君の名前
更新がいつも遅くなってしまって申し訳ございません。
崩壊した難民キャンプへ向かいます。
南へ向かう道は、思っていたよりも静かだった。
その道中、逃げてきた男の話が口を開いた。
「三日前までは……百人以上いました」
「……襲撃じゃないんですよね」
ヴィーラが、慎重に確認する。
「はい」
男は、首を振る。
「外から誰かが来た形跡はないです。
見張りも立ててましたし……」
一瞬、言葉に詰まる。
「……内部崩壊……なんでしょうね」
その言葉が、やけに生々しく響いた。
「最初は……本当に、普通でした」
男は、震える声で語り始める。
「みんな、戦争から逃げてきただけで。
敵なんて、誰もいなかった」
「畑を耕す人がいて、井戸を掘る人もいた。
食料こそ少なかったんですけど、分け合ってました」
男は少し咳払いをした。
「子供も、沢山いましたよ。
ここで生まれた赤ん坊も、二人……」
「でも」
男は、視線を地面に落とす。
「補給が……途絶えたんです」
「他の場所にあった難民キャンプも余裕がなくなって……
取引も、支援も、全部止まった」
「最初は、備蓄で持ちこたえました。
元々少なかった一日二食を、一食にして」
「それでも……足りなくなって」
沈黙。
風の音だけが、やけに耳に入ってくる。
「喧嘩が起きたんです」
「“あいつが多く取った”
“あの家族だけ優遇されてる”って」
「でも……本当は分かってたんです」
男は、歯を食いしばる。
「もう──限界だ、って」
「その時にはもう……自分の腹を満たすことだけを一日中考えてた。
他人を気遣う余裕なんて、なかったんです」
リラは、無意識に拳を握っていた。
ヴィーラが、かすれた声を出す。
「……それでも、まだ、みんなで協力すれば──」
「ヴィーラ様」
レオニスが、低い声でその言葉を遮った。
それ以上を聞かせてはいけない、とでも言うように。
男は一瞬足を止めて、また力無く歩き出す。
「……最初に死んだのは、お爺さんだった。
名前は知らない。でも、何回か、話したことはあったと思う」
「食べ物を盗んだって誰かが言って……
お爺さんが殴られて……」
「本当に盗んだかどうかなんて、もう関係なかった」
シグの顎が、わずかに揺れた。
「そこからは……もう地獄でした」
「本当に盗みをする奴が出てきて、争いが増えて」
「それでもなんとか、止めようとしたんです。
見張りが立って……でも、その見張りが殺されて食料ごと消えて」
「……気づいたら」
男の声が、震え出す。
「……生き残るために、人殺しが始まってた。
俺は怖くて、人なんか殺せなかった。でも……死んでる人の手から、パンを奪って食べた」
「それから、逃げた」
誰も、言葉を返せなかった。
戦場ではない。
でも。
紛れもない、戦争による被害の”現実”だった。
遠くには鳥の声が聞こえる。
風の音もある。少し暖かい。
それなのに。
この辺り一帯だけ、別の世界みたいに空気が変わっていた。
*
そのあとは、全員押し黙ってただ歩いた。
やがて、男が口を開く。
「……ここです」
男の足が止まり、
呼応するように全員の足も止まった。
崩壊した集落が、目の前に広がっていた。
倒れた木材。
引き裂かれた布切れ。
地面に散らばる食器。
そして、ところどころに動かない人影。
建物は、ほとんど原型を留めていない。
屋根は崩れ、壁は焼け、柱だけが墓標のように立っている。
「……ここが、難民キャンプ?」
シグの声が、わずかに震える。
男は、小さく頷いた。
百人。
それだけの人間がここで生活していたとは思えないほど、静かだった。
リラは、ゆっくりと一歩踏み出す。
足元で、何かが音を立てた。
血に染まった、ブレスレット。
かろうじて見える銀の輝きだけが、異様に目に焼き付いた。
リラは崩れた建物の中を覗き込む。
床に転がる毛布。
壊れた木箱の残骸。
そして──
壁際に、寄り添うように倒れている二人の遺体。
痩せ細り、目を閉じたまま互いに手を握っている。
争った形跡はない。
眠るように死んでいた。
「……飢え死に?」
シグが、声を落とす。
男は、首を横に振る。
「それも……あります。この二人はまだ、幸せな死に方だったかもしれません」
「でも、ほとんどは」
男の喉が、小さく鳴る。
「……殺し合いです」
リラは別の場所にあった遺体の前に、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
そっと横にあった毛布をかける。
「……みんな、生きようとしたのね」
小さな声。
「それだけ。敵なんて、いない」
ヴィーラはその言葉を聞いて、目を伏せた。
王族として、幾度となく衝突の報告書を読んできた。
