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リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
“眠る王国“マグナレオール
25/53

情息花

人が取る全ての行動には、意味があると思っています。彼も、また。


 「……次は、準備だ」


 そう言ったシグの声が、まだ耳の奥に残っている。


 あの黒い板――思考転写板の上で、言葉が浮かんでは消えた。消えても、残るものだけが残った。


 下層に行ったことは記録されている。

 私の移動も、私の視線も、私の“考えかけたこと”も。


 そして、互いに単独では動けなくなった。


 それが怖いはずなのに――妙に、息がしやすかった。


 *


 次の日。


 王立大学は休みだった。

 休みなのに、私は目が覚めるのが早かった。


 考えすぎている。

 昨日までなら、それは“疲れ”に繋がったのに、今日は違う。


 思考が、少しだけ整っている。


 ――気づくことがトリガーになる。

 シグが言っていた通りなのかもしれない。


 朝の廊下は静かで、私が歩く音だけが、薄く反響する。


 図書館の裏手の小部屋へ行くと、すでにシグがいた。

 椅子に浅く座り、指輪を一つ、無意識に撫でている。


 視線を上げた瞬間、その癖が止まった。


 ……こういうところが、ずるい。

 本人に自覚がないのが一番ずるい。


「早いね」


 いつもの口調。敬語じゃない。

 昨夜あれだけいじったせいで、私はそれを聞くだけで少しだけ口角が上がりそうになる。


「寝られなかった」


「僕も。……だから、今日やろう」


「今日?」


 シグは頷き、淡々と言った。


「魔導具を作る。言葉を交わせないなら、別の方法を用意する」


 “別の方法”。


 それを、彼は“目的”のように言う。

 でも私は知っている。


 彼は目的だけで動く人じゃない。

 止める時、迷わない。守る時、説明しない。


「……どこで作る?」


「僕の家」


「家?」


「上層の外れだ。工房がある。簡易結界も張ってある」


 淡々と言う。

 それが余計に、現実味を増す。


「……行こう」


 自分の声が、少しだけ硬いのが分かった。


 *


 上層の外れは、同じ上層なのに空気が違った。

 整い方が、少しだけ雑になる。街灯の光がわずかに揺らぐ。石畳の継ぎ目が均一じゃない。


 ……それだけで、私は安心している。


 シグの家は、思っていたより大きかった。

 豪華ではない。目立たない。なのに、格がある。


 門も派手じゃない。装飾も控えめ。

 けれど、石材の質が違う。手入れが違う。空気の張りも、どこか違う気がする。


「すごく……良い家だね」


 私が言うと、シグは少しだけ視線を逸らした。


「家にいる時間が少ないから、逆に“拠点”としては必要なんだ」


「旅が多いって言ってたもんね」


「うん。ほとんど、ここにはいない」


 扉を開ける。

 中に入った瞬間、私は別の意味で驚いた。


 ――物が、ない。


 本当に少ない。

 棚も、飾りも、雑貨も、生活感も。


 広いのに、空っぽに近い。

 でも決して、冷たくない。

 所々にシグの“痕跡“がある。


 整いすぎている上層の街の“整い”とは違って、これはただ、余計なものがない感じ。


「……ミニマリストなの?」


「必要なものしか置かないだけ。置いても、すぐ出るから」


「それ、寂しくない?」


 私が聞くと、シグは少しだけ眉を上げた。


「寂しいと思う暇がない」


 言い切る声が、少しだけ硬い。


 私はその硬さを掘りたくなったけど、やめた。

 今は、違う。


 シグは廊下の奥へ向かい、扉を開けた。


「こっち」


 その時。


 私は、別の意味で息を止めた。


 そこは、工房だった。


 部屋の半分が作業台。

 壁には工具。棚には瓶。机には紙束。床にも箱。


 ごちゃごちゃ。少し汚い。だけど、“生きてる”。


 研究資料が積まれ、金属片が転がり、魔石が光り、細い線が絡まり、途中で放置された設計図が見える。


「なにこれ……」


 声が勝手に跳ねる。


「これ、全部シグの?」


「そう」


「素敵! え、これ、何!? あれ何!? これ……触っていい?」


「危ないものもある。触るなら、聞いてから」


「了解!」


 自分でも驚くほど素直だった。


 だって――楽しい。

 私が外交補佐官だった頃の“資料の山”とは違う。これは、“技術”の山だ。


 シグは部屋の隅、目立たない場所に手をかざし、目を閉じた。

 空気が一度、ぴんと張る。


「簡易結界を貼り直した。完全じゃないけど、監視網の精度は落ちる」


「落ちる、って……どれくらい?」


「聞き耳が、遠くなるくらい」


 遠くなる、という言い方が妙に生々しい。


 私は喉の奥がきゅっと縮むのを感じた。

