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リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
名を失った均衡世界
43/52

背負う者

責任は、遅れて形を成す。


それは多くの場合、最も弱い立場に押し付けられる。

 報告書は、もう何度も読み返していた。


 エリオは、酒の(たぐい)(たしな)まない。

 だが今、彼の机の上には何本もの空になった瓶が転がっていた。


 報告書は、淡々としたものだった。


 マグナレオール王族──王位継承第五位ヴィーラ・アルゲンフィスト。


 処刑。


 その文字列は、感情を含まない。


 それが余計に現実味を帯びさせていて、どれだけ酒を(あお)っても意識はむしろ冴えていった。


 エリオは、ゆっくりと息を吐く。


 ──違う。


 これは、想定していなかった。


 自分が望んだのは、

 こんな結末じゃない。


 最初から、目的は明確だったはずだ。


 リラ・ヴェルノア。


 あの女がいる限り、

 自分は“上”へ行けない。


 政治的な意味でも、

 象徴としても。


 彼女は、あまりにも都合が悪かった。


 正しく、清廉(せいれん)で、

 民からも支持されている。あのアデルからも。


 そんな存在が同じ国にいる限り、

 自分は脇役のままだ。


 だから、国外に出したかった。


 排除でも、殺害でもない。


 ただ、舞台から降ろす。


 異変が起きた今は、

 そのための最高の口実だと思った。


 ──マグナレオールが原因だ。

 ──リラがいる限り、疑いは晴れない。


 そう仕向ければいい。


 世界が納得する形で、

 彼女を閉じ込めるか、追い出す。


 それだけの話だった。


 なのに。


 どこかの警備兵が乱入し、セルル・バルドレインを殺した。


 当然、想定もしていない。


 だが起きてしまった。


 結果、戦争が始まった。


 そして今──

 顔も知らない少女が処刑される。


 エリオは、机に指先を立てた。


 爪がわずかに震えて机にあたり、カタカタと音を出している。


 大量の酒を(あお)っても、その責任は薄まることはない。


 知らない。


 ヴィーラという少女を、

 自分は何も知らない。


 会ったこともない。

 話したこともない。


 ただ、

 19歳の王族。


 それだけだ。


 それなのに。


 自分の選択の延長線上で、

 戦争が起こったことの責任を全て負わされている。


「どこで間違った……?」


 低く、吐き捨てる。


 自分は、殺していない。

 誰かを殺すつもりもなかった。


 ただ邪魔な存在を、遠ざけようとしただけだ。


 それだけで、

 どうして、ここまで転がる。


 何を踏み間違えたのか。


 思考を辿ろうとするが、

 途中で嫌な結論に行き当たる。


 ──踏み間違えていない。


 全部、繋がっている。


 自分が選んだ道の、

 正しい延長だ。


 エリオは、喉の奥が冷えるのを感じた。


 誰かに利用されているのは最初から分かっていた。


 だが、自分ならそれすらも上手く誘導できると思っていた。


 全ては、(おご)りだった。


 ただの自己都合。


 その先に、

 処刑台がある。


 もし彼女が死ねば。


 自分は、

 一人も殺していないまま、

 人を殺した側になる。


 その事実がじわじわと、精神を削っていく。


 今さら引き返せない。


 戦争は始まり、もう自分の手に負える問題ではなくなった。


 エリオは、目を閉じた。


 ──これは、俺の責任なのか。


 答えは、

 出ない。


 出ないまま、

 時間だけが非情に流れていく。


 *


 マグナレオール上層下部、そこに築かれた巨大な広場。

 かつては王の即位と祭礼のために造られ、精緻(ちみつ)な装飾と段差を備えた、円形の儀礼空間だった。


 だが異変による破壊は、その姿を根こそぎ奪った。

 彫刻は崩れ、装飾は砕け、段は潰され、

 かつての意味を語るものは、ほとんど残されていない。


 今そこにあるのは、

 ただ広いだけの巨大な円形の空間。


 戦争の準備と、民への誇示(こじ)

