表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
始まりの国
5/52

戸惑いの先

能力に気付いたリラ。

その日から、彼女の“世界の見え方“は変わっていく。


 馬車の往来(おうらい)が多く、荷を積んだ商人たちが声を張り上げている。

 凶作の影響で、人々の動きは慌ただしい。

 必要なものは、早く、確実に運ばなければならない。


 私は、その様子を横目に見ながら歩いていた。


 いつもなら、自然と視線が先へ先へと伸びる。

 危険がないか、人の流れはどうか、音は重なりすぎていないか。


 けれど今日は──

 意識的にそうしなかった。


 通りの向こうで、声が上がる。


「危ない!」


 反射的に顔を上げた。


 馬車が、傾いている。

 石畳のわずかな段差に車輪が挟まり、積荷が不安定になっていた。


 木箱。

 中身は、陶器(とうき)だ。


 時間が、嫌なほどゆっくりに感じられた。


 箱が崩れる。

 紐がほどける。

 白い陶器がいくつか、宙に舞う。


 ──落ちる。


 その下に、小さな女の子がいる。


 次の瞬間、私の頭の中で映像が勝手に繋がった。


 落ちる。

 割れる。

 鋭い破片が、足に──


 そこまで考えて、息を呑んだ。


 遅い。


 気づくのが、遅すぎた。


 止めなきゃ。

 今なら、止められるはずだ。


 私は、心の中で強く願った。


 ──止まって。


 けれど、世界は何も変わらなかった。


 陶器は地面に叩きつけられ、甲高い音を立てて砕け散る。

 女の子の短い悲鳴。


 人が駆け寄る。

 血が、石畳に落ちる。


 私は、その場から一歩も動けなかった。


 ──違う。


 違う、違う。


 できなかったのは、力が足りなかったからじゃない。

 気づくのが遅かったからだ。


 もっと早く。

 もっと早く異変に気づいていれば。


 助けたい、と思う前に、

 もうダメだ、と考えてしまった。


 それがすべてだった。


 女の子は抱え上げられ、治療のために運ばれていく。

 足には陶器の破片が食い込み、頭部からは血が流れていた。


 命に別状はないと、誰かが言った。


 それでも、胸の奥が冷えたままだった。


「……ごめんなさい」


 誰にも聞こえない声で、そう呟いた。


 私は、助けたかった。


 でもそれ以上に強かったのは、

 ──もう間に合わない、という確信だった。


 想いの強さ。


 それが、足りなかったのだ。


 私はそう結論づけて、唇を噛んだ。


 通りを再び歩き出す。

 けれど、足取りは重い。


 あの時、もし。


 もし、あの瞬間に、迷わず手を伸ばせていたら。


 ──この力は、優しくない。


 使い方を誤れば、何も救えない。


 *


 会議室は、熱を帯びていた。


 凶作の影響。

 西との交渉。

 北の沈黙。


 議論は白熱し、誰もが言葉を切らさない。


 その中を、給仕(きゅうじ)の女性が静かに歩いていた。

 銀のポットから、赤褐色(せきかっしょく)の液体を注いで回る。


 眠気を覚ますための、熱い液体。


 湯気が立ちのぼり、空気にかすかな良い香りが混じる。


 次の瞬間だった。


 リラの横にいる男が、身を乗り出して強く机を叩いた。

 怒気(どき)を含んだ動き。


 その腕が、女性の手に当たる。

  

 ──危ない。


 次の瞬間、ポットが跳ね上げられた。


 空に舞う銀色。


 誰もが見た。


 このままでは、あの女性の顔に──


 私は、反射的に前へ出ていた。


 助けたい。


 その想いだけが、はっきりしていた。


 時間がどうとか、考える余裕はなかった。


 ただ、女性の上体を、強く引く。


 体を後ろへ。


 間に合え。


 女性の体が傾いた、その直後。


 ポットは彼女の頭上をかすめ、

 何事もなかったかのように背後の床へ落ちた。


 鈍い音がして、紅茶が床に広がる。


 室内が、数拍遅れてざわめいた。


「今の……」

「……危なかったな」


 女性は、呆然としたまま立ち尽くしている。


 私は、彼女の肩を支えたまま、息を吐いた。


 ──できた。


 さっきとは、違う。


 同じように危険な場面だったのに。

 同じように未来が見えていたのに。


 今度は、体が動いた。


 止められた。


 さっきとの違いは、何?