 でも同時に、少し安心する。


 見られている。

 でも、見られていると知っている。


 知らずに呼吸を浅くするより、知った上で息を吸う方が、私は楽だ。


「……ここなら、話せる?」


「重要なことを話すなら、短く。必要な分だけ」


 それは、彼の癖でもある。


 私は工房を見回し、ひときわ目を引く小さな箱を見つけた。

 透明な蓋。中に、何かが浮かんでいる。


「……これ」


 近づいた瞬間、私は胸の奥が不意に静かになるのを感じた。


 箱の中には、花があった。


 ――花、に見える。


 でも、触れられない。

 実体があるのに、実体じゃない。


 薄い光で縁取られた花弁。

 淡い青とも、深い青とも言えない色。光の層が重なって、揺らぎのない“透明”を作っている。


 花には、どこか儚い雰囲気があった。

 今ここにあるのに、“二度と戻らない”感じがする。


 枯れず、傷まない。

 でも確かに――そこにある。


「……綺麗」


 私が呟くと、シグが少しだけ近づいた。


情息花じょうそくかのモデルだ」


「……情息花じょうそくか?」


 その瞬間、シグの指が、箱の縁をなぞった。

 無意識の癖のはずなのに、今だけは違って見えた。


 まるで、“触れられないもの”に触れようとしているみたいだった。


 彼は気づいたのか、指を止める。


「花は実在しない」


 静かな声。


「かつて存在した“概念”を、魔法で写し取っただけだ。触れられない。枯れない。……でも、確かにそこにある」


 私は箱の中の花を見つめた。


 記憶と願いの複製。

 二度と戻らないものの象徴。


 その言葉が、胸の奥に沈む。


「……そうなんだ」


「この花には、意味がある」


 シグは淡々と言った。

 けれど、その淡々が、妙に優しい。


「花言葉も、あるの?」


「ある。意味は二つ。

“信じあう心”。それと、“互いの安全を願う”」


 私は頷いた。

 確かに、今の私たちに必要なのはそれだ。


 でも、シグの口調がほんの少しだけ慎重だった。

 ――続きがある。


「……それだけ?」


 私がそう聞くと、シグは一拍だけ間を置いた。


「……それは、知っている人間だけが持てばいい」


 言い切り方が、強い。


 私はそれ以上聞かなかった。

 聞けなかった、の方が近い。


 でも、胸の奥で何かが熱を持つ。


「それで」


 シグは話を切り替えるように言った。


「これにまつわる魔導具を作る」


 彼は作業台へ向かい、小さな金属枠を取り出した。

 輪の形。ネックレスのようなものだろうか。


「見た目は、これがいいだろう。目立ちすぎない。装飾として成立する」


「うん。身につけやすくていいね」


「必要なら、隠せる。必要なら、見せられる」


 必要、必要、と彼は言う。

 その“必要”が、私の息を守るためだと分かってしまうのが、少し怖い。


「機能は単純だ」


 シグは金属枠に魔石を嵌め込み、細い線を繋いでいく。

 指が綺麗で、迷いがない。


「通信も、干渉もしない。できるのは――感じるだけ」 


「感じる?」


「距離に関係なく、相手の呼吸のリズムを感じ取れる」


 私は瞬きした。


「……それって」


「生きているか。落ち着いているか。乱れているか。……それだけだ」


 それだけ。


 なのに。


 それだけが、残酷すぎる。


 相手が死んだら分かる。

 最後まで知ってしまう。


 私は口を開きかけて、閉じた。

 言葉にできない。


 でも――言葉にしなくても、感じるものはあった。


「作る?」


 シグが私を見た。


 私は頷いた。


「作ろう」


 怖いのに、迷わなかった。


 *


 作業は、思っていたより静かだった。


 私が勝手に想像していた“工房”は、火花が散って、金属が鳴って――そんな世界だった。


 でもシグは、必要な音しか出さない。


 金属を削る音。

 魔石を磨く音。

 細い線を繋ぐ音。


 その間に、彼は最低限の説明だけを落とす。


「ここは触らないように」


「ここは、脆いから気をつけて」


「ここに魔力を流しすぎると反応する」


 私は頷きながら、手を動かす。


 慎重に。

 でも、楽しい。


 途中で私が失敗して、細い線が切れてしまった時、私は思わず息を呑んだ。


「ごめん……」


「大丈夫。繋ぎ直せる」


 怒らない。

 責めない。


 ただ、淡々と直してくれる。


 その淡々が、私の心臓を余計に騒がせる。


「……シグ、慣れてるね」


「作るのは、仕事の一部だから」


「仕事?」


 私が首を傾げると、シグは一拍だけ迷って、それから言った。


「魔法技術と対外交流を統括する――中枢寄りの要職にいる」


 中枢寄り。

 その言葉の重さが、今さら遅れてきた。


「……そんなに、偉い人だったのね」


「正式な肩書きは明かせない。……けど、君が関わるなら、隠し続けるのも不自然だ」