死者数、被害額、勢力図。
でも、こんな現実は──
一度も、記録に載っていなかった。
「……これが」
シグが、呟く。
「戦争の結果か」
誰も返事をしない。
この場所にあるのは、ただ、人間が壊れていった痕跡だけだった。
リラがゆっくりと立ち上がる。
「……生存者は?」
男は、首を振る。
「分かりません」
「でも、生きているとしたら……この辺りにいるはずです。
動ける体力も、もう……」
その瞬間、リラの表情が変わった。
「探しましょう。すぐに」
シグが顔を上げる。
「そうだね。生きてる人がいるなら」
「放っておけない」
ヴィーラもレオニスも、何も言わずに頷いた。
世界の構造も。
戦争の原因も。
黒幕の存在も。
この場所では、何一つ意味を持たない。
今、重要なのは。
──まだ、死んでいない人間がいる、という事実だけだった。
*
最初に見つけたのは声だった。
泣き声。
その声は今にも消えてしまいそうなくらい、小さかった。
崩れた建物の奥。
半壊した壁の影に。
女がいた。
腕の中に、赤ん坊を抱いて。
女の目は、異様だった。
焦点が合っていない。
目は見開かれ、瞬きもほとんどしない。
刃のように鋭くなった瓶の破片を、こちらに向けて構えていた。
それを持つ右手は、黒く変色した血で染まっていた。
「……来るな」
声は、かすれている。
懇願ではなく、殺意。
「来るな……来るな……!」
赤ん坊が、小さく身動きした。
もうさっきまでの泣き声すらほとんど出ていない。
唇が、青い。
「……赤ちゃん」
ヴィーラが、思わず一歩踏み出す。
その瞬間。
女が、叫んだ。
「来るなッ!!」
ガラス片が振り上げられる。
シグとレオニスが、同時に前に出た。
──だが。
リラが、腕を伸ばしてそれを制した。
「待って!!!」
全員の、動きが止まる。
リラは、武器を持っていない。
何も構えず、ただ両手を見せたまま、ゆっくりと近づく。
「大丈夫」
声は、驚くほど静かだった。
「私たちは、あなたを傷つけない」
女の呼吸が、荒くなる。
「嘘……みんな、そう言った……」
「最初は……みんな……優しかった……!」
ガラス片が、震える。
「……でも、襲ってきた……」
「私が守るの……この子を……!」
赤ん坊の、鳴き声が完全に止まった。
その瞬間。
ヴィーラが、リラの横に並んだ。
ゆっくりと、膝をついて両手を見せるように広げる。
「あなた、もう限界です」
「その子も……今すぐ栄養と水が必要です」
女の目が、揺れる。
「……近づかないで」
「あなた、この子を……殺そうとしてる」
「いいえ」
ヴィーラは、即答した。
「守ります」
リラが、続ける。
「ええ、守らせて。あなたと」
「……赤ちゃんの未来を」
女の手から、ガラス片が落ちた。
音もなく。
そのまま、膝から崩れ落ちる。
「……もう、分からない……」
「……誰を信じていいかも……」
赤ん坊を抱いたまま、泣き崩れる。
リラはそっと女の肩に手を置いた。
「大丈夫……今は、考えなくていい」
「私たちの村に来て」
「一緒に生きよう」
女は、何度も頷いた。
力なく。
それでも、確かに。
*
次に見つけたのは、兄妹だった。
倒れた屋根の下。
布切れに包まって、互いに寄り添っていた。
姉は10歳ほどだろうか。
弟はそれより幼い。何歳か離れているように見える。
二人とも、骨と皮だけだった。
リラたちが近づいた瞬間。
姉が、跳ねるように起き上がる。
手にしていたのは、釘の飛び出た木材。
それを必死に振り上げ、叫ぶ。
「来るな!!」
「弟に、近づくな!!」
声は、震えている。
足も、ふらついている。
それでも、弟を背中に庇いながら木材を振り上げる。
レオニスとシグは何も言わず、武器を地面に置いた。
剣も。
短剣も。
すべて。
レオニスは両手を広げて語りかける。
「話を聞いてくれ。私たちは敵じゃない」
シグも、ゆっくりと歩み寄る。
「食べ物を持ってきたんだ」
シグは腰の袋から、乾燥パンを取り出した。
パンの匂いが、広がる。
弟の喉が鳴った。
姉はそれを見て、歯を食いしばる。
「見ちゃだめ……!」
「そう言って……取りに行ったら殺される……!」
弟は、もう我慢できなかった。
姉の腕を振りほどき、パンに飛びつく。
むさぼるように。
ほとんど噛まずに、飲み込む。一瞬の出来事だった。
姉は、呆然と立ち尽くしていた。
弟の背中を見つめながら。
泣きも、叫びもせず。
その前に。
シグが、もう一つのパンを差し出した。
姉の手のひらに、そっと置く。
「君も。一緒に生きよう」
それだけを伝える。
姉の指が、震える。
パンを、握りしめる。
そして。
初めて、泣いた。
*
