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リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
名を失った均衡世界
40/52

揺れる秤

初登場セルル・バルドレイン。

その名には、誠実・掟・堅牢・揺るがぬ正義──様々な意味を込めています。


お気に入りの、初老のおじいちゃんです。

 国境都市セグナール。

 それはノクスヴァイ王国の領地でありながら、ルミナス王聖国との国境にまたがって存在している。


 均衡のために生まれたような街だった。


 ラグナから半日ほど南の位置に在り、

 どちらの文化も、どちらの旗も、等しく風に揺れる場所。


 その中心にそびえるのは、通称”白鐘(しろかね)”と呼ばれる白と金でできた巨大な建築。

 王と神官、両方が使用することを前提に造られたものであり、

 煌びやかでありながら、窓は最小限に抑えられている。


 百を超える席が、半円形に並ぶ大会議室。

 中央には、低い壇と、二つの国章。


 一方にノクスヴァイ。

 もう一方にルミナス王聖国。


 静寂は、今にも切れそうな緊張を(はら)んでいた。


「では、改めて問う」


 ミロディオス・ルーメンが、ゆっくりと顔を上げる。


「マグナレオールの行為を──

 貴国は、なお“事故”として処理するつもりか」


 視線が、ノクスヴァイ側中央へと集まった。


 王──ミルセイン・ノクスヴァイは、即答しない。


 一瞬の静寂の後、

 初老の男が、静かに一歩前へ出た。


 深い灰色の正装に身を包み、

 胸元には、王国の証である双環(そうかん)の勲章が留められている。


 セルル・バルドレイン。


 王政評議会の長。

 王の右腕であり──均衡の象徴として、この国の政治の中枢に立つ者だった。


 彼が立った瞬間、

 ノクスヴァイ側の席に、目に見えぬ安堵が走った。


「現時点では、断じかねる」


 穏やかな声だった。


「今回の各地での異変。その原因がマグナレオールにあると証明されたわけではない。

 ましてや、それが意図的な支配行為であると断ずるには──我々はあまりに多くを知らず、あまりに急ぎすぎている」


 セルルとミロディオスの視線が交差する。


「結論を焦れば、待っているのは解決ではない。……壊滅だ」


 ルミナス側の神官たちが、わずかにざわめく。


 ミロディオスは、目を細めた。


「……まだ“待つ”と言うのか」


 言葉は淡々としているが、その奥に滲むのは失望に近いものだった。


 セルルは、視線を逸らさない。


「壊さないために、急がぬのだ」


 一瞬、空気が張りつめる。


 ミロディオスは、静かに息を吐いた。


「……その言い回し。

 お前は昔からそうだったな」


 それは公の場にしては、あまりに私的な響きを含んでいた。


 だが、セルルはわずかに目を伏せる。


「ミロディオス。お前にだけは、今でも通じると信じている」


 ミロディオスは、ほんの一瞬だけ口角を上げた。


「お互い……変わらぬな。

 お前の(はかり)は、いつも世界を救う。

 ……だが同時に、救えぬ命も生む決断だ」


「承知している。

 それでも──私は武力行使を、最後まで否定する」


 セルルは王に一瞬だけ視線を送り、再びミロディオスを見た。


「我々は、マグナレオールに説明を求める。

 その機会を与えず断罪することは、我々自身が“越えてはならぬ境界”に踏み込む行為だ」


 ノクスヴァイ側の重役たちが、深く頷いた。


 ミロディオスはしばし沈黙した後、低く告げる。


「……良いだろう」


 会議室に、息を呑む音が走る。


「我らも、即時の武力行使は望まぬ。

 だが──説明なき沈黙が続くなら、聖国は動く」


 視線が、鋭く光る。


「それでも、お前は保証するか。

 “話し合いで止まれる世界”を」


 セルルは、静かに頷いた。


「保証しよう。

 ……私の命に変えても」


 その瞬間、誰もが理解した。


 この男が、最後の防波堤であることを。


 ミロディオスは、視線を会議室全体にゆっくりと巡らせた。


 百を超える席。

 その一つ一つに座る者たちは、国家の意志そのものを象っていた。


「結論としよう」


「ルミナス王聖国は、ノクスヴァイ王国と協力し──

 マグナレオールに対し、正式に“説明責任”を求める」


 その言葉に異を唱える者はいない。


 ミロディオスは続ける。


「即時の制裁は行わぬ。

 ノクスヴァイ王国の提案に従い、対話の機会を設ける」


 ざわめきが生まれる。

 だがそれは不満ではなく、緊張がほどけた音だった。


 セルルは、ゆっくりと息を吐いた。


「感謝する。

 この選択が間違っていなかったことを証明してみせよう」


 ミロディオスは、わずかに顎を引いた。


「証明できねば、血で答えることになるだろう。

 その覚悟があるならば、我らは待つ」


 期限付きの猶予。それは、ノクスヴァイが確かに築いた信頼の証だった。


 その後の会議は、時間をかけて細部を詰めていった。


 書面の形式、期限、使者の選定。


 すべてが過去の外交記録に基づく、正当な手順で決定された。


 安堵(あんど)の空気と共に、誰もが理解していた。


 これが最後の穏便策(おんびんさく)になると。

 

