生きる場所
体調を崩してしまい、更新予定を過ぎてしまいました。
お待たせしてしまって申し訳ございません。
さて、それぞれの認識差を知ったリラたちの、その後です。
沈黙が、しばらく続いていた。
さっきまで交わされていた言葉があまりにも現実と噛み合っていない。
誰も、次の一言を選べなかった。
最初に口を開いたのは、リラだった。
「……一度、落ち着いた方が良いわね。
感覚じゃなくて、事実だけを確認しましょう」
ヴィーラ、レオニス。そしてシグの順に見渡す。
「今この場にいる全員が“実際に知っていること”を一つずつ」
「自分の目で見たこと、記録として確認したことだけを」
シグが、小さく息を吐いた。
「……そうだね。前提が噛み合ってない状態では話が進まない」
レオニスが頷く。
「賛成です。感情論ではなく事実を確認し合いましょう」
ヴィーラも、ゆっくりと頷いた。
「……では、私から」
一瞬、言葉を選ぶ。
「現在、世界は四国体制です。
マグナレオール、ヴァルデン、ルミナス、ノクスヴァイ」
「この四国以外に……国家は存在していません」
シグが続ける。
「地理的にも同じだ。
四国と、それを囲む山嶺と海域。
それが僕たちの知ってる“世界の全て”だ」
その言葉を、リラは黙って聞いていた。
リラは、指先を膝の上に置いたまま頷く。
「……じゃあ、次は私」
「マグナレオールの更に北には、スメエラム王国」
「東方の山嶺を越えた先には、ミノッシリア浮遊郡」
「南の海の向こうにはアラ=ポダール大陸があって、連合国家が複数存在してる」
まるで地図を読み上げるように、名前を並べていく。
「どこも、この大陸とは交易記録があった。
文化様式も、言語体系も──全く異なってる」
リラはそこで一度言葉を止める。
シグが、静かに首を振った。
「……やはり」
「そんな国名も、大陸名も……
一度も聞いたことがない」
「地図にも、記録にも、存在しない」
リラは、無意識に口を開きかけて──止まった。
「……」
シグが問いかける。
「リラ」
「君はさっき、交易記録があったと言った。
……どこで、それを確認した?」
その瞬間。
リラの思考が、空白になる。
どこで?
誰から?
いつ?
どうやって?
──思い出そうとしても、何も出てこない。
知っている。
確かに知っている。
地名も、位置関係も、文化の違いも。
地図すら鮮明に思い出せるのに。
なのに、それを“知った瞬間”の記憶だけが。
まるごと、存在しない。
「……あれ?」
リラの喉が、かすれる。
「……私」
「……どこで、知ったんだろう……」
その言葉は、
自分に向けた独り言だった。
記憶はある。
でも、取得経路が分からない。
そんなこと、あるはずがない。
あるはずが──
「……」
リラは、そこで思考を止めた。
胸の奥に、
言葉にできない違和感が広がっていく。
だが、その正体を掴む前に。
ヴィーラが静かに口を開いた。
「一つ、私からも質問していいですか」
その呼びかけによって、
リラの意識は現実に引き戻された。
リラの視線がゆっくりと向けられる。
「何?」
ヴィーラは、ほんの一瞬だけ言葉を選ぶように間を置いた。
「あなたは……マグナレオールに滞在していた、と聞いています」
リラは、小さく頷く。
「ええ。王立大学に留学していたわ」
その返答を受けて、ヴィーラは静かに続けた。
「では……あなたが“世界の外側”を知ったのは」
「マグナレオールで、ではありませんか」
リラの指先が、無意識に強く組まれる。
「……どういう意味?」
ヴィーラは、視線を逸らさない。
「もし、あなたがマグナレオールで何かを知り、
それが……世界の構造に関わる重大な事実だったとしたら」
息を一つ吸ってから、仮説を投げる。
「マグナレオールがあなたを“排除”しようと動いた理由にも……なり得るのではないでしょうか」
リラは反論しようとして、言葉に詰まる。
「……私が、マグナレオールで……?」
記憶を辿ろうとする。
王立大学の書庫。
隔絶された下層。
削られた歴史。
閲覧禁止の資料たち。
