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リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
名を失った均衡世界
42/53

茜色

壊れた世界の中でも、人は日常を作ろうとする。


それが、どれほど儚いものであっても。

 破壊が通り過ぎた空間の中で、

 そこだけが不自然なほどに清潔に整えられていた。


 瓦礫(がれき)がどかされ、床を掃き、布を張って作られた即席の治療場。

 外の荒れた風景とは裏腹に、

 ここだけは穏やかな空気が流れている。


 簡易的なベッドの隙間を縫って歩く、一人の女性がいた。


 白い布を肩にかけ、

 一人ひとりの顔を見て、声をかけていく。


「今日の調子はどう?」


「……悪くないな。だいぶ楽になったよ」


「良かった!でも、無理はしないで。まだ安静よ」


 そう言って、彼女は微笑(ほほえ)んだ。


「でもさ、早く立ち上がれるようになりたいんだ。

 村の復興、手伝いたくてさ」


「それは気が早い!」


 くすりと笑う。


「気持ちは分かるわ。でも今大事なのは、しっかり休むこと。

 働くのはその後」


 男は肩をすくめた。


「はいはい。お医者様の言う通りにしますよ」


 彼女は軽く首を振り、次の患者のもとへ向かう。


 その途中、中くらいの木箱を持ち上げた瞬間。

 腕の奥に、じくりとした痛みが走った。


 思わず、わずかに顔を歪める。


 その(すそ)を、小さな手が引いた。


「リラお姉ちゃん、大丈夫?」


 男の子が、不安そうに見上げている。


「その荷物、僕が運ぶよ。まかせて!」


 彼女は一瞬だけ驚いて、すぐに微笑んだ。


「ふふ……ありがとう。でも、大丈夫」


 そう言いながら、そっと男の子の頭を撫でる。


「その気持ちが、すっごく嬉しいよ」


 男の子は、少し誇らしげに胸を張った。


 背後から、誰かの声が飛ぶ。


「昨日のリラが作ってくれたスープ、美味かったよな」


 別の男が笑う。


「来たばかりの頃は、(ろく)なもん作れなかったのにな」


「そうだな。

 二人とも死にかけで、こいつ等には何が出来んのかって内心思ってたよ」


「ねぇ、聞こえてるんだけど?」


 彼女が振り返る。


「でもよ、全てを失って死ぬのをただ待ってた俺たちより……

 よっぽど辛い目にあった二人が、誰よりも先に動いてた」


「……まあ、まだ野菜すらまともに切れてないけどな」


「ちょっと、文句言うなら食べなくていいわ」


 ぴしり、と言うと、周囲が笑った。


 その空気は、あまりにも自然だった。

 彼女がここにいることが、当たり前であるかのように。


 誰かが、ぽつりと呟く。


「……もうすっかり、村の一員だな」


 彼女は、答えずに微笑むだけだった。


 ──リラ。


 かつて、世界の運命を背負った少女。


 今はただ、

 この場所で生きている。


 ヴァルデン国内、アウレーリア農村地帯。


 連合国の中でも、

 マグナレオール国境に近い地域の一角。


 豊穣(ほうじょう)と交易で知られた土地だった。

 だが開戦と同時に補給路となり、最初に踏み荒らされた。


 焼かれ、奪われ、

 逃げ遅れた者は命を落とし、

 生き残った者も、すべてを失った。


 彼らは、ここで生きている。


 戦火が過ぎ去り、

 それでも傷の残るこの土地で。


 均衡会議から、三十日が経っている。


 世界はすでに別の形へと動き出していた。


 その頃。

 世界はまだ、「戦争」と呼ぶことを躊躇(ためら)っていた。


 *


 最初に崩れたのは、国境だった。


 ノクスヴァイとマグナレオールの境界線では、夜明け前に動いた補給隊が相次いで襲われた。

 運ばれていたのは、薬、保存食、修繕用の資材。

 戦うためではなく、生き延びるためのものばかりだった。


 襲撃の痕跡は、どれも不自然だった。

 マグナレオールの痕跡は確認できず、実行犯が分からない。

 足取りは散らされ、遺体は最低限に留められて、物資だけが奪われていく。


 破壊の事実だけが積み重なり、不明もまた、積み上がっていく。

 それは、戦争の影そのものだった。


 南方では、ルミナスの神殿が襲われた。

 夜も更けた頃、鐘の音が突然響き渡り、人々は混乱した。

 続いて礼拝堂の一部が焼かれ、守っていた神官が命を落とした。


 聖域に血が流れたという噂は、瞬く間に広がっていく。


 神の加護を得ている神官が(まも)られないならば、

 人は、何を信じればいいのか。


 西方のヴァルデンでは、街道を行くノクスヴァイの商隊が忽然(こつぜん)と姿を消した。

 荷を下ろす予定だった村は沈黙し、

 家々の戸は閉ざされ、窓の灯りが漏れることはもうなかった。


 軍の動きではない。軍事侵攻ならば、証拠が残るはずだ。

 数少ない証言では、軍章(ぐんしょう)も、国旗も掲げていなかったという話もある。


 彼らは名を持たず、ただ同じ姿で現れた。


 簡素な装束に身を包み、

 どこの国にも属さぬ者として、

 破壊の跡に同じ言葉だけを残していく。


 〈マグナレオールが世界を壊した〉

 〈戦争は、すでに始まっている〉

 〈リラ・ヴェルノアは“終わり”の象徴だ〉


 それはまるで、すでに決まっている運命を告げるような、

 静かな“予言”だった。


 彼らは、どの国にも命じられていないと言った。

 誰のためでもないと、誇らしげに語った。


 だが狙う場所は、いつも同じだった。


 補給路、通信の拠点となる都市、交易所、医療の場。


 戦場の中心ではなく、世界を支える“骨組み”を的確に壊していく。


 本格的な戦争が起こりつつある今、国は兵を動かすことができない。

 だがその場所で生活する人々は、生きることすら難しくなっていく。


 殺し、奪い、焼き尽くしながら、

 彼らは(ささや)く。


 〈世界は、もう戻らない〉

 〈選べ。滅びるか、抗うか〉

 〈共に行こう。リラ・ヴェルノアが望む世界へ〉


 恐怖の思想は、連鎖していった。


 国を疑い、隣人を疑う。


 助けを求める声でさえ、

 次の破壊の標的になる。


 どの国も、口では冷静を装った。

 だが水面下では、すでに“準備”が始まっていた。


 国境は閉ざされ、交易路は遮断される。

 通行証は厳格化され、検問が増え、

 それに紛れて偽造された証明書が出回り始めた。


 誰が敵で、誰が味方か。

 誰にも、判別できなくなる。


 やがて、各国は同じ言葉を使い始める。


 ──自衛のため。


 だがその“自衛”は、明確な“敵意”となる。


 そうしたことが続き、世界は本格的な“武装”を進めていった。


 各国は兵の再編を進め、徴集(ちょうしゅう)の名のもとに若者を集めた。

 都市や村からは若者の姿が段々と消えていく。

 