 私は答えを探すように、自分の手を見つめた。


 時間を止めた感覚は、なかった。

 巻き戻した感触も、ない。


 それでも、確かに。


 さっきはできなかったことが、

 今はできた。


 ……やっぱり。


 想いの強さ?


 助けたい、という気持ちが足りなかった?

 迷ったから、止まった?


 分からない。


 分からないけれど。


 このまま放っておくわけにはいかない。


 私は、そう確信していた。


 *


 会議室を出た後も、指先の感覚が戻らなかった。


 あの瞬間、私は確かに動いた。

 動けたはずのない速さで。

 それなのに、呼吸は乱れず、胸の奥だけが熱くて冷たかった。


 あのままでは、確実に女性の顔へポットが直撃する(はず)だった。

 能力は、発動していた。


 ……なら、さっき助けられたのは、何が違った?


 朝の道。

 傾いた馬車。

 落ちる陶器。

 そして、少女の足。


 私は、気づくのが遅かった。

 遅い、というのは罪だ。

 目が追いついた時には、もう、頭の中で出来事が最後まで走ってしまう。


 落ちる。割れる。刺さる。

 それから先──


 そこまで想像してしまった瞬間、身体が動く余地は残っていなかった。

 「助けたい」より先に、「もう間に合わない」と信じてしまった。


 その日の二つの出来事は、私の中に問いを置いていった。


 同じように危ない。

 同じように一瞬。

 同じように、私はそこにいた。


 ──なのに、片方は助けられた。片方は助けられなかった。


 私は、考えずにいられなかった。


 怖い。

 けれど、このまま曖昧(あいまい)にしておく方が、もっと怖い。


 だって、次はルシアかもしれない。

 次は誰かの「当たり前」かもしれない。


 私は息を吸って、吐いて、決めた。


 確かめる。

 自分の手で。


 *


 城下町の外れには、作業場がいくつもある。

 修繕中の木材、荷造りの麻縄(あさなわ)、積み上げられた木箱──人の暮らしを支える、雑多な匂いがする場所だ。


 そこを選んだのは、目立たないから、ではない。

 人が少ない時間を選べる。

 そして、私が“動かすもの”を、私が決められるからだ。


 積み上げられた木箱の列。

 壁際に寄せられた荷。

 大きい箱ほど下、軽い箱ほど上。


 倒れるなら──こっち。


 私は、倒れる方向を確認した。

 倒れれば、箱はまっすぐ通路側へ雪崩(なだれ)れる。

 そこには、誰もいないはずだった。


 だから私は、試そうと思った。


 ……時間が。


 ほんの少し戻るのか。

 どこまで戻れるのか。

 何を戻せて、何を戻せないのか。


 戻せるなら。


 掌にうっすらと、汗が滲んでくる。


 そして私は──わざと重心を崩した。


 木箱が、(うな)りを上げて崩れ始める。


 乾いた木の擦れる音。

 連鎖の始まる音。


 私は待った。

 危ない、と感じるまで。

 そこからなら、止められるはずだと──どこかで信じていた。


 そして。


 倒れた。


 木箱が想定通りの方向へ。


 ……おかしい。


 思ったより、速い。

 思ったより、重い。

 思ったより、音が大きい。


 私は、巻き戻すつもりで息を呑んだ。

 さっきも感じた、あの遠ざかる感覚を呼び戻すつもりで。


 だが、来ない。


 喉の奥がきゅっと締め付けられる。


 もう一度、強く願う。

 “今”を引き()がすように、祈る。


 ──来ない。


 その時。


 通路の影に、人がいるのが見えた。


 職人の男だ。

 荷の点検に来たのか、腕まくりをしたまま、こちらを見上げている。


 気づくのが一瞬遅れた。


 崩壊中の箱は、職人の方へ倒れていく。


「……っ」


 息が詰まった。


 ──まずい。


 今度こそ、躊躇(ためら)いより先に「助けなきゃ」が立った。


 その瞬間、世界が遠くなった。


