉じた。
このまま、少しだけ現実を忘れよう。
「おい。そんなところで何してる」
聞き慣れない声で、意識が浮上する。
「うるさいな……なんだよ」
ぼやけた視界が、次第に焦点を結ぶ。
――俊崎、真弘人。
「な、なんでお前がここに!?」
「今日、校庭で喧嘩があったろ。そのとき屋上から妙な気配を感じた。
気になって来てみたら、お前が寝ていた、というわけだ」
「妙な気配? 何それ、俺じゃないけど」
俊崎は短く息を吐いた。
「……そうか。ならいい。だがここは立ち入り禁止だ。早く戻れ」
「はいはい、ご忠告どーも」
俊崎は扉を閉め、去っていく。
妙な気配、ね。
あんな完璧人間の言葉なんて、俺には理解できるわけがない。
再び目を閉じようとしたその時――
……なんだ?
綺麗な青空に何か飛んでいる。
初めて見るものに違和感を覚える。
あれはなんだ?
俺は体を起き上がらせ、もう一度その何かを見ようとした。
だが俺がもう一度見た時、その何かはいなかった。
――なんだったんだ? あれは。
そう考えていると、おかしな感覚に襲われた。
俺は何を見た?
さっきまでの出来事が記憶から消えていく。
そう、何もなかったかのように思い出せない。
何かを見たのは覚えている。
だがその“何か”が、意図的に消されているような感じがした。
俺は思い出そうと必死に考えていると、ふと下から声が聞こえる。
校舎の外で誰かが話をしているようだ。
俺は誰か気になり、屋上から下を見下ろす。
――あれは?
俺の目に映ったのは、生物の教師・瀬上と、
見たことのない知らない男が向き合って話し込んでいた。
瀬上がこんなところで何してるんだ?
今は授業中のはずだ。
俺は不可解に思い、二人の話を盗み聞くことにした。
ただここは五階。
何を言っているのか聞こえるわけもない。
俺は身を乗り出して耳を傾けようとする。
その時、小石のようなものが体に当たり、地面へと落ちていく。
――しまった。
だがもう遅かった。
謎の男と瀬上に気づかれてしまった。
その瞬間、瀬上は姿を消し、俺は見失う。
どこ行った⁈
「何してる」
いきなり背後から“殺意”のようなものを感じ取る。
ようやく、自分の真後ろに瀬上がいることに気づいた。
「お前、なんでこんなところにいるんだ?」
「ごめんなさい。授業サボっていました。すぐに戻ります」
――こう言わないと、後々めんどくさいことになると思い、
俺は瀬上に謝り、屋上の出口へ向かおうとした。
「おい、お前名前は?」
「千里です」
「千里か。……お前、ここで何か変わったことは起こらなかったか?」
「変わったこと?」
そう言われてみると、何かを忘れている気がする。
「何かが空を飛んでいたような……」
僕がその言葉をつぶやいた瞬間、瀬上の姿が――消えた。
いや、消えたんじゃない。正面にいる。
速すぎて見えない。
……わかる。これは、死んだな。そう確信した。
何か僕は、気づいてはいけないもの。
触れてはいけないものに触れてしまったと。
――まあ、生きててもしょうがないしいいか。
俺は諦めて、世界から消えることにした。