 境界線には見張りが立ち並んだ。


 情報は精査され、

 真実は国ごとに形を変えて伝えられた。


 どこまでが事実で、

 どこからが嘘なのか。


 誰にも、分からなくなっていく。


 やがて、言葉では止まらなくなる。


 そして均衡会議から二十日が経過した頃。


 ついに、最初の武力衝突が起きた。


 ノクスヴァイとの国境付近で、

 マグナレオールの補給拠点が襲撃された。


 応戦したのは、マグナレオールの警備兵。


 矢と魔法が飛び交い、

 マグナレオールと、ノクスヴァイ。

 複数の兵と、近隣の民が命を落とした。


 それは、小さな衝突だった。

 だが、“最初の血”として、世界に刻まれる。


 各国は、これをこう呼んだ。


 ──マグナレオールの先制攻撃。


 マグナレオールは、否定した。

 だが、信じる者はほとんどいなかった。


 こうして、世界は一歩、踏み出した。


 それでも、まだ総力戦には至っていない。


 衝突は局地的であり、

 兵の動きも限定されている。


 だが死者の数は──確実に積み重なっていた。


 後に訪れる大戦の犠牲から見れば、

 わずか一割にも満たない数。


 それでも、十分すぎるほどの悲劇だった。


 人々は、思い始める。


 ──もしかして、本当に“運命”なのではないか。

 ──世界は、終わるのではないか。


 その疑念こそが、彼らの狙いだった。


 破壊は手段であり、目的ではない。


 人は自分で辿り着いた結論を盲目(もうもく)的に信じてしまう。


 そうして、“選ばせる”ために。


 滅びを信じるか。

 それとも、抗うか。


 その選択の中心に、

 ひとつの名が置かれていた。


 ──リラ・ヴェルノア。


 彼女が現れたから、世界は壊れた。

 彼女は、終末の象徴。

 彼女を信じない限り、均衡は戻らない。


 誰も彼女の姿を見ていない。

 誰も彼女の声を聞いていない。


 彼女の名だけが、独り歩きしていく。


 世界は今、

 “偽りの運命”に、膝をつき始めていた。


 *


 治療場の外に出ると、空はすでに茜色(あかねいろ)に染まり始めていた。


 燃えるようなその色は、あまりにも美しくて。

 けれど、どこか不吉でもあった。


 まるで──人の血が溶け込んでいるかのように。


 今の自分には、世界を止める力なんてない。

 ここで人を癒すことしか、できない。


 それでも──


 リラは空から目を逸らさず、そっと胸の前で指を握った。


 この戦争を、

 一秒でも早く、終わらせる。


 誰かのためでも、世界のためでもない。

 今、ここで生きている人たちのために。


 風が、乾いた土の匂いを運んでくる。

 遠くで、(くわ)を下ろす音と、誰かの笑い声がする。


 リラは、村の外れにある仮の住まいへと向かった。


 木と布で組まれた簡易的な建物。

 かつては物資の保管用に使われていた倉庫を、住居用に作り替えたものだ。


 決して豪華(ごうか)とは言えない。

 それでも、雨と風を防げる。それは何よりの贅沢でもあった。


 ──“帰る場所”と呼べるだけで。


 中に入ると、薄暗い室内に、ほんのりと香りが満ちている。


 鍋の中身は、野菜と乾燥肉の煮込み。

 質素だが、今では村で一番人気の味になっていた。


 リラは袖をまくり、木製のレードルで中身をかき混ぜる。


 鍋に火をかける前に、リラは布袋をほどいた。


 中にあるのは土がついたままの根菜と、少し(しお)れた葉物。

 どれも村の畑から少しづつ分けてもらったものだ。


 水を張った(おけ)に沈める。


 指でこすり洗う。

 爪の間に入ってしまった泥を落とす。

 思ったよりもしつこく残る。


「……もう」


 小さく呟いて、もう一度こする。


 きれいになった野菜を、布の上に並べて水気を切る。


 ヘタの部分は、硬くて苦い。

 食べられなくはないが、噛み切れず、子どもたちが残す。


 少し迷ってから、包丁を入れた。


 もったいないけど……捨てるしかない。