 音が薄くなる。

 身体が重くなる。

 足が沈む。

 空気が粘度を増したようにまとわりつく。


 来た。


 私は走ろうとして、走れない。

 いつものように“軽く”は動けない。

 思考だけが速くて、身体が遅い。


 それでも、私は前に出た。

 職人へ向かって、腕を伸ばした。


 間に合わない──はずだった。


 箱の角が、職人の肩をかすめる。

 男の身体が弾き飛ばされ、地面へ倒れ込む。


 鈍い音が響く。

 男の足首が、嫌な形でねじれるのが見えた。


 同時に、私の掌が裂けた。


 木箱の木片か、釘か。

 何か鋭いものが当たった衝撃で。

 熱い。遅れて痛みがやってくる。


 血が、手首を伝ってポタポタと落ちる。

 深く裂けていた。

 見ただけで、ぞっとする。


 私は、息を吐いた。


 ……助かった。


 “間に合った”と言い切れるほどではない。

 でも──職人は潰されなかった。

 頭も胸も守れた。


 私は、胸の奥がぐらつくのを感じた。


 さっきまで、戻らなかった。

 けれど途中から、確かに“発動した”。


 ただ、体は思うように動かなかった。

 男も私も、無傷ではない。


 だけど確実に。

 時間を、操作した感覚がある。


 ……掴めた。

 完全じゃないけれど。


 ざわざわとした声が近づいてきて、周囲に人が集まってくる。


 音が大きすぎた。

 思った以上に、作業場全体に響いた。


 街の外れにいた人々だ。


「大丈夫か!」

「怪我をしてる!治療を……!」

「木箱が崩れたんだ!」


 私は答えられなかった。

 口を開いた瞬間、ここにいる全員の視線が私に刺さるだろう。


 職人は歯を食いしばって、しかし意外と冷静だった。


「……折れてはねぇ。たぶん。(ひね)っただけだ、くそ……」


 周りの者が男を支え、誰かが氷を持ってくる。

 私の手のひらにも布が当てられ、圧をかけられる。


 痛みが、ようやく現実になる。

 熱がじわじわ広がって、指先が震える。


 そこへ。


 人の輪が割れて、落ち着いた足音が入ってきた。


 ルシアだった。


 呼吸ひとつ乱していない。

 でも目だけが、怒っている。


 彼女は私の手を見て、何も言わずに包帯(ほうたい)を受け取った。

 血で濡れた布を外し、傷を見て、眉を寄せる。


「……リラ」


 名前だけ。


 その一言で、背筋が冷えた。


 ルシアは、淡々と治療を始めた。

 手際(てぎわ)が良すぎて、言い訳を挟む隙がない。


 消毒の刺激。

 私は顔をしかめるが、声は出さない。


 包帯が巻かれていく。

 最後の一巻きが、少しだけ強い。


 痛い。

 でも、その痛さが妙にありがたかった。


 ルシアは結び目を作り、そこでようやく私を見た。


「……後でちゃんと話して」


「……うん」


 それだけで、十分だった。


 私は、職人の方にも視線を向ける。

 男は眉間(みけん)(しわ)を寄せたまま、誰かに肩を貸されて座っている。


 私が巻き込んだ。

 私が、怪我をさせてしまった。


 胸が重い。


 ……そして。


 私の頭の中では、ひとつの想像が膨らみ始めていた。


 もし、これが本当に時間を操る力なら。


 戻せる範囲が広がったら。

 戻せる回数が増えたら。

 戻すことが“(くせ)”になったら。


 失敗しても、なかったことにできる。

 痛みも、傷も、死さえ──


 そんなものに手を伸ばしていいのか。


 私は、包帯を見つめた。


 白い。

 痛い。

 現実だ。


 ……時間を操るというのは、

 きっと、とても危険なことだ。


 危険なのは、能力じゃない。

 私自身だ。


 私がそれに慣れた瞬間、

 たぶん、私はもう戻れなくなる。

次回、巻き込まれた職人の視点です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