しかし。
そこに「世界の外側」の情報があったかと言われると──
「……分からない、けど」
リラの声には、不安が滲んでいた。
「私がマグナレオールから排除される原因は……恐らく、違うものだと思う」
「一つ。私は、マグナレオールの禁忌に近づこうとした。
二つ。彼らが恐れる“ある能力“を使用してしまった。それを“みられた“」
ヴィーラが目を細める。
「ある能力……? 魔法ではなく、能力ですか?」
「ごめんなさい、私にも分かっていないの。
ただ……アルカン・マグナレオールは私の血筋を聞いた瞬間に、恐れた。
そして、私を──消すことにした」
「そこで確信した。この”能力”は限られた血筋にのみ継承される──世界の変数だと」
場が静寂に包まれる。それぞれの思考が、同時に立ち止まっていた。
「……ヴィーラ。私からも質問しても良い?」
「マグナレオール王立大学の図書館には、
過去の世界史に関する資料がほとんど存在しなかった」
ヴィーラの眉が、わずかに動く。
「世界史だけじゃない。
伝承、神話、俗話、英雄譚……あらゆる可能性を探したの」
「でも、それを含む全ての歴史が……異様に欠落していた」
レオニスが、静かに言う。
「……私も、同じ違和感を抱えていました」
リラが、そっと視線を向ける。
「あなたも……?」
「王立図書館の管理権限は、王族直轄です。
私は護衛として何度も出入りしました」
「ですが……歴史書だけは、
どれも断片しか残っていません」
ヴィーラは、戸惑ったように言う。
「……そんなこと、気にしたこともありませんでした」
「でも……確かに」
「私たちが学ぶ歴史は、いつも“すでに四国があったところ”から始まっていました」
リラの視線が、細くなる。
「それ以前は?」
「……お伽話や、神話だけです」
その瞬間、空気がほんのわずかに変わった。
リラが少しだけ前のめりになる。
「お伽話?そんなもの、どの文献にも出てこなかった」
ヴィーラが、少し考えるように視線を落とした。
「……あります」
「小さい頃、母が一度だけ話してくれた。今でも……鮮明に覚えています。
あの話だけ、なぜか忘れられないんです」
ヴィーラは、ゆっくりと記憶を辿り出す。
「昔、この世界の“外側”から、異なる存在が侵攻してきたという話でした」
シグが、眉をひそめる。
「外側?」
「言語も、思考も、形すらも違う生物たち」
「彼らはこの世界を理解できず、理解できないものを破壊しようとした」
リラの指先が、わずかに動いた。
「……それで?」
「当時のマグナレオールが、立ち上がったとされています」
「世界を守るため、彼らを押し返し……
世界の境界そのものを、“封じた“と」
沈黙。
ヴィーラは、淡々と続ける。
「だから今、この世界の外側は──見ることができない、と」
「あるのは“封じられた領域”だけで、
そこへ行く術も、記録も……存在しないと」
シグは、少し困ったように笑った。
「……なんだ、それ」
「どこの国にもありそうな英雄譚だ。
世界を守った王国の、建国神話みたいなものじゃないか?」
ヴィーラは、小さく頷く。
「はい。私も、そう思っていました」
「子供向けの作り話だと」
リラは、黙ったまま俯いていた。
その目に、かすかな違和感が宿る。
「……ねぇ」
リラが、低い声で言う。
「その話って」
「“外側が存在しない”理由としては、あまりにも都合が良すぎない?」
ヴィーラの目が、わずかに揺れる。
「……どういう意味ですか?」
リラは、言葉を選ぶように続ける。
「外側が無いのではなく、
外側は“封じられているから存在しない”」
「そう語られる方が、人は納得しやすい。
──疑問を持たずに済むから」
シグが、口を挟む。
「でもそれって、ただのお伽話だろ?
本当に外に何かあった証拠なんて──」
「──ええ。少なくとも、私が見た限りは無い」
リラは、即座に言った。
「でも。……無いってこと自体が、不自然だと思う」
その場に、静かな沈黙が落ちる。
シグが言う。
「でもそれって、どこの国でもそうじゃないか?