その後も、生存者は点々と見つかった。
崩れた家の下。
井戸の影。
森の入口。
合計、18人。
村の人間も呼び、何度も往復した。
担架を作り、水と食料を運び、毛布をかける。
誰一人、文句を言わなかった。
村に戻った頃には、日はとっくに沈みきっていた。
シグが村の井戸から水を汲んで戻ると、治療場は人で溢れかえっていた。
床に人。
壁際にも人。
外にも人。
元々の病人も合わせて30人を超える人間が、同じ場所で呼吸していた。
リラがその中を駆け回り、治療しているのが見える。
「……食料、足りるか?」
村人が答える。
「正直……厳しいです」
「でも、作ります」
「ある分は全部出しましょう。また、作れば良い」
シグは、その言葉を聞いて頷いた。
「ありがとう」
そして、もう一度囁くように言った。
「……ありがとう」
その声は、誰にも聞かれなかった。
同じ頃。
リラは、治療をしながら一人一人と会話していた。
「お名前は?」
「……リサ」
「リサ。素敵な名前ね。どこか痛いところはある?」
「……足が」
「ここね。消毒と、固定だけする。ちょっとだけ痛いけど、我慢できる?」
リサと名乗った少女は、一瞬だけ躊躇った。
「うん……大丈夫だよ」
「偉いね。じゃあちょっと我慢して……ほら、これでとりあえずは大丈夫」
リラが少女に向かって微笑みかける。
「後でもう一度、ちゃんと診るから。ちょっとだけ待っててくれる?」
「うん」
次。
「君は?」
「……ルーク」
「ルーク、前は何してたの?」
「……鍛冶屋の手伝い、父ちゃん……の……」
その少年の目に、涙が浮かんだ。
リラは少し目を細めてから、無理に笑った。
「そっか……じゃあ怪我が治ったら、薪割りを手伝ってくれない?」
「火、必要なの。私たちを助けて」
ルークは目を見開いて、それからかすかに頷いた。
その後も、リラは全員と会話を続けた。
終わる頃には、すっかり日が昇っていた。
*
村の空気が、少しずつ変わっていった。
誰かが怒る声も。
泣き声も。
夜中のうめき声も。
完全には消えない。
けれど、それでも。
”死ぬかもしれない場所”から
”生き続けられるかもしれない場所”へ。
少しづつ、みんなの顔は穏やかになっていった。
あれからリラは、ほとんど眠っていなかった。
治療。
配給。
話を聞く。
ご飯を作る。
また配給。
また治療。
そしてまた夜が来る。
それでも、終わらない。
食事を作り、配り、足りない分を調整し、
泣く子をあやし、怒鳴る大人をなだめ、
衰弱した人間のそばで、ただ座って手を握る。
それを、何日も繰り返していた。
シグもずっと、横にいた。
包丁の扱いもぎこちない。
鍋の火加減もよく分からない。
でも、何も言わず。
ひたすら、水を運び。
皿を洗い。
人を運び。
話を聞き。
眠そうな目で、それでもリラと共に立ち続けた。
「……ねぇ、シグ」
ある日の深夜。
ようやく落ち着いた頃。
リラが床に座り込んだ。
他の人からは見えない柱の影。
「ちょっとだけ……休んでいい?」
弱音ではなく、ただ甘えるように言った。
シグは何も言わず、隣に座った。
「うん。ちょっとだけ休もうか」
シグがそっとリラの腰に腕を回す。
リラは、頭をシグの胸に預ける。
「……うん。ありがとう」
そう言って、二人はすぐ眠りに落ちた。
*
人々の顔には生気が戻りつつあった。
皆、助かったばかりだった。
生きていること自体が、奇跡のようにも思えた。
誰も文句を言わず。
誰も奪わず。
誰も、要求しなかった。
でも、人は慣れてしまう。
「生き延びる」から
「もう少し欲しい」へ。
最初に文句を言ったのは、男だった。
腕の太い、30代ほどの男。
「……おい」
配給の列で、声を荒げる。
「俺、肉体労働してるんだぞ」
「なんであいつらと同じ量なんだ」
指差した先は、衰弱した子供たち。
「もっとよこせ」
空気が、一瞬で冷える。
シグが反射的に前に出ようとした。
だが、先にリラが一歩前へ出た。
「ガレルさん」
リラは、静かに言う。
「あなた、今日何時間働いた?」
「……八時間くらいだ」
「まだ怪我も治りきってないのに、ありがとう。
足の調子はどう?」
「……ああ、動くよ。問題ねえ」
「良かった。お腹は?」
「……とんでもなく腹減ってる」
リラは、頷く。
「働いた証拠ね。みんなを支えてくれてありがとう」
男は、言葉を失う。
「あなたがまた倒れてしまったら、全員が困る」
リラは続ける。
「だから」
リラは配給袋を手に取り、ほんの少しだけ中身を足した。
「──これはガレルさんの働きに対する、正当な報酬よ」
周囲が少しざわつく。
「その代わり、明日畑の方も手伝ってあげてくれない?