 *


 マグナレオールへの使者は、三日で戻るはずだった。


 だが──


 一日。

 二日。

 三日。


 いくら待っても、マグナレオールからの返答はなかった。


 セグナールの街には、噂が広がり始める。


「やはり……不都合には沈黙を選ぶしかないのだろう」

「神を気取った国は、我らを見下している」


 疑念は、熱を帯びていく。


 ”白鐘(しろかね)”の最上階。

 夜も更け、少し暗い回廊で、セルルは立ち止まっていた。


 その目線の先には、ラグナの街の灯がかすかに揺れている。


「……沈黙は、最も危険な返答だ。

 他に何か手段は無いのか……このままでは──」


 続くその言葉は、誰にも聞かれなかった。


 *


 四日目の昼。


 大広間に集められた二国の使節団は、すでにその様相を変えていた。


 ルミナスの神官たちは祈りの前の静けさではなく、断罪の前の静けさをまとっている。


 ノクスヴァイの重役たちは、武力を望まぬがゆえに──誰もが苦しみの表情を浮かべていた。


 その中央に、セルルは立っていた。


 わずかに息を整える。


 そして、誰も予想しなかった動きを見せた。


 床に、両手をつく。


 膝を折り、額を下げる。


 部屋の空気が凍りついた。


 その行動に他よりを衝撃を受けた人物が二人いた。


 ノクスヴァイ王と、ミロディオス。


 二人は、誰よりもセルルのことを知っている。

 “頭を下げるな。軽く見られた瞬間に、外交は終わる”

 その言葉を、何度も若い外交官たちに教えてきた男だ。


 その男が、今──


 百を超える人間の前で、床に伏していた。


「……お願い致します」


 その声には悲壮でも、絶望も無い。


 そこにあるのは、決意。


「どうか、私に時間をください。

 このままでは、誰も引き返せなくなる」


 顔を上げないまま、言葉を続ける。


「この状況を止める手段を──必ず、持ち帰ります」


 ざわめきが広がる。


 ミロディオスは、しばらく黙って見ていた。


 やがてセルルの前に、膝を折った。


「……立て、セルル」


「お前がそこまでの覚悟を示した以上、

 我らも“信仰の名”で押し切るわけにはいかぬ」


 ノクスヴァイ側でも、王の側近たちが視線を交わす。


 やがて、王が口を開いた。


「二日だ」


 短い言葉。


「それ以上は……均衡国家として、何もせずにいることはできない」


 セルルは、ようやく頭を上げた。


 その目は、迷っていない。


「王よ。……必ず、戻ります」


 *


 ヴァルデン連合王国、理衡教(りこうきょう)の執務室。


 ヴェルナはセルルの話を、最後まで遮らずに聞いていた。


 机の上にある文書を閉じ、低く息を吐く。


「……限界はもう近い」


 セルルは、即座に頷く。


「分かっている。

 だが、今やらなければ、誰にも止められない」


 ヴェルナは、視線を落とす。


「二国は、もう“正義”を選び始めている。

 我らが動いたとて、マグナレオールが応えなければ状況は変わらない」


 セルルは、静かに言った。


「だからこそだ。合理の名の元に、マグナレオールとの対話をする。

 実現しなければ──均衡は、終わりを迎える」


 少しの沈黙の後、ヴェルナは、目を上げた。


「……ヴァルデンは、中立を保つ」


「その上で──均衡会議の開催に、全力を尽くそう」


 その声には、軽さはなかった。


「……感謝する、ヴェルナ」


 彼女は、首を横に振った。


「私もまた……国を想っているだけだ」


 二人の立場の違いも、年の差も、その言葉の前では平等だった。


 *


 セルルを見送った後、ヴェルナは執務室に一人残っていた。


 机の上に広げた地図の上で、いくつもの国境線が複雑に絡み合っている。

 指でなぞるたび、国の重さが伝わってくるようだった。


「これが最後の賭けになるか……」


 その時、扉が静かに叩かれた。


「入れ」


 現れたのは、情報部の伝令だった。

 まだ若く、その顔に滲む緊張が隠せていなかった。


「ヴェルナ様。

 ……リラ・ヴェルノアらしき人物の目撃報告が、入りました」


 胸が、微かに締めつけられる。


「生きている、ということか」


「……はい。ただ――」


 言葉を選ぶように、伝令は一瞬間を置いた。


「各地で、“神の代行者”を名乗る過激派集団の噂が広がっています」


 嫌な沈黙が落ちる。


「その集団はマグナレオールの紋章を掲げ、

 その中心人物に“リラ・ヴェルノア”を置いていると……」


「……確認は?」


「できておりません。

 いずれも、伝聞と目撃証言のみです」


 ヴェルナは、ゆっくりと息を吐いた。


 あくまで、噂程度の認識。


「リラじゃない。しかし……信じる者が出始めれば──世界が傾く」


 伝令は、黙って頷いた。


 ヴェルナは窓の外を見た。

 外はまだ静かで、平穏そのものだ。


 だが、どこか遠くで、何かが(うごめ)き始めている。


 ──均衡会議まで、持ちこたえてくれ。


 それは、世界に向けた祈りだった。

次回、均衡会議。

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