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リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
名を失った均衡世界
37/55

均衡を崩す名前

お待たせしました!第三部、始まります。


※第二部を読了してくださった方へ

後書きに、感想と評価について大切なメッセージを追記しました。

もしまだの方は、第二部最終話の末尾をもう一度だけ見ていただけると嬉しいです。


 世界は確かに、形を変えた。


 だがその変化は、最初から“壊れた”という分かりやすい姿では残ったわけではなかった。

 もっと厄介で、もっと長く尾を引く形で、各地に傷を残していた。


 人々は、日常を取り戻そうと必死に働いた。


 倒れた壁には支柱が添えられ、割れた石畳は土と石で埋められる。

 崩落した屋根には仮の布が張られ、職人は昼も夜も関係なく槌を振るっていた。


 生活は、戻る。

 戻らなければならない。


 けれど── 人の心だけは、戻らなかった。


 怪我人は治療され、瓦礫は積み上がり、死者は弔われた。

 被害を受けた誰もが悲しみを乗り越えようともがいている。


 表面だけを見れば、復興は進んでいるように見える。


 だが──傷は目に見えるものだけ残ったわけではなかった。


 恐怖の記憶が、夜になると牙を剥いた。


 夜になると、眠れない者が増えた。

 寝台の上で息が詰まり、目を閉じるとあの揺れが戻ってくる。


 揺れた瞬間の「意味が分からない」という感覚。

 天災を前にして、人間の無力さを感じた──あの瞬間が戻ってくる。


 自分の身体が、住み慣れたはずの世界が、突然理解不能になった瞬間。


 人は理解できないものを恐れる。

 恐れはやがて、誰かを殴るための理由へと変わっていく。


 さらに奇妙なのは、同じ“揺れ”なのに記憶の残り方が人によって違うことだった。


「今でも足の裏に違和感があってよ。地面が“唸った”みたいだった」


 そう語る者がいれば、


「大したことはなかっただろ?うちの食器が鳴ったくらいだ」


 と首を振る者もいる。


 同じ日に、同じ世界で起きた出来事なのに、話が噛み合わない。

 それが何よりも不気味だった。


 震源がない。

 原因が分からない。


 あれは地震と呼べるものではない。

 誰かが起こした爆発でもない。


 世界が一斉に反応した。

 その事実だけが各地の記録に残っている。


 被害は不均一で、

 場所によって痛みの度合いが全く違う。


 だからこそ疑念が生まれる。


 なぜここは軽かったのか。

 なぜあそこは重かったのか。


 誰かが何かをしてしまったのか。

 世界が、動いたのか。


 当初、人々はその疑問を口にしなかった。

 だが復旧が進み、日常が戻り始めるにつれて、疑念の言葉は増えていった。


 生活が落ち着くほど、心の奥に押し込んでいた不安が浮かび上がってくる。


 広場の片隅で。

 酒場の端で。

 治療所の待合所で。


「あれは何だったんだろうな」

「神の怒り……じゃないのか」

「神が、怒るくらいなら、誰かが何かしたんだろう」


 その最後の一言は、次第に周囲の空気を変えていった。


 誰かが何かした。

 なら、その誰かを探せばいい。


「誰が原因だ?」

「俺、知ってるぞ。あいつが──」


 ”分からない”が続くと、不安から荒れる者も出てきた。


 だから皆、”原因”を欲しがった。


 ノクスヴァイ王国でも復旧は進んでいた。


 城下の大通りは大部分が補修され、露店の活気が戻りつつある。

 朝の匂いも、いつも通りだった。

 人々は働き、笑い、日常の形を取り戻そうと必死にもがいていた。


 だが、空を見上げる癖だけは消えない。


 世界が揺れた日から、空は変わっていない。

