表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
始まりの国
3/52

心の余白

3話です。ご記憶くださいますように。


 城下町の夜は、昼とは違う顔を見せる。


 露店の呼び声が消えて、通りは静けさを取り戻す。

 家の窓から漏れる光が石畳を柔らかく照らして、中からかすかな笑い声が聞こえてくる。


 私は上着を腕に掛けたまま、家の扉を閉めた。


 今日も、遅くなった。


 灯りをつける前に靴を脱ぐ。

 靴下の片方まで脱いだところで止まり、少し考えてから靴を揃えた。


 机の上には、まとめきれなかった書類が積まれている。

 内容は頭に入っている。整理が追いついていないだけだ。


 椅子に腰掛け、息を吐く。


 城下町の中でも、この部屋はやけに静かな場所だった。

 考え事をするにはもってこいだ。


 西の動き。

 北の沈黙。

 南の様子見。


 均衡は、まだ保たれている。

 けれどほんのわずかに、重心がずれているような気がする。


「……明日は、休みか」


 そう(つぶや)いて、私は書類から目を離した。


 *


「また、あの小娘か」


 低く吐き捨てるような声が、静かな部屋に落ちた。


「最近、何かと口を(はさ)んでくる」

「若い者が、少し無礼(ぶれい)ではないか?」


 机を囲む数人の男たちは、口々に同意の言葉を重ねる。


「判断が早すぎる」

「慎重さが足りない」

「経験が(ともな)っていない」


 その中心に座る男が、鼻を鳴らした。


 「フンッ……」


 男の名は、エリオ・カーディスという。


 名門の家に生まれ、正規の道を歩み、努力と実績を積み上げてきた。

 若くして要職に()いたこともある。

 だがその先で、二人の存在に行く手を阻まれた。


 宰務官であるアデル・グランハルト。

 そして──リラ・ヴェルノア。


 彼は苛立(いらだ)ちを隠すように、資料の角を何度も揃え直していた。


「偶然だと言うには、続きすぎている」


 エリオは静かに言った。


「間違ってはいない。

 だが──正しいからといって、危うくないとは限らない」


 誰かが、ゆっくりと頷く。


「確かに……」

「若すぎるのは事実だ」

「責任の重さを、分かっているのか?」


 同調の気配が、部屋に満ちていく。


 エリオは立ち上がり、窓の外を見た。

 城下町の灯りが、遠くに揺れている。


 数秒の沈黙の後、エリオが(つぶや)く。


「北の国は、恵まれていますね」


「魔法技術、ですか」

「攻撃ではなく、生活を支える技術だと聞く」

「知識としては知っているが……北の人間以外に使える者は、いないだろう」


 エリオは薄く笑った。


「閉じた力というのは、美しい建前になります」


「……建前?」


「ええ。“守るための独占”。聞こえは良いでしょう?」


 指先で机を叩きながら続ける。


「だが外から見れば、あれは国家の中枢そのものだ。

 他国の人間が深く関わることを──最も嫌う領域」


 男たちの視線が交差する。


「もし、あの女が“交流”を口実に踏み込めば?」


 誰かが息を呑んだ。


「北は警戒する」


「最悪、拘束される可能性も……」


 エリオは肩をすくめた。


「こちらは善意の派遣。

 向こうは技術防衛(ぼうえい)のための判断」


 一拍置き、静かに笑う。


「どちらが悪いとも、言えない構図になる」


 冷えた空気の中、誰かが口を開く。


「……あの女が北に興味を示さなければいいが」


 エリオは答えない。

 ただ満足そうに、もう一度鼻を鳴らした。


 *


 翌日。


 目を覚ましたのは、いつもより少し遅い時間だった。

 時計を見て、思わず口元が(ゆる)む。


 ──遅刻の心配がない朝って、こんなに平和だったっけ。


 起き上がって、軽く伸びをする。

 急ぐ必要がないというだけで、頭の奥に余白ができる。


 目的もなく、上着を羽織(はお)り、城下町へ出た。


 市場は昼前の(にぎ)わいを見せていた。

 果物(くだもの)(かご)、布のはためき、人の声。

 不意にどこからか、甘い匂いが漂ってくる。


 視線が、勝手に果物へ吸い寄せられる。


 ──あれ絶対、美味しいでしょ。

 見た目がもう、甘いって顔をしている。


 だけどやめておく。

 今日は別の楽しみを優先する。


 パン屋の前で、今度こそ足が止まった。


 香ばしい匂い。

 これはもう、理性の管轄外(かんかつがい)だ。


「これと……それと……」


 言い終えてから、手元を見る。


 二つ。


 紙袋を受け取り、店の外に出てから一息ついた。


「……これは、完全に計算ミスね」


 たったの二個で満足できると思った私が甘かった。

 というか、最初から無理だった。


 自分でそう結論づけて、少し笑う。


「まあ、今日は休みだから。たくさん美味しいもの食べよ」


 こういう日は、思いっきり自分を甘やかしたっていい。


 川沿いの道を歩きながら、紙袋を開く。


 良い香り。


 表面には薄くチーズが塗られ、(あぶ)られている。

 指で触れると、ほんのり温かく、カリッ、と音がしそうな硬さ。


 一口かじる。


 外はさくりとして、香ばしい。

 その直後、内側から柔らかな甘さが広がった。


 思わず声が漏れる。


「……うーん!もう!相変わらず、最高……!!」


 中に詰められているのは、乳脂肪の多いクリーム。


 ……これ、やっぱり好き。


 急いで食べると怒られる味だ。

 噛むたびに、小さな幸せが増えていく。


 白い髪が風に揺れるのも、今日は気にならなかった。

 視線を感じても、今日は見なかったことにする。


 天気も良い。最高の休日だ。


 そのまま歩いていると、甘い匂いが鼻をくすぐった。


 足が止まる。


 いや、止まらされた。


 それは、小さな菓子店だった。


 棚に、ひときわ目を引く存在がある。


 ──なにあれ。


 圧倒的な、白。


 中央に申し訳程度の生地(きじ)