 台に置いた野菜を、慎重に切り分けていく。


 今日みんなに言われた事を、リラは密かに気にしていた。


 野菜すらまともに切れてない、だって。


 刃の運び方を意識しながら、慎重に切り分けていく。


 一つ、また一つ。


 揃えようとしたけど、まだ満足には至ってない。


 この包丁は、あまり切れ味がよくないから。


 刃先を指でなぞり、苦笑した。


「……研げたらいいんだけど」


 道具は限られている。

 贅沢は言えない。


「まあ……あるだけ、マシよね」


 誰に言うでもなく、呟いた。


 切り終えた野菜を鍋に入れ、乾燥肉をほぐす。

 水を足し、火にかける。


 湯気が、ゆっくりと立ちのぼる。


 それを見て、ほっと息をついた。


 今日も、生き延びた。


 その時、入口の布が揺れた。


「ただいま」


 少し低く、どこか疲れた声。


 振り返るより早く、背中に温もりが重なる。


 両腕がそっと回される。


「……おかえり!」


 リラは笑って振り返り、同じように抱き返した。


「今日も、大変だった?」


「うん。木材の運び出しが大量にあってさ。

 でもその分、筋肉ついたと思う。ほら、どうかな?」


 シグは、少し誇らしげに腕を曲げる。


「本当に?」


「ほんとだよ。ほら」


「あはは。無理しちゃダメだよ」


 リラはシグの肩に頭を預けながら笑った。


 火にかけた鍋から、湯気が立ち上る。


「今日もいい匂いだね」


「でしょ?野菜、たくさんもらったの。

 昼に手当てした人が持ってきてくれて」


 器に盛りながらリラは言う。


「最近、みんなが少し元気になってきた気がする」


 シグは、椅子に腰を下ろし、頷いた。


「……うん。

 リラが料理を作るようになってから、変わった」


 彼は、真面目な声で続ける。


「ただ食べるだけじゃなくてさ。“明日もある”って思えるんだ。

 ……僕も、そう思ってる」


 リラは少し驚いて、彼を見る。


「そんな大げさな……」


「大げさじゃないんだ、リラ」


 シグは、まっすぐに目を見て言った。


「ここでは希望って言葉より、

 温かい食事の方が、よっぽど現実で──力になる」


 パチパチと弾ける火の音だけが、部屋に満ちる。


「……ねえ、シグ」


 リラはぽつりと呟く。


「この先、どうなるんだろう」


 その声は穏やかだが、かすかに揺れていた。


「戦争は……どうなってるのかな。

 ルシアは、無事かな。

 マレイアは。セレストは……」


 シグはすぐには答えなかった。


 分からない。

 それが一番残酷だった。


 遠くで確実に壊れていく世界のことを、

 ここでは何一つ掴めない。


 それでも。


 二人は、今ここで生きている。


 少しの沈黙の後、シグが小さく息を吐く。


「分からない。

 ……今の僕らに、どこまで出来るのかも」


 リラは目を伏せる。


「だから、今できることをやろう。

 誰かを治療して、食べさせて。

 ……また、朝を迎える。そうやって、生きていくんだ」


 返事を探して、言葉を失った。

 不安で、押しつぶされようだったから。


 だから言葉の代わりに、そっと手を伸ばした。


 シグの指が重なる。


 強く握り返すでもなく、

 ただ確かめるように、優しく繋いだ。


 窓の外の茜色は、もう見えない。


 それでもその色の美しさは、

 まだ心に残っていた。


 均衡を取り戻す。


 その言葉を、声には出さないままにする。


 二人は同じ灯りの下で、

 繋いだ指をほどかないまま、互いの呼吸を感じていた。

まだ、総力戦には至っていない。

だが確実に、戦争の足音は近づいてきています。


次回、均衡を壊した者として責を背負わされた少女──ヴィーラの処刑。

そして、もう一人の存在。エリオの行方が明らかになります。


静かな約束の裏側で、失われるもの。

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