 雲も風も、もういつも通りだ。


 それでも見上げる人がいる。


 “次”が来るかもしれないからだ。

 理由が分からない以上、恐れることしかできない。


 止められないものが、最も怖い。


 *


 王城では、より静かな混乱が続いていた。


 復旧計画、食糧配分、資材移送、設備点検。

 数字と報告だけがひたすら机に積み上がっていく。


 だが、その報告書に“原因”の欄は存在しない。


 異常が起きた。

 被害が残った。

 それでも何が起きたのか──誰にもその欄を埋められない。


 それは政治にとって致命的だった。


 「分からない」は政治の世界において、許されない。

 民は理由がなければ納得しない。


 そして今、世界は「理由を持たない傷」だけを残している。


 遠い国々でも同じ歪みが広がっていた。


 水質の異常。木々の倒壊。空気の濁り。

 どれも一時的で、証拠は残らない。


 だが人の心だけは確実に変えていく。


 この世界は揺らがない──

 その無意識の信頼が、静かに崩れた。


 それでも世界は、何食わぬ顔で朝を連れてくる。

 その無関心さが、さらに恐怖を育てた。


 数週間が経ち、街の傷は薄れていく。

 だが「何が起きたか分からない」という傷だけは、消えない。


 時間が経つほど、人は衝撃より結論を欲しがる。


 ──原因があるはずだ。

 ──誰かのせいだ。


 その火種はまだ小さい。

 まだ、炎ではない。


 けれど確かに、生まれている。


 誰かが一度、息を吹き込めば。

 誰かが一度、“名”を与えれば。


 火は、燃え上がる。


 *


 ノクスヴァイ王城の情報部は、あの日以降、休むことと無縁だった。


 世界規模の異変が落ち着き始めると同時に、次に積み上がったのは「不明」という文字だった。

 破壊の報告ではなく、結果にまつわるもの。

 行方、所在、安否──すべてが曖昧なまま止まっている案件が積み上がっている。


 その中で、最も扱いに困る名がひとつあった。


 外交官補佐、リラ・ヴェルノア。


 彼女のマグナレオール訪問任務中。

 異変へ巻き込まれ、以降、帰還記録が存在しない。


 予定されていた帰国日はとうに過ぎた。

 それでも、彼女の名は“到着”の欄に現れなかった。


 通常なら、まず状況整理をする。

 誰と会い、どこに泊まり、いつ移動したか。

 それを丁寧に積み上げれば、所在の輪郭くらいは出てくる。


 だが今回は、輪郭が出ない。


 宿泊記録は途中で途切れている。

 管理に残るはずの出国処理も存在しない。


 ──記録が焼けたのか。

 ──帳簿ごと失われたのか。


 そう考える者もいた。災害直後なら、珍しい話ではない。

 だが復旧が進んで数週間が経っても、何も出てこない。

 出てこないという事実だけが、じわじわと重くなる。


 加えて、不自然なのはそこだけではなかった。


 マグナレオール側からの定期報告文書が、止まっていた。


 彼の国は、特に酷い被害状況だった。

 だとしても、異常なのだ。


 復興が進んでいる様子は確認されている。

 拒否ではない。

 だが現実に、報告書類も、伝達も、何も届かない。


 「沈黙」と呼ぶには、少し違う。

 その意志すら感じられない、ただただ空白だった。


 そこにあったはずのものが、抜け落ちている。

 すなわち──リラ・ヴェルノアの名が。


 情報部の担当官は、同じ文言を報告に残した。

 やたら几帳面で、やたら冷たい字だった。


 ──生死不明。


 不明という言葉は、便利だ。

 だが便利であるほど、政治にとっては毒になる。


 死亡とは書けない。

 証拠も、遺体もない。証言も皆無だ。


 けれど、生きているとも書けない。


 この国において「確認できない」は、「失った」とほぼ同義だった。


 “説明できない”

