旦那様は愛おしい妻をずっと閉じ込めたい
「ウィルさま、みてみて!おかあさまからすてきなおみやげをもらったんです!」
そう言って幼い少女の手には小さな犬のフィギュアがあった。
ここはメイシー公爵家にある客室。使用人たちが見守る中、少女と少女より年上の少年がソファに座って談話している。
ピンクのウェーブした髪に緑目をした少女は人懐こい笑みで、ミルクベージュの髪と同じ色の瞳をした少年に話しかける。
話しかけられた少年はおっとりとした雰囲気で興味深そうにそれを眺める。
「箱庭?シエナの好きな可愛いもので溢れてるね」
小さな小さな箱庭。円を描くように台座があり、家の中なのだろう。ぬいぐるみ、木馬、積み木など、パステルカラーのミニチュアで溢れている。
そして真ん中には男の子と女の子のフィギュアが置かれてあった。
それに目が止まったウィルは首を傾げた。
「これは?」
「これはウィルさまとわたし!ずーっといっしょにいるやくそくしたから」
ね!とシエナは満面の笑みでウィルに微笑みかける。
その約束というのは、親の間で決めた婚約のことで、お互いの身分を守るための婚約である。幼いシエナは事の重大さに気付いていないが、優しくて頼れるお兄さんなウィルのことを慕っていた。
ぽかん、としたウィルだがにこにこしているシエナに嬉しくなってにこりと微笑んだ。
彼女の小さな頭を撫でると優しく言った。
「そうだね、ずっと一緒にいようね」
*
ここは東の国にあるとある屋敷。
書斎には一人の男性か、窓から見える庭にはその男性の妻が侍女たちと談話している。
「ウィル様!」
「シエナ、どうしたの?」
窓から顔を覗かせるシエナは花が咲くような笑顔で彼を呼ぶ。近づいたウィルは優しく微笑んで嬉しそう。
「少し屈んでくださいまし」
「?こうかな?」
言われた通りに屈むとふわりと頭に何か乗った。紫やピンクの花が咲く冠だ。
「とてもお似合いです!侍女たちと作ったんですよ、ウィル様にプレゼントです!」
「ふふ、そうかな?大切にするね」
そう言ってシエナは侍女たちとところへ戻ってしまった。
ウィルは花冠を棚に置くと隣には箱庭があった。
ことん、と箱庭に花の冠のフィギュアが置かれる。物で溢れた箱庭には少年と少女のフィギュアも置かれていた。
これは昔、シエナがウィルの屋敷に持ってきたものと同じものだ。その時は持って帰ったが、結婚してからはその箱庭はウィルの書斎にある。
ぼうっとした瞳でウィルはそれを眺める。
幼い頃から好きで、愛おしくてたまらなかった彼女と結婚してとても幸せな日々を過ごしている。
そう、幸せな筈なのだ。
(ああ…閉じ込めたい…)
それは間違っていることだとはわかっているけれど。
ある日、シエナが街に出掛けた時に買った侍女のフィギュアが箱庭の外の箱に入れてある。ウィルはそれを摘まんで少年少女の背後に置こうしてやめた。
幼い頃から大切に大切にしてきた。やっと結婚できて、浮かれてしまいそうな気持ちを必死で抑えた。
けど、彼女は結婚前と何も変わってなくて。
慕ってくれてるのは分かっているけど、それはきっと兄としてだ。
『私に兄はいませんが、ウィル様のことをお兄様だと思ってますわ!』
昔、満面の笑みで言われたことを思い出す。まだ幼子だった頃の台詞だ。
兄として純粋に慕っている君にこんなどろどろした感情を悟られる訳にはいかない。
書斎のデスクをポツンと置かれた手紙を手にとってウィルは深くため息を吐いた。
*
「これはこれは、ウィル様とシエナ様が社交会に参加してくださるなんて嬉しいですわ」
と、目の前の主催の婦人は嬉しそうに頬ばせる。