 その両方を背負わされた、(いびつ)な空間へと変貌(へんぼう)を遂げていた。


 そこに、(つど)う者たち。


 数を数える意味すら失うほどの群れ。

 下層を除く、ほぼ全ての国民が一堂(いちどう)(かい)していた。


 怒りで身体を震わせている者が大多数を占め、

 何も分からず、ただ成り行きを観察している者もいる。


 真実を知りながらも沈黙を選んでいる者は、さらに少ない。


 誰もが、同じ予感を抱いていた。


 ──間も無く、処刑が始まる。


 その瞬間を待たされている。


 やがて、機械のような一糸(いっし)乱れぬ動きで、瞬く間に兵の配置が変わった。


 処刑台を囲む兵が、等間隔に広がる。

 盾を前に出し、槍を少し寝かせるように構えた。

 それによって民の群れが押し返されるように一歩後退する。


 何かが始まる前の合図。

 それを、全員が理解してしまう。


 兵の中には、魔導具を(たずさ)えた者もいた。

 腕輪のような封具(ふうぐ)、短い杖。

 互いに視線を交わし、頷き合う。


「距離を保て」

「前へ出るな」


 命令の声は低く、感情がない。


 誰かが叫びかけ、隣の者が慌てて口を塞いだ。

 声が弾けた瞬間に、兵が飛んでくるのを知っているからだ。


 そして中心の処刑台。

 その周囲に立った数人の兵が、地面の図式へ手をかざした。


 魔法陣。


 構造に魔力の線を流し、図式を構築する。

 それが”意図を持って”起動すれば──人はそれを、魔法陣と呼ぶ。


 線へ魔力が集中し、構造が浮かび上がっていく。


 図式は、静かに動き出した。


 刑は剣でも(なわ)でもない。

 魔法で肉体に、直接”障害”を与えるものだった。


 呼吸を奪い、骨を折り、内臓をすり潰す。

 痛みを、逃げ場なく体内へ収束させる。


 見せつけるための処刑だ。

 決して逃げ出せないよう、しかし声だけは響くように。


 この魔法陣はそれすらも計算されている。


 ざわめきが、うねりのように広がった。


 そして。


 豪奢(ごうしゃ)な正装に身を包んだ者たちが、広場奥の通路から現れた。


 大臣たちだ。


 その全身は、黒と白。そして金。過剰なほどの装飾。

 まるで祝祭に臨むかのような装いで、彼らは並び立つ。


 民の誰かが(つば)を吐いた。

 次の瞬間、兵の一人がその男の胸を槍の柄で押し返す。


「やめろ」


 短い一言。

 男は歯を食いしばり、唇を噛んで耐えた。

 血が(にじ)む。


「お前ら……」

「ヴィーラ様を──」


 言いかけた声に、別の兵が近づく。

 その目の前に、ただ盾を構える。


「言葉を(つつし)め。今は──(おおやけ)の場だ」


 瞬間、民の声が弾けた。


「ふざけるな!」


「お前たちが何をした!」


「逃げただけじゃないか!」


 怒号が飛び交う。


 だが、兵が動く。


 前へ出た者は取り押さえられ、殴られ、引き倒された。

 恐怖が、怒りを上書きしていく。


 次第に、声は減っていった。


 ──そのとき。


 床を歩く音が、響いた。


 広場には何万人もの気配がある。

 衣擦(きぬず)れの音、咳払い、誰かが(すす)り泣く声。

 それらが混ざり合って、普通なら判別できないくらいの小さな”音”。


 なぜか全ての耳に、はっきりと届く。


 ひとつ。

 またひとつ。


 広場から音が、奪われた。


 通路の奥から、彼女が現れる。


 ヴィーラ。


 手鎖(てじょう)はない。

 抵抗も、恐怖も──感情は、どこにも見えなかった。


 ただ、真っ直ぐに歩いてくる。


 それを見た瞬間。


 再度、声の爆発が起きる。


「逃げて!」


「ヴィーラ様のせいじゃない!」


「お前たちは逃げただけだ!」


「ヴィーラ様が、どれだけ俺たちを想ってきたか、知らないくせに!」


