均衡を崩す名前
お待たせしました!第三部、始まります。
※第二部を読了してくださった方へ
後書きに、感想と評価について大切なメッセージを追記しました。
もしまだの方は、第二部最終話の末尾をもう一度だけ見ていただけると嬉しいです。
世界は確かに、形を変えた。
だがその変化は、最初から“壊れた”という分かりやすい姿では残ったわけではなかった。
もっと厄介で、もっと長く尾を引く形で、各地に傷を残していた。
人々は、日常を取り戻そうと必死に働いた。
倒れた壁には支柱が添えられ、割れた石畳は土と石で埋められる。
崩落した屋根には仮の布が張られ、職人は昼も夜も関係なく槌を振るっていた。
生活は、戻る。
戻らなければならない。
けれど── 人の心だけは、戻らなかった。
怪我人は治療され、瓦礫は積み上がり、死者は弔われた。
被害を受けた誰もが悲しみを乗り越えようともがいている。
表面だけを見れば、復興は進んでいるように見える。
だが──傷は目に見えるものだけ残ったわけではなかった。
恐怖の記憶が、夜になると牙を剥いた。
夜になると、眠れない者が増えた。
寝台の上で息が詰まり、目を閉じるとあの揺れが戻ってくる。
揺れた瞬間の「意味が分からない」という感覚。
天災を前にして、人間の無力さを感じた──あの瞬間が戻ってくる。
自分の身体が、住み慣れたはずの世界が、突然理解不能になった瞬間。
人は理解できないものを恐れる。
恐れはやがて、誰かを殴るための理由へと変わっていく。
さらに奇妙なのは、同じ“揺れ”なのに記憶の残り方が人によって違うことだった。
「今でも足の裏に違和感があってよ。地面が“唸った”みたいだった」
そう語る者がいれば、
「大したことはなかっただろ?うちの食器が鳴ったくらいだ」
と首を振る者もいる。
同じ日に、同じ世界で起きた出来事なのに、話が噛み合わない。
それが何よりも不気味だった。
震源がない。
原因が分からない。
あれは地震と呼べるものではない。
誰かが起こした爆発でもない。
世界が一斉に反応した。
その事実だけが各地の記録に残っている。
被害は不均一で、
場所によって痛みの度合いが全く違う。
だからこそ疑念が生まれる。
なぜここは軽かったのか。
なぜあそこは重かったのか。
誰かが何かをしてしまったのか。
世界が、動いたのか。
当初、人々はその疑問を口にしなかった。
だが復旧が進み、日常が戻り始めるにつれて、疑念の言葉は増えていった。
生活が落ち着くほど、心の奥に押し込んでいた不安が浮かび上がってくる。
広場の片隅で。
酒場の端で。
治療所の待合所で。
「あれは何だったんだろうな」
「神の怒り……じゃないのか」
「神が、怒るくらいなら、誰かが何かしたんだろう」
その最後の一言は、次第に周囲の空気を変えていった。
誰かが何かした。
なら、その誰かを探せばいい。
「誰が原因だ?」
「俺、知ってるぞ。あいつが──」
”分からない”が続くと、不安から荒れる者も出てきた。
だから皆、”原因”を欲しがった。
ノクスヴァイ王国でも復旧は進んでいた。
城下の大通りは大部分が補修され、露店の活気が戻りつつある。
朝の匂いも、いつも通りだった。
人々は働き、笑い、日常の形を取り戻そうと必死にもがいていた。
だが、空を見上げる癖だけは消えない。
世界が揺れた日から、空は変わっていない。
雲も風も、もういつも通りだ。
それでも見上げる人がいる。
“次”が来るかもしれないからだ。
理由が分からない以上、恐れることしかできない。
止められないものが、最も怖い。
*
王城では、より静かな混乱が続いていた。
復旧計画、食糧配分、資材移送、設備点検。
数字と報告だけがひたすら机に積み上がっていく。
だが、その報告書に“原因”の欄は存在しない。
異常が起きた。
被害が残った。
それでも何が起きたのか──誰にもその欄を埋められない。
それは政治にとって致命的だった。
「分からない」は政治の世界において、許されない。
民は理由がなければ納得しない。
そして今、世界は「理由を持たない傷」だけを残している。
遠い国々でも同じ歪みが広がっていた。
水質の異常。木々の倒壊。空気の濁り。
どれも一時的で、証拠は残らない。
だが人の心だけは確実に変えていく。