シエナをあまり人の目に晒したくないウィルははは…と小さく微笑む。そんな彼は隣に入るシエナをちらりの盗み見ると黄色いドレスに花飾りをつけて着飾ったシエナは目を輝かせて会場を眺めている。
(ああ、…連れて行きたくなかったのに)
しかし、あまり社交界を断っては仕事にも影響が出る。出るしかなかった。
そんなウィルの心情を知らない婦人は口を開いた。
「ウィル様に紹介したい方がいらっしゃるの。シエナ様、ウィル様をお借りしても?」
「はい!私はパーティーを楽しんでますね!」
人懐こい笑顔で返事するシエナにウィルは心配そうに彼女の髪に触れる。
「シエナ。何かあったら俺のところにすぐに来てね」
「もう、ウィル様は心配性ですね。でも分かりました」
素直な妻を案じつつ、ウィルは彼女から離れた。
ああ、心配で仕方ないと後ろを振り返ると早速彼女は他の貴族の男性と話していた。
心臓がどくりと嫌な音を立てた。
今まで他の虫が近寄らないようにずっと彼女の側にいた。彼女が生まれる前から結婚の約束をしていた。最初は自分も妹のように可愛がっていたが、成長するにつれそれは恋心へと変わっていき、薄暗い感情へと落ちていった。
何度も、心底彼女と婚姻の約束をしていてよかったと思ったことか。
「ウィル様、こちらの方は…、……」
と婦人がとある子爵を紹介する。
その話を頭に入れながら、同時に考えるのは妻のこと。
彼女は人懐こく愛想もいい。近づく男はいくらでもいた。その度に学生の頃は婚約者として立場をいいことにその男たちを蹴散らしていた。
今、愛しの妻が他の男と何を話しているのか何かされていないか不安で仕方ない。
婦人に一言だけ断りを入れてウィルはシエナの元に戻っていった。
「いやあ、こんな可愛らしい娘がいるなんてな」
「まだ婚約は決まってないか?良かったら俺の息子とどうだ?」
「あはは、私はもう結婚してるので…」
自分の親と同じ年齢くらいの男性二人と話しているシエナは愛想良くにこにこしていた。
「この屋敷で出るスイーツは格別なんだ。沢山食べるといい」と男性は皿に乗った色とりどりのケーキを差し出してきた。
「まさか、こんな可愛い妻を一人にする旦那がいるかって」
そんな言葉を聞こえないふりをしてシエナは笑顔で応える。
「わ、美味しそうですね!」
目を輝かせてそれを受け取ろうとした。
ウィル様は幼い頃から一緒にいてくれた。私が生まれる前から決まっていた婚約だったけど、ウィル様は優しくて穏やかで素敵な人だ。
幼い頃から兄のように慕っていたけれど、いつしかそれは恋になった。けど、彼はきっと妹のように想ってくれている。
いつも優しく微笑んでくれるその表情は、昔から変わらなかった。
(初夜だって抱いてくださらなかったし、…私は本当にただの妹なんだわ)
それでも一緒にいられるだけで嬉しかった。
そんな心の突っかかりのせいで言い返せもせず、聞こえないふりをしてしまった。
「私の妻に勝手なことを吹き込まないでくれませんか」
ふと、大切な人の声が聞こえた。はっとして顔を上げると目の前にウィルが立っていた。こちらに背中を向けていて表情はよく分からない。
でも怒っていることだけは声音で理解できた。
振り向いたウィルは眉を下げて心配そうにシエナを見た。そして彼女の頬に優しく触れた。
「ごめんね、一人にして。もう大丈夫だよ」
「ウィル様…」
淀んでいた気持ちが澄んでいく感覚がしてほっとする。
しかし、それも束の間、
「もう帰ろう。婦人には話を付けておいたから」
「え、え?でも折角の楽しいパーティーなのに」