 そして説明できないものは、必ず疑われる。


 王城内部の空気は冷え切っていた。


 マグナレオールは何をしたのか。

 外交部はどんな安全確認を行なっていたのか。

 そもそも、なぜ彼女だったのか。


 そして、問いが問いを呼び、最終的に最も重い言葉が机の上に置かれた。


 責任。


 外交とは信頼で成り立つものだ。

 信頼を失えば、均衡は崩れる。


 まだ断定はされていない。

 だが「説明できない不明」は、やがて国を揺らす火種になる。


 情報部の報告書に、ついにその一文が書き込まれる。


 ──責任の所在を明らかにせよ。


 上層部は調査継続を命じる。

 調べる対象は増え、机の上の紙束は日を追うごとに厚くなる。


 任務の再精査。

 確認できる限りの証言。

 渡航前後の会話記録。

 マグナレオールとの往復文書の再照合。


 だが、今やマグナレオールは、完全に他の国との関わりを絶っていた。


 そして沈黙する。

 まるで最初から、彼女が世界に存在しなかったかのように。


 その異様さが、王城内の空気をさらに冷やしていった。


 外交官が消えた。


 それは事故では済まされない。


 任務は国の名を背負っている。

 国家間の責任問題に直結する。


 王城は沈黙を選び続ける。

 沈黙しか選べない。情報がない。


 だが沈黙は、長くは持たない。


 *


 最初は、小さな違和感だった。


 外交部の動きが妙に慌ただしい。

 城内で名前を呼ばれる回数が増え、廊下で立ち止まる人間が増えた。


 誰も説明しない。

 だが、空気だけが変わっていた。


 その空気は、城の外へも漏れていく。


 使用人の噂が、商人の耳へと渡り、

 商人の噂が、酒場へと場所を変えていく。


「まだ戻らないらしい」


 その一言で十分だった。

 何が?と聞く者はいない。

 誰もが、すでに“誰のことか”を知っていたからだ。


 外交官補佐──リラ・ヴェルノア。


 マグナレオールに滞在したまま、行方も、生死も分からなくなった。

 その事実は、王城の中だけに留められていたはずだった。


 酒場の片隅で、誰かが言った。


「外交官補佐が帰ってこないんだってよ」


「向こうで災害に巻き込まれたらしい」


「ああ……あの国だろ?空を割ったっていう」


 事実と憶測が混ざり合い、形を変えていく。


 やがて言葉は鋭さを帯びる。


「殺されたんじゃないのか?」


 それを否定する者もいた。


「証拠がないらしい。だから行方不明ってことにしてんだ」


 だが、人は“空白”を嫌う。

 分からないまま放置することに耐えられない。


 だから、勝手に埋める。


 分からない部分を埋めると、楽になる。

 世界を少しだけ理解できた気がするから。


 他の席の、誰かが笑った。


「うちの国が、北の技術を盗もうとしたから送り込んだんだろ」


「人質みたいなもんだったって話もある」


「外交なんて、そういうもんだ」


 笑い声の裏で、拳が握られる。


「……ふざけるな」


「あの子はそんな扱いじゃない」


 彼女を知る者ほど、怒りを抑えきれない。

 知らない者ほど、好き勝手な物語を作る。


 その物語は、いつも都合がいい。


 誰かが悪い。

 誰かが欲をかいた。

 だから世界が揺れた。


 そうであってほしい、という願いに近いもの。


 城下でも、声は割れていく。


「可哀想すぎるだろ……」


「優しい子だったって聞いたぞ」


「巻き込まれたんだ。国の陰謀に」


 その隣で、別の声。


「いや、逆じゃないのか?」


「世界の異変と同じ時期にあの国にいたんだろ?」


「無関係なわけがない」


 沈黙が生まれる。


 同情と疑念は、共存することは難しい。


 そして国は、割れていく。


 *


 王城で、その変化を誰よりも早く察知していた者がいた。


 アデルは廊下を歩きながら、自分の靴音がやけにうるさく感じることに苛立ちを覚えていた。


 市場での噂。

 酒場での言葉。

 街中での不安。

 報告書に「民間での言及増加」の項目が加わる。


 うちの外交官補佐の失踪は、国家間の問題になり始めていた。


 城下の噂も、その色を増してきている。


 皆、”知っている顔”で語る。


 それがアデルにとって、非常に不快だった。


 彼は人の気配が薄くなった宰務局の一室で、唇を噛む。


 扉がノックされ、ミレアが入ってくる。


 顔色が悪い。もう何日も、まともに寝ていないのだろう。

 それは、アデルも同様だった。


「……隠しきれません」


 ミレアが、低く呟く。


「まだ、同情の声が大きい。……彼女が可哀想だ、と」


「でも、彼女を”原因”として疑う者も出てきています」


 そして。


「私たちにも、何も分かっていない」


 ミレアが、吐き捨てるように言った。


 少しの沈黙の後、続ける。


「ねぇ……アデル。あの子は、無事よね?きっと……帰ってくる」


 彼は──その問いに対する、答えを持っていなかった。


 ミレアは、答えを得られないまま部屋を後にした。


 一人残された部屋で、アデルは憂う。


 現状では、まだ噂の矛先は定まっていない。

 だが確実に、火は広がっている。


 リラを哀れむ声。

 同様に、リラを疑う声。

 国を責める声。

 国を守ろうとする声。


 すでに、ひとつの出来事ではなくなっていた。


 リラ・ヴェルノアという名は──

 ノクスヴァイ国内の均衡を揺らす“火種”へと変わっていく。


 そして火種は、燃え上がる前がいちばん危ない。

 誰もが「まだ大丈夫だ」と思いながら、

 気づけば足元から熱が回り始めるからだ。


カクヨムコンテストの応募にあたり、第1話から順に修正を行なっております。

文章・記号の整理や、初期のキャラのブレを統一などを進めており、より読みやすい形へ調整しています。

もしお時間のある方は、修正箇所も合わせてご確認頂けると嬉しいです。


現在、第4話まで修正済みです。


さて、ここから第三部が始まります。

ついに動き出した世界の秘密。

そして、崩れ出す日常……誰もが不安に感じ、それぞれの“正しさ“が衝突します。

誰が正しいか?ではなく、誰もが正しい。

だからこそ──世界は混乱へと傾いていきます。


第三部も、どうぞ宜しくお願い致します。

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