そっちにも力を貸して欲しいの」
男はそれ以上、何も言えなくなった。
おう、と短い返事だけをして外に出ていく。
次は、女だった。
赤ん坊を抱いた、母親。
「この子がいるんです」
涙声。
「この子には……もっと必要でしょう?」
「お願い……優先してください……」
列の後ろで、誰かが舌打ちした。
「俺だって腹減ってるんだぞ」
「赤ん坊なんて育ててる場合じゃないだろう」
リラは、赤ん坊を見る。
痩せている。
でも、ちゃんと生きている。
女を見る。
リラは一瞬、息を吸い込んだ。
(……お腹いっぱいにさせてあげられなくて、ごめんね)
心の声とは裏腹に、厳しい表情を顔に貼り付けたまま言う。
「エマ」
リラは、女の目をじっと見据える。
「この子は……あなた一人じゃ守りきれない」
「ここにいる全員で、守るの」
「だから」
一拍。
「特別扱いはしない」
女は、泣き崩れた。
「……ごめんなさい……」
「……怖くて……」
リラは、そっと言う。
「私も、怖いわ」
「でもここでは……一人じゃない」
そして。
一番、静かな事件。
子供だった。
あの時、お姉ちゃんに守られていた男の子。
名前はエリックだとお姉ちゃんが教えてくれた。
パンを隠し持って逃げた。
シグが、すぐに捕まえた。
暴れない。
泣かない。
ただ、必死に抱きしめている。
「離せ……!
僕のだ……」
シグは何も言わず、リラを見る。
リラは男の子の横に座り、抱えられたままのパンを少しだけちぎった。
「返せ!」
「一緒に食べよ」
男の子は、目を見開いた。
「……いいの?」
「うん。でも、代わりに」
「エリックが得意なこと、教えてくれない?」
子供は、少し黙ってから言う。
「……木登りとか。あと、魚釣り」
「魚釣り!いいね。今度、みんなのために魚を捕まえてきてくれない?」
「……道具がなきゃ、無理だよ」
「作ればいいわ。ね、お願い。魚食べたいなあ」
「……分かった。いいよ」
リラは満面の笑みを浮かべた。
そして、声のトーンを少しだけ落とす。
「エリック。
ここでは、盗まなくていいのよ」
「欲しいって言えばいい。
それに、あなたが魚を釣ってきてくれたら、私がご飯を作るから」
「みんなで一緒に食べよう」
男の子は、そこで初めて泣いた。
その光景を。
少し離れた場所から、ヴィーラは見ていた。
剣も。
権力も。
命令も。
何一つ、使われていない。
ただ。
名前を呼び。
話を聞き。
同じ目線で、生きるだけ。
ヴィーラは、思った。
……この人。
私が聞いていた“優秀な人物”とは、違う。
人を、名前で見ているんだ。
*
その夜。
ヴィーラは、リラに言った。
「……しばらく」
「ここに、いさせてください」
リラは、驚いたように目を瞬いた。
「ここに?人手があるのは、助かるけど……」
「はい」
ヴィーラは、静かに続ける。
「あなたの側で」
「この世界を、もう少し見てみたい」
リラは、少しだけ笑った。
「……じゃあ。明日から、皿洗い担当ね」
「逃がさないわよ、優秀な働き手を。
護衛のみんなにも畑の仕事を手伝ってもらえる?」
ヴィーラは、一瞬だけ固まった。
「……」
リラは、首を傾げる。
「どうしたの?」
「嫌だった? 他にも仕事はあるけど」
ヴィーラは、至極真面目な顔で答えた。
「いえ。ただ……皿洗いのやり方は」
「教育課程に、含まれていませんでしたので」
その場の空気が、一瞬止まって。
次の瞬間。
リラが、吹き出した。
「……なにそれ!」
「そんな顔で言うこと?」
ヴィーラは、本気で困惑している。
「え……?」
リラは、肩を揺らしながら笑う。
「大丈夫よ」
「泡だらけになっても、王族失格にはならないから」
ヴィーラは、久しぶりに声を出して笑った。
今後もペースは変わってしまうかもしれませんが、更新を続けていきます。
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ぜひ好きだった話や人物について。他にも疑問など。なんでも教えてください。