 その上に、これでもかと盛られたクリームの山。


 明らかに多い。

 多すぎる。


 ──でも、それは私の“食べない理由“にはならない。


「……あれが本日のメインだったのね」


 店に入る前に一瞬だけ理性が顔を出したが、敢えてそれを無視した。


「紅茶と……あと、それを。え?いや……丸ごとください」


 店主が一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに微笑(ほほえ)んだ。


 すぐさま席に着き、一口。


 瞬間、舌に乗ったのは、まず白。


 ふわふわだけど、もっちりしていて。

 甘いのに、不思議とクドく感じない。


「……ん?」


 甘さだけじゃない。


 すぐ後から、舌の奥にかすかな渋みが残る。


 ──これ、下に何か隠れてる。


 クリームの下に、加工された赤色の果実。

 そのままなら、好みが分かれる味の果実。


 渋みはちゃんとある。でも、嫌じゃない。

 大量のクリームが、それを美味しさに変換する魔法をかけているから。


 バランスが悪ければ、果実の苦味に負ける。

 クリームが多すぎても、ただ重いだけになる。


 文句のつけようがなかった。


「……天才だわ」


 思わず呟いていた。


 白がすべてを包み込んで、味を一つにしている。

 これを“やりすぎ”で終わらせないのは、相当腕が良い職人が設計したのだろう。


 もう一口。


 やっぱり、止まらない。


 ……クリーム、多すぎるでしょ!!


 でも、むしろこれが良いんだ。


 多いからいい。

 多いから、安心する。


「……これ、好き」


 結論は、それだけだった。


 気づけば、皿はもう白くない。


 ──これは、絶対に。

 誰かに話したくなるやつだ。


 私は立ち上がる。


 行き先はもう、決まっていた。


 *


 店の前まで来て、私は一度だけ深呼吸をした。


 ──よし。


 扉を開けるなり、私は言った。


「ルシア!!聞いて」


「ごきげんよう。今日はちゃんとしてるのね」


 いつも通りの声。

 落ち着いていて、少しだけ眠たげ。


 私は彼女の(いじ)りを無視して続ける。


「今日ね、すっごいデザートを見つけたの!」


 カウンターに身を乗り出す。


「まず見た目が完全に白すぎなの。

 それにクリーム、明らかに多すぎるの」


 ルシアは、カップを拭きながら言った。


「多すぎると、逆に安心するでしょう」


「そう! それでね──」


 言葉が、途中で止まった。


 ……今。


 私が言おうとしたことと。


 まったく同じだった。


「……」


 ルシアが顔を上げる。


「なに?」


「……今、私が言おうとしたこと、そのまま言ったわ」


 少しの間。


 それから、ルシアは小さく笑った。


「でしょうね」


「……なにが?」


「その顔」


 意味が分からない。


「で?」


 ルシアは、何でもないことのように続ける。


「どうだった?」


「どうだったって……」


 私は言葉を探す。


「渋みのある素材をね、白が全部包み込んでて。

 誤魔化(ごまか)してるんじゃなくて、引き上げてるの」


 自分でも分かる。

 語気が強い。


「クリームの量も、質感も、温度も、全部ちょうどよくて。

 ……少しでもズレてしまったらダメなのに、完璧だった」


 最後は独り言のようになってしまった言葉に、ルシアが肩をすくめた。


「私が作ったのよ、あれ」


「……え?」


「作ったって言うより……考えたのが私」


 あまりにもさらっと言うから、一瞬理解が追いつかない。


「……待って」


「なに?」


「今の話、全部聞いてた?」


「聞いてたわ」


「じゃあ」


 私は一拍置いて、言った。


「なんで、早く教えてくれなかったの」


 ルシアは少しだけ考える素振りをしてから、答えた。


「分かるでしょう」


「分からない」


「じゃあ、分からないままでいいわ」


 ずるい。


「……すごい」


 それだけ言うと、ルシアは満足そうに頷いた。


「でしょう?」


 その顔が、少しだけ誇らしげに見えた。


「名前は?」


「まだないわ」


「決めなさいよ」


「嫌よ」


「なんでよ!」


 ルシアは、カップを差し出す。


「いつか、私が作るから。

 その時に、名前を付けるわ。」


「絶対よ」


「約束はしないわ」


「……そこはするところでしょ」


 小さく笑って、私は店を出る。


 外の空気が、少し冷たい。


 胸の奥に、説明できない感情が残っている。


 満ち足りた気分のまま、足取りは、少しだけ弾んでいた。


#第一部


ここまでが、プロローグです。

次回、能力が発現します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
エリオ・カーディスも良い男のようです。次回能力発揮場面とのこと。プロローグで平穏(?)な状況が理解できました。続けて読ませて頂きます。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