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リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
名を失った均衡世界
51/53

薄明花の丘

侵攻する、マグナレオール兵たち。

覚悟は、決まっていた。


その時までは。

 その丘は、ノクスヴァイにあった。


 暖かくなると、薄い花びらをつけた白い花が一面に咲く。

 風が吹くと花びらは軽く舞い上がり、丘全体がゆっくりと白に染まる。


 “薄明花(はくめいか)の丘”


 人々は、そう呼んでいた。


 今はもう、その花を見にくる者はいない。

 避難はとっくに終わっている。


 丘には、見慣れない(はた)が立っていた。

 ところどころで上がる、煙。


 ()き火の跡と、踏み荒らされた白が混じり合っていた。


 彼らは丘の上で足を止め、装備を整えている。

 息を落ち着かせ、水を一口だけ含み、互いに短く言葉を交わす。


 一万を超える軍勢。


 静かだった。


 朝方の淡い霧が、丘の下を薄く(おお)っている。

 遠くまで見渡せるのに、まるで夢の中にいるような気分だった。


「……おい」


 小さな声が漏れた。


 一人の兵が、その声に反応して視線を上げる。


 霧の向こう。

 地平線のあたりが、わずかに黒く(にじ)んでいる。


 最初は、影だと思った。


 次第にそれは、はっきりとした輪郭(りんかく)を持つ。


 横にも、影。

 さらにその向こうまで、影が続いている。


 気付けば地平線の端から端まで、黒に染まっていた。

 

 わずかに、息を呑む。


 津波のようだった。


 黒い、津波。


 ゆっくりと。こちらへ押し寄せてくる。


 誰が指示した訳でもない。

 丘の上に一人、また一人とマグナレオール軍が並んでいた。


 兵たちは、誰も声を出さない。

 ただ、目の前の光景に圧倒されている。


「……人だ」


 誰かが呟いた。


 旗が無数に揺れている。


 ヴァルデン。

 ノクスヴァイ。

 ルミナス。


 三国(さんこく)の同盟軍。


「……まだ距離あるのに、あの数かよ」


 その(つぶや)きは、風に流れていく。


 黒の津波はやがて目前まで(せま)り、ぴたりと、止まった。


 およそ2キロメートル。


 もう、全員が理解していた。


 数が違う。


 地平線の端から端まで黒で埋め尽くされている。


 呼吸をすることすら、慎重になる。

 自分の小さな動き。それにも神経を張り巡らせる必要があった。


「軽く見積もっても……こっちの五倍以上はいるよな」


 誰も返事をしない。


 風が少しだけ吹いた。


 今、薄明花(はくめいか)の丘は──六万を超える人間によって、黒く染まっていた。


 目を閉じて、開ける。


 ──まだ、夢を見ている?


 だが、何度繰り返しても。


 目の前の光景は、変わらなかった。


 時間だけが流れていく。


 足が痛い。一体どのくらい、ただ立ち尽くしているのか。


 その時。


 丘の上の、どこかで。


 がさり、と音がした。


 *


 音がした。


 自分が出した音だと、最初は気づかなかった。

 さっきから、身体が言うことを聞かない。


 気づいた時には、もう膝が折れていた。


 ──音を出した。僕が。


 そう思った瞬間、背中に冷たい汗が流れた。


 見られたかもしれない。

 怒られるかもしれない。

 殺されるかもしれない。


 頭の中がぐちゃぐちゃのまま、思考は進んでいく。


 どくどくと心臓の音だけがやけに大きくて、喉が乾いて、息がうまく吸えない。


 立てない。

 立たなきゃいけないのに。


 視界が(ゆが)む。

 (ひたい)を擦ると、汗がべったりとついた。


 この、汗の量。明らかにおかしい。

 

 ──こんなところにいる場合じゃない。

 早く国に帰って、医者に()てもらおう。


 また、立とうとする。

 でも足は自分のものじゃないみたいに、勝手に震えている。


 乾いた土の感触が、冷たい。


 このまま冷たい地面に触れ続けたら、凍えて死んでしまう。

 それほどに冷たい。それに、寒い。


 帰ろう。僕は恐らく、風邪を引いている。

 認めてもらえるだろう。いつも、熱があるとすぐに帰っていいと言われるから。


 立てない。

 だから、()った。


 手を前に出して土を掴んで、少しずつ立っている人たちの後ろへ。


 とにかく、後ろへ。


 爪の間に砂が入り込む。

 膝を擦る。


 だがそんな痛みなど、少しも感じなかった。


 ふと、気づく。


 誰も僕を見ていない。


 誰も、気づいていない?