 私は、作業台の上のネックレスを見た。


 小さな枠。

 そこに、情息花の模様が魔法で転写されていく。


 触れられない花。

 枯れない花。

 戻らないものの象徴。


 その“複製”を、私とシグが同じものとして持つ。


 ――それって。


 私はその言葉を飲み込んで、代わりに言った。


「綺麗」


「そうだね」


 シグは短く答えた。


 そして、最後の工程。

 魔石に、呼吸の“基準”を刻む。


 彼が私に言った。


「深呼吸して」


「……今?」


「今」


 私は目を閉じて息を吸う。

 ゆっくり吐く。


 その瞬間、ネックレスが微かに熱を持った。


 私は目を開ける。


「……え」


「君の呼吸が刻まれた」


 シグが、次に自分も同じように深呼吸する。

 今度は、もう一つのネックレスが熱を持つ。


 それだけで――世界が少しだけ変わった気がした。


 言葉にしない約束が、形になった。


「これで、完成?」


「完成」


 シグが二つのネックレスを手のひらに乗せる。


 私の胸が、勝手に苦しくなる。

 苦しいのに、目が離せない。


「つけてみる?」


 私は頷いた。


 シグが、私の首元に手を回す。

 髪をそっと避ける。


 指先が首筋に触れる寸前で止まって、触れない。

 触れないのに、熱い。


 ネックレスが首元で小さく光った。


「……変な感じ」


「呼吸、感じる?」


 私は目を閉じる。


 自分の呼吸が、まず聞こえる。

 次に――もう一つ。


 遠いのに、近い。

 耳で聞く音じゃない。胸の奥で“分かる”。


 そこに、誰かの生がある。


「……いる」


 私の声が、勝手に小さくなった。


「うん」


 シグの声も、少しだけ低い。


 私は目を開けて、彼を見る。


 言いたいことが多すぎて、言葉が出ない。


 代わりに私は、いつもの逃げを選ぶ。


「……これ、残酷だね」


「そうだね」


「でも……美しい」


 シグは答えなかった。

 答えない代わりに、指輪を一つ撫でた。


 触れられないものに触れようとする癖。

 判断の前の、無意識の動作。


 私はそれを見て、胸の奥が静かに震えた。


 情息花の模様は、触れられないのに確かにそこにある。

 私の指先が近づくたび、薄い光だけがわずかに揺れて、触れられない現実を優しく突きつける。


 その光を見つめていたら――ふと、胸の奥の別の場所が疼いた。


「……ねえ、シグ」


「どうした?」


 私は言葉を選ぶ。

 “言葉を選ぶ”癖が、もう身体に染みている。けれど、これは監視のためじゃない。単純に、言いにくいだけだ。


「もう一個……作れない?」


 シグの眉が、ほんのわずかに動いた。


「……もう一個?」


 声の温度が落ちた。

 感情が表に出ないタイプの人間が、わずかに揺れた時の感情。


 私は慌てて続けた。


「誤解しないで。……友達に、渡したいの」


 言った瞬間、シグの視線が私の首元――情息花へ落ちた。

 そして次に、私の目を見る。


「……友達?」


「ルシア」


 シグは一瞬だけ黙った。

 沈黙が、工房の中で重く落ちる。


 私は焦って、説明を足した。


「ノクスヴァイにいる、私の……親友。家族みたいな人。私がいなくなっても、あの子が一人で不安にならないように……って」


 言いながら、自分の声が少しだけ柔らかくなるのが分かった。

 ルシアのことを口にすると、私はいつもこうなる。


「王国の外交補佐官として動いてる時も、最後まで私の味方だった。……私が帰れなくなっても、せめて“生きてる”って分かるようにしたい」


 そこまで言って、私はようやく息を吐いた。


 シグは、まだ何も言わない。

 でも――さっきまでの空気が、少しだけ崩れている。


「……それは、君にとって大事な人なんだな」


 ようやく出た声は、低くて、静かだった。


「うん。大事」


 私が即答すると、シグは目を伏せた。

 指輪に触れる。あの癖で、自分を整える。


「……分かった。作ろう」


 短い返事。けれど、その短さが、私を救った。


「ありがとう」


「ただし、機能は同じでも“対”の調整がいる。君の呼吸を基準にするか、相手の呼吸を想定するかで精度が変わる」


「ルシアの呼吸……私、分かる気がする」


「……それは、親友だからだろうね」


 シグはそう言って、作業台の引き出しから同じ金属枠を取り出した。

 先ほどと同じ工程。だけど、今度は私の目が、少しだけ違う意味で冴えている。


 ――これを渡す時、私はどんな顔をするんだろう。


 魔石を嵌め込む音。

 線を繋ぐ音。

 情息花の模様が、またひとつこの世界に“複製”される。


 触れられない花が、枯れないまま、増えていく。


 完成した三つ目のネックレスを見て、私は小さく頷いた。


「……これなら、きっと安心できる」


 シグは、ほんの一瞬だけ私