この世界は揺らがない──
その無意識の信頼が、静かに崩れた。
それでも世界は、何食わぬ顔で朝を連れてくる。
その無関心さが、さらに恐怖を育てた。
数週間が経ち、街の傷は薄れていく。
だが「何が起きたか分からない」という傷だけは、消えない。
時間が経つほど、人は衝撃より結論を欲しがる。
──原因があるはずだ。
──誰かのせいだ。
その火種はまだ小さい。
まだ、炎ではない。
けれど確かに、生まれている。
誰かが一度、息を吹き込めば。
誰かが一度、“名”を与えれば。
火は、燃え上がる。
*
ノクスヴァイ王城の情報部は、あの日以降、休むことと無縁だった。
世界規模の異変が落ち着き始めると同時に、次に積み上がったのは「不明」という文字だった。
破壊の報告ではなく、結果にまつわるもの。
行方、所在、安否──すべてが曖昧なまま止まっている案件が積み上がっている。
その中で、最も扱いに困る名がひとつあった。
外交官補佐、リラ・ヴェルノア。
彼女のマグナレオール訪問任務中。
異変へ巻き込まれ、以降、帰還記録が存在しない。
予定されていた帰国日はとうに過ぎた。
それでも、彼女の名は“到着”の欄に現れなかった。
通常なら、まず状況整理をする。
誰と会い、どこに泊まり、いつ移動したか。
それを丁寧に積み上げれば、所在の輪郭くらいは出てくる。
だが今回は、輪郭が出ない。
宿泊記録は途中で途切れている。
管理に残るはずの出国処理も存在しない。
──記録が焼けたのか。
──帳簿ごと失われたのか。
そう考える者もいた。災害直後なら、珍しい話ではない。
だが復旧が進んで数週間が経っても、何も出てこない。
出てこないという事実だけが、じわじわと重くなる。
加えて、不自然なのはそこだけではなかった。
マグナレオール側からの定期報告文書が、止まっていた。
彼の国は、特に酷い被害状況だった。
だとしても、異常なのだ。
復興が進んでいる様子は確認されている。
拒否ではない。
だが現実に、報告書類も、伝達も、何も届かない。
「沈黙」と呼ぶには、少し違う。
その意志すら感じられない、ただただ空白だった。
そこにあったはずのものが、抜け落ちている。
すなわち──リラ・ヴェルノアの名が。
情報部の担当官は、同じ文言を報告に残した。
やたら几帳面で、やたら冷たい字だった。
──生死不明。
不明という言葉は、便利だ。
だが便利であるほど、政治にとっては毒になる。
死亡とは書けない。
証拠も、遺体もない。証言も皆無だ。
けれど、生きているとも書けない。
この国において「確認できない」は、「失った」とほぼ同義だった。
“説明できない”
そして説明できないものは、必ず疑われる。
王城内部の空気は冷え切っていた。
マグナレオールは何をしたのか。
外交部はどんな安全確認を行なっていたのか。
そもそも、なぜ彼女だったのか。
そして、問いが問いを呼び、最終的に最も重い言葉が机の上に置かれた。
責任。
外交とは信頼で成り立つものだ。
信頼を失えば、均衡は崩れる。
まだ断定はされていない。
だが「説明できない不明」は、やがて国を揺らす火種になる。
情報部の報告書に、ついにその一文が書き込まれる。
──責任の所在を明らかにせよ。
上層部は調査継続を命じる。
調べる対象は増え、机の上の紙束は日を追うごとに厚くなる。
任務の再精査。
確認できる限りの証言。
渡航前後の会話記録。
マグナレオールとの往復文書の再照合。
だが、今やマグナレオールは、完全に他の国との関わりを絶っていた。
そして沈黙する。
まるで最初から、彼女が世界に存在しなかったかのように。
その異様さが、王城内の空気をさらに冷やしていった。
外交官が消えた。
それは事故では済まされない。
任務は国の名を背負っている。
国家間の責任問題に直結する。
王城は沈黙を選び続ける。
沈黙しか選べない。情報がない。
だが沈黙は、長くは持たない。
*
最初は、小さな違和感だった。
外交部の動きが妙に慌ただしい。
城内で名前を呼ばれる回数が増え、廊下で立ち止まる人間が増えた。
誰も説明しない。
だが、空気だけが変わっていた。
その空気は、城の外へも漏れていく。
使用人の噂が、商人の耳へと渡り、
商人の噂が、酒場へと場所を変えていく。