「大丈夫、楽しいことなら屋敷でも出きるから」
そう言ってウィルは彼女の細い手首を掴んで会場の扉へと向かう。
「ウ、ウィル様、?」と困惑した声で名前を呼ぶが、彼は返事をしてくれなかった。
*
ぎしり、と心が軋む音がした。
「きゃっ」
ここは二人の寝室。ベッドに無理やり座らされて、思わず声が漏れる。ウィル様に乱暴にされるのは初めて、と目を丸める。
「だからシエナを外に出すのは嫌だったんだ…この子は自分が如何に魅力的な女性だと分かっていないのだから…」ブツブツと何かを呟いている彼の瞳は光が灯っていなかった。
「ウィル様…?」
何を言っているのかしら…と彼女は恐る恐る彼の頬に触れる。その温もりにはっとしたウィルは目を泳がせてそれを受け入れる。
「…シエナ。俺は君のことを愛してるよ」
「私もです。ウィル様」
しかし、ウィルは悲しそうな顔をして俯いてしまった。いつの間にか彼女の肩を両手で掴んでいた。
「違うよ…キミの好きは俺のとは違うよ…。俺はずっと昔からシエナに恋してたんだよ。やっと結婚できて、やっと俺のものになってくれたのにキミの心は手に入らない。シエナは外に笑顔を振り撒いて着飾ってどんどん綺麗になって、他の人間が君に目尻を下げるところを見るのは耐えられない。…シエナが俺を兄として慕ってくれていること分かってる。だから…」
「ウィル様!違います!」
慌ててシエナはウィルの言葉を遮る。ぎゅっとウィルを抱き締めると顔を真っ赤にして強く言った。
「私は本当にウィル様のことを愛してます!確かに昔は兄として慕っていたこともありますが、今は私の旦那様です!旦那様として愛してます!私が笑顔でいられるのも、着飾るのも旦那様がいるからです!旦那様に愛されたい、から、…その…」
勢いで言ってしまって、冷静になり顔を更に真っ赤にしてしどろもどろになってしまった。
「…」とウィルは目を見開いて彼女からゆっくり離れる。彼女は、今、何て言った?と心の中で彼女の言葉を少しづつ噛み締める。
そうして漸く理解すると酷く嬉しそうに眉を下げて、彼女を優しく抱き締めた。
「ごめんね、シエナ。俺は酷い勘違いをしていたみたい。シエナはちゃんと俺を好きでいてくれてたんだね」
「はい…!わかってくれて嬉しいです」
「…俺も。ねえ、シエナ」
ふっとシエナに影がかかる。
にこにこ、といつも通り優しく微笑むウィル。
「シエナは俺がいるから笑顔でいられるの?」
「はい!私はウィル様が大好きですから!」
「ふふ、俺も大好きだよ。…そうだよね、俺さえいればいいよね。なら、早く作らなくちゃ」
「?ウィル様?」
話が理解出来ない、とシエナは首を傾げる。しかし、愛しの旦那様がはにこりと優しく微笑むだけだった。
*
ある日の昼下がり。二人の寝室のドアの外に二人の男性がいた。一人はウィルでもう一人はドアノブに何かを取り付けている。
「…公爵様。本当によろしかったのですか?寝室に外鍵を取り付けるなんて…」
「ええ、もちろんです」
「…」
「内側からも新しく鍵をつけてくださいね」
彼は街で鍵屋の経営している店主。ウィルから寝室に外鍵を付けて欲しいとの依頼に不信感を抱きつつも、公爵様に意見することを出来ず、作業を進める。
作業が終わった店主は足早にその場を去っていった。あまり関わりたくないと判断したのだ。
一人残されたウィル様ははあ…と光悦とした表情でドアにもたれかかった。
思い浮かべるのは愛おしい妻の笑顔。
「そう…ずっと一緒にいようね。外の世界からの危険からも俺が守ってあげる。今度は俺が用意した箱庭で末長く暮らしていこうね、シエナ…」