 這って動いている人がいる。

 そんな非日常の風景に、誰も疑問を持たないのか?


 なぜ──そこに思考が行き着いたと同時に。


 思い出してしまった。

 

 そうだ。

 僕はここに、連れて来られたんだ。


 マグナレオールのために戦えと、言われた。


 既に日常は、死んでいる。


 全員が前を見ていた。


 あの黒い津波を。


 這いながら、必死に距離を取ろうとする。


 腕が、何かにぶつかった。


 重くて、硬い感触。


 次の瞬間。


 ぐらり、と視界の端で大きな影が傾いた。


 地面に突き立ててあった、大きな松明(たいまつ)


 ゆっくりと、倒れていく。


 止めようとして、手を伸ばした。


 手が届いた。だけど、重い。

 懸命に支えようとする。


 だが、そもそもの体勢に無理があった。


 火が落ちた。


 乾いた花と、木材の上に。


 一瞬で、燃え上がった。


「……っ」


 息が詰まる。


 火が、広がる。


 小さな火だった。


 でも、すぐに分かる。


 まずい。


「おい、なんだ!?」

「火だ! 火が出てるぞ!」


 止まっていたはずの周りの時間が、一気に動き出した。


「誰だ!」

「すぐ消せ!!」


 怒鳴り声が飛ぶ。


 心臓が、跳ねる。


 違う、僕じゃない。たまたま倒れただけだ。

 そんな言い訳を心で何度も呟いた。


 震える手で、近くに落ちていた木を掴む。


 火を叩いた。


 何度も、何度も。


 土を蹴り上げて、かける。


 煙が目に入って、(せき)が出る。


 息が切れる。頑張っているのに、火が消えない。


 必死に叩いた。


 消えろ。


 消えろ。


 消えろ。


「……あ…」


 火が小さくなった。


 黒い煙だけが空に(のぼ)っている。


 助かった。


 怒鳴り声も、もう聞こえない。


 怒られずに済んだ。……良かった。


 大丈夫、僕は冷静だ。


 視線は、まだ地面に固定されていた。


 まず、立ちあがろう。


 視線を少し上へと向ける。


 焦げた木片が、散らばっている。


 自分の持っていた槍が、少し離れたところに転がっている。


 ──揺れていた。


 細かく、震えている。


 最初は、自分の身体が震えているのかと思った。


 違う。


 地面が、震えている。


 低い音が、足元から伝わってくる。


 数秒遅れて、理解した。


 地鳴りだ。


 ゆっくりと、顔を上げた。


 目の前にいる人間たちが、全員同じ方向を見ていた。

 僕の、後ろ側を。


 口を、少しだけ開けて。


 目を、見開いたまま。


 まるで何かに飲み込まれたみたいに、動かない。


 ……みんな、何を見ているの?


 後ろを見てしまった。見なきゃ良かったのに。


 黒い津波が、動いていた。


 さっきまで止まっていたはずの同盟軍が、押し寄せて来ていた。


 地面が震える。

 空気が震える。


 叫び声が、壁みたいにぶつかってくる。


 身体ごと揺れている。


 喉が、勝手に開いた。


「……っ」


 声が、出ない。


 目の前の現実が、理解できない。


 あんな数が。


 あんな速さで。


 こっちに向かって、走ってくる。


 足が、また動かなくなってる。


 次の瞬間、叫んでいた。


「──死に」


 声が、裏返る。


「死にたくない!!」


 その声をきっかけに、周りが一斉に動き出した。


「……あ」

「……そうだ。……迎撃(げいげき)。迎撃しろ!!」


 皆がバラバラに叫ぶ。統率など無かった。


「図式を起動しろ!!」

「魔法陣が展開できない!」

「早く!!」


 それはほとんど、悲鳴のようだった。


 誰かが、走る。方角も分からないまま。


 誰かが転び、それに誰かがつまづいた。


 そして──


 ぶつかった。


 音より先に、空気が歪んだ気がした。


 視線の少し先で、何人かの味方が一斉に背を向けた。


 逃げている。


 ほとんどが、もう逃げていた。


 立ち向かおうとした者も、いたのかもしれない。

 だが、次の瞬間には弾き飛ばされていた。


 全力で走る巨大な荷車に、身体ごとぶつかったみたいに。


 人が何人も浮いて。


 そのまま後ろへ、転がる。


 地面に叩きつけられて、動かなくなる。


 僕は、ただ見ていた。


 何が、起きているの?