 叫びは、祈りだった。


 だが、大臣の一人が手を上げる。


「黙れ」


 冷たい声。


 その一言で、民の勢いは再び削がれる。


 ヴィーラが、処刑台へと立つ。


 中央に(もう)けられた魔法陣の上に。


 到着と同時に、床に刻まれた図式が淡く光り始める。


 周囲を取り囲む国民をじっとりと見回し、大臣が宣告をする。


「戦争の責任は、ヴィーラにある」


 民は再び叫ぶ。

 だがその言葉は(さえぎ)られたまま、演説は続く。


 すべての罪が、彼女一人へと押し付けられていく。


 やがて、問いが投げられた。


「最後に、言い残すことはあるか」


 ヴィーラは、ゆっくりと顔を上げた。

 その目に、愛する国民の姿が映る。


 自分が処刑台の上に立っていることに今更気づいたかのように、彼女の感情が戻ってくるのが分かった。


 静寂が、広場を包んだ。


「……私の…。

   ……私の言葉には、意味があるのでしょうか」


 小さな声。


「届かなかった。

 私の命を賭けても、他国の人たちには」


 微笑みながら、彼女は涙を流した。


「みんな……ごめんなさい。

 無力な私を……許してください」


 何度も、繰り返す。


「ごめんなさい。ごめんなさい……」


 民は、理解してしまった。


 もう止められない。


 そして、誰かが息を吸うよりも早く。


「処刑を行え」


 命令が、落ちた。


 声と同時に、兵が一斉に動いた。


 処刑台の周囲、四方(しほう)に立つ兵が同じ角度で腕を上げる。

 (てのひら)を魔法陣の中心へ向け、魔力を流す。


 線が、ひとつに収束していく。


 目に見えない糸が絡み合い、魔法陣が完成に向かう。

 近くの民の中には、膝をつきそうになる者もいた。

 

 更に光を増す、処刑用の魔法陣。


 順に、声が揃っていく。


「骨の(きし)みを呼べ」


「息を奪い──」


 それは詠唱(えいしょう)ではない。壊すための手順の暗唱。


 痛みは、段階的に見せる必要がある。


 これは──見せしめなのだから。


 ヴィーラの喉が動いた。

 空気が重くなり、呼吸が浅くなっていく。


 構造は、すでに彼女の身体を”掴んで”いた。


 その時だった。

 

 そこに──石が飛んだ。


 一人の女性が、肩で息をして、涙を流しながら叫ぶ。


「私を先に殺しなさい!」


 すぐに兵が殴り、黙らせる。


「今更、騒ぐな。見苦しい。

 構うな、続けろ。責任を取るということを、知らしめろ」


 だが。


 理不尽に(あらが)おうと、他の民が続いた。


 処刑を止めようと、兵に殴られてもまた次の者が突撃する。


「やめなさい!!」


 ヴィーラの声が、広場に響く。


 その声だけは、誰にも無視できなかった。


 動きが止まる。


「私の無力によって、戦争が始まったのは事実です。

 だから……責任は私が取ります。

 みんなには、生きてほしい」


 その瞬間。


 兵の中から、動く影。


 ヴィーラと長くを共にした護衛たちが、乱入した。


 魔法が交錯(こうさく)し、悲鳴が上がる。

 何人かが、倒れた。


 続いて民が、なだれ込む。


 ヴィーラの前に一本の道が開かれる。


「逃げろ」


 彼女は手を引かれ、走り出した。


 口々に、叫ばれる。


「生きて!」


「ヴィーラ様こそ希望だ!」


 だが、ヴィーラにとってそれは。


 ──絶望の始まりだった。


 こんな自分に、何を期待しているの。


 ここで終わらせてくれたら、どれほど楽だっただろう。


 それでも、生きろと?


 彼女は、選ばれてしまった。


 望まぬまま。

責任を負うということは、ここから始まる。

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