神話時代は、記録が曖昧になるのは普通のことだ」
リラはすぐには答えなかった。
代わりに、低い声で言う。
「……普通じゃない」
「文明が連続しているなら、
必ず“曖昧な時代の痕跡”は残る」
「断片、異文化語、失われた地名、外来の技術様式……」
指を一本立てる。
「でも、この世界にはそれが無い」
「“曖昧”じゃない」
「最初から、存在しなかったみたいに空白なの」
沈黙。
ヴィーラが、慎重に言葉を選ぶ。
「……でも、それは」
「この世界が、最初から四国体制だったから……では?」
その言葉に、リラはすぐ返さなかった。
少しだけ、首を傾げる。
「……そう思うのが、自然よね」
「私も、そう結論づけていた」
シグが、眉をひそめる。
「……いた?」
リラは、静かに答える。
「最近まで、そう信じてた」
「でも、今は違う」
ヴィーラを見る。
「世界の構造がおかしいと感じた時。
最初に疑ったのが……マグナレオールだった」
「ヴィーラ」
「あなたは……マグナレオールは罪を被せられたと言ったわね」
「戦争を望んだわけじゃない、と」
ヴィーラは、即座に答える。
「当然です。戦争など……誰も望んでいません」
「少なくとも、マグナレオール王家が意図したものではない」
リラは、ゆっくりと息を吸う。
「……私」
「マグナレオール留学中に、
国の実態を見て、図書館の欠落を調べて」
「一つの仮説に辿り着いた」
シグが、身を乗り出す。
「どんな仮説だ?」
「マグナレオールは、
世界を支配しようとしているんじゃないかって」
ヴィーラの表情が、はっきりと歪む。
「……違います。
そんなこと、あり得ない」
心底、理解できないという顔。
「私たちは、ただ守ろうとしていただけです……均衡を」
リラは、その言葉をじっと見つめる。
「……そうよね」
「あなたの反応を見る限り、
少なくとも“今のマグナレオール”は違う」
一拍。
「だから、私は違う結論に辿り着いたの」
ここで、レオニスが口を挟む。
「話の途中で申し訳ありません」
全員が彼を見る。
「今は、“誰が過去に何をしたか”より」
「“これから、我々がどう動くか”を優先すべきかと」
リラは、ゆっくりと頷いた。
「……ええ、そうよね……」
リラのその目は、
まだどこか遠くを見ていた。
*
レオニスの言葉の後、
誰も「続きを話そう」とは言わなかった。
世界の構造。
消えた歴史。
外側の存在。
それらは確かに重要だった。
だが同時に、今を生きている人間にとってはあまりにも遠い話だ。
「……それで」
最初に口を開いたのは、ヴィーラだった。
「私たちは……これから、どうすればいいのでしょう」
リラはすぐには答えなかった。
少しだけ視線を落とし、自分の指先を見つめてから言う。
「正直に言うけど……」
「どうすれば良いのか、分からない」
シグが、小さく息を吐いた。
「だよな……」
「世界の謎が解けたわけでもない。
戦争を止める方法が見つかったわけでもない」
リラは続ける。
「今の私たちは、
“何が起きているか”は少し分かったけど」
「どうすればいいか、は……
何一つ分かっていない状態よ」
ヴィーラは、その言葉を否定できなかった。
処刑から逃げ延び、
国境を越え、
偶然この村に辿り着いて。
だがその先の目的は、
何一つ定まっていなかった。
「……私たち」
ヴィーラは、ゆっくりと言う。
「このまま、ここに居続けるわけにもいきません。
マグナレオールの王族がこの村に長く滞在すること自体が、危険です」
レオニスが頷く。
「追跡の可能性は、十分にあります」
「数日──体力が回復するまで滞在させていただき、その後は移動すべきでしょう」
リラは、その言葉を静かに受け止めた。
「……そうね」
「ここは戦場じゃない。
けれど、あなたたちを守れる場所でもない」
その結論に、誰も異論はなかった。
まだ何も解決していない。
戦争も止まっていない。
自分たちは、まだ何も始めてすらいない。
その夜は、それ以上何も決まらないまま終わった。
*
翌日。
村はいつもより騒がしくなっていた。
リラが異変に気づいたのは、昼過ぎのことだった。
治療場に、見知らぬ男が運び込まれてきた。
痩せ細り、服は破れ、
目だけが異様に大きく開いている。
「……難民キャンプが」
「難民キャンプ?」
男は、かすれた声で言った。
「……南に、生き延びた者たちが集まった仮設区画がある……」
「崩壊したんだ」
その言葉に、リラの手が止まる。
「崩壊した……?」
「襲撃じゃない」
男は、首を振った。
「……中で」
「食料を巡って、争いが起きて」
「最初は、殴り合いの喧嘩だったんだ」
「でも……」
男の声が、震える。
「……そのうち死人が出て」
「……そこからは、もう……」
それ以上、言葉は続かなかった。
シグとレオニス、そしてヴィーラも、話を聞いていた。
誰も声を出せなかった。
押し黙った空気の中で、リラが口火を切る。
「……外敵じゃないのね」
「ああ」
男は、力なく頷く。
「みんな、飢えていた……助け合って、励まし合って……暮らしてたんだ」
「ただ……みんな、限界だった」
その言葉は、戦争よりも重かった。
敵がいない。
悪意もあるはずがない。
そこにあるのは、空腹だけだ。
リラは静かに立ち上がった。
「……案内して」
「生存者がいるかもしれない。放っておけないわ」
シグが、即座に立ち上がる。
「僕も行く」
ヴィーラも立ち上がったが、即座にレオニスがそれを止める。
ヴィーラは、レオニスを見る。
「……危険です」
ヴィーラは、一瞬だけ迷ってから言った。
「それでも、行きます」
「これは間違いなく、今。
世界で──起きていることです」
その言葉に、レオニスはそれ以上何も言えなかった。
こうして、数名の救助部隊が即席で編成された。
難民キャンプ跡地へ、向かうために。
──その場所で、リラたちが目にしたのは。
戦争でも、
世界の謎でもない。
戦争によって壊された人間たちの、現実だった。
次回更新は、2/4水曜日を予定しています。