 音がして、視線を目の前の地面へと向けた。


 何かが足元に転がってきた。


 人間だった。

 思い出す。この人は、マグナレオールの兵士。


 僕の、味方だ。


 顔は見えない。


 胸のあたりが、(よろい)ごと不自然にへこんでいた。


 この人──動かない。

 

 もしかして。


 死んでる?


 怖くて、気持ち悪くて、確かめる気が起きない。


 逃げろ。


 さっきから、そう言われている気がする。


 でも、何から?

 どこへ?


 もう、何もわからなかった。


 ただ、見ていた。


 何もできずに。


 その“モノ”を、見ていた。


 その瞬間。


 上から、影。


 ずん、と。


 地面が揺れた。


 何か大きなものが、落ちてきた。


 岩だった。


 目の前に落ちると同時に。


 ぐしゃり、と。


 嫌な音がした。


 同時に、何かが自分の鎧にぶつかってきた。


 痛い。重い。


 それに──ぬるい。


 何かが、肩を滑り落ちる。


 これは、何?

 生っぽい匂い。それと、()びたコインを触った時のような。


 見たくなかった。

 でも、見てしまった。


 人の身体だったもの。


 どこかの臓物(ぞうもつ)


 形を、(たも)っていない。


「……」


 声は、出なかった。


 やっと理解した。


 逃げなきゃ、死ぬ。

 でも、逃げるだけじゃ、死ぬ。


 気づかないうちに、手が勝手に動いていた。


 図式をなぞる。


 空気の中から、魔力を()き集めるようにして。


 流す。


 自分でも驚くほど、(なめ)らかだった。


 魔法陣が、一瞬で完成する。


 こんなに早く魔法陣を起動できたことなんて一度も無かった。


 そのまま、地面に触れる。


 地面の性質を、変える魔法。


 砂が、沈んでいく。


 細かくなって、まとわりつく。


 (ねば)りを持って、(から)みつく。


 前方一帯が、泥のように変化した。


 足が、取られて動きづらそうにしている。


 走れない。


 敵も、味方も。


 前へ進もうとして、みんなもがいている。


 転ぶ。

 踏まれる。

 叫び声が、重なる。


 次々と、倒れていく。


 同盟軍の勢いが、止まった。


 前に進めてない。足を取られている。


 それを見て、思考が加速した。


 ──殺せば、生き残れる。


 死んだ人は、何も言わない。

 だから僕が味方ごと敵を殺したなんて、誰にも分からない。

 

 手は、止まらなかった。


 次の図式を思い出す。


 線をなぞる。


 魔力を流す。


 また、完成する。


 考える前に、身体が動いていた。


 頭の中が、ぐちゃぐちゃになっていく。


 魔法陣だけが、次々と完成していく。


 地面が焼け始めた。


 既に燃えていた炎の向きを変更し、泥の地帯へと誘導する。

 泥に、引火しやすいという性質を付与する。


 味方も敵も関係なく、火に包まれていく。


 もがいて、叫んでる。みんな。


 生きたまま、焼かれていく。


 勝てる。


 勝てる。


 勝てる。


 生きられる。


 生きて、帰れる。


 同時に、胸を占める満足感。

 今までに感じたことの無いような高揚感(こうようかん)


 怖い、嬉しい、悲しい。

 どれも違う。


 魔力が、僕の手を通って形を作る。


 僕の思い通りに、人間が死んでいく。


 これは──魔法の”可能性”だ。


 その中心は、僕だ。


 涙が、頬を伝ったことに、気が付かなかった。

 狂ったように、笑っていた。


 それすら、気づかない。


 黒く焦げて、形を失っていくモノを見ながら。


 笑っていた。


 その時。


 何人かが、炎の中から飛び出してきた。


 命からがら逃げてくる。


 こっちへ、向かってくる。


 熱された鎧を(まと)って。


 転びながら、這いながら。


 その進行方向の先は。


 僕だった。


 避けるということすら、もう理解できていなかった。


 ぶつかった。


 視界が、変わっていく。


 空を飛んでいた。


 そのまま、背中から地面に叩きつけられる。


 ──痛い。


 身体にとんでもない衝撃が走った。

 息が、できない。


 何が起きた?


 何が、起きた?


 倒れている。地面に?


 目を開けると、目の前に、足があった。


 視界が完全に覆われる。


 逃げ──


 ゴキュ、と。


 頭の奥で、大きく嫌な音がした。


 何かが折れる音。


 そこで。


 僕の意識は、消えた。

ほんの一部に過ぎません。

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