「まだ戻らないらしい」
その一言で十分だった。
何が?と聞く者はいない。
誰もが、すでに“誰のことか”を知っていたからだ。
外交官補佐──リラ・ヴェルノア。
マグナレオールに滞在したまま、行方も、生死も分からなくなった。
その事実は、王城の中だけに留められていたはずだった。
酒場の片隅で、誰かが言った。
「外交官補佐が帰ってこないんだってよ」
「向こうで災害に巻き込まれたらしい」
「ああ……あの国だろ?空を割ったっていう」
事実と憶測が混ざり合い、形を変えていく。
やがて言葉は鋭さを帯びる。
「殺されたんじゃないのか?」
それを否定する者もいた。
「証拠がないらしい。だから行方不明ってことにしてんだ」
だが、人は“空白”を嫌う。
分からないまま放置することに耐えられない。
だから、勝手に埋める。
分からない部分を埋めると、楽になる。
世界を少しだけ理解できた気がするから。
他の席の、誰かが笑った。
「うちの国が、北の技術を盗もうとしたから送り込んだんだろ」
「人質みたいなもんだったって話もある」
「外交なんて、そういうもんだ」
笑い声の裏で、拳が握られる。
「……ふざけるな」
「あの子はそんな扱いじゃない」
彼女を知る者ほど、怒りを抑えきれない。
知らない者ほど、好き勝手な物語を作る。
その物語は、いつも都合がいい。
誰かが悪い。
誰かが欲をかいた。
だから世界が揺れた。
そうであってほしい、という願いに近いもの。
城下でも、声は割れていく。
「可哀想すぎるだろ……」
「優しい子だったって聞いたぞ」
「巻き込まれたんだ。国の陰謀に」
その隣で、別の声。
「いや、逆じゃないのか?」
「世界の異変と同じ時期にあの国にいたんだろ?」
「無関係なわけがない」
沈黙が生まれる。
同情と疑念は、共存することは難しい。
そして国は、割れていく。
*
王城で、その変化を誰よりも早く察知していた者がいた。
アデルは廊下を歩きながら、自分の靴音がやけにうるさく感じることに苛立ちを覚えていた。
市場での噂。
酒場での言葉。
街中での不安。
報告書に「民間での言及増加」の項目が加わる。
うちの外交官補佐の失踪は、国家間の問題になり始めていた。
城下の噂も、その色を増してきている。
皆、”知っている顔”で語る。
それがアデルにとって、非常に不快だった。
彼は人の気配が薄くなった宰務局の一室で、唇を噛む。
扉がノックされ、ミレアが入ってくる。
顔色が悪い。もう何日も、まともに寝ていないのだろう。
それは、アデルも同様だった。
「……隠しきれません」
ミレアが、低く呟く。
「まだ、同情の声が大きい。……彼女が可哀想だ、と」
「でも、彼女を”原因”として疑う者も出てきています」
そして。
「私たちにも、何も分かっていない」
ミレアが、吐き捨てるように言った。
少しの沈黙の後、続ける。
「ねぇ……アデル。あの子は、無事よね?きっと……帰ってくる」
彼は──その問いに対する、答えを持っていなかった。
ミレアは、答えを得られないまま部屋を後にした。
一人残された部屋で、アデルは憂う。
現状では、まだ噂の矛先は定まっていない。
だが確実に、火は広がっている。
リラを哀れむ声。
同様に、リラを疑う声。
国を責める声。
国を守ろうとする声。
すでに、ひとつの出来事ではなくなっていた。
リラ・ヴェルノアという名は──
ノクスヴァイ国内の均衡を揺らす“火種”へと変わっていく。
そして火種は、燃え上がる前がいちばん危ない。
誰もが「まだ大丈夫だ」と思いながら、
気づけば足元から熱が回り始めるからだ。
カクヨムコンテストの応募にあたり、第1話から順に修正を行なっております。
文章・記号の整理や、初期のキャラのブレを統一などを進めており、より読みやすい形へ調整しています。
もしお時間のある方は、修正箇所も合わせてご確認頂けると嬉しいです。
現在、第4話まで修正済みです。
さて、ここから第三部が始まります。
ついに動き出した世界の秘密。
そして、崩れ出す日常……誰もが不安に感じ、それぞれの“正しさ“が衝突します。
誰が正しいか?ではなく、誰もが正しい。
だからこそ──世界は混乱へと傾いていきます。
第三部も、どうぞ宜しくお願い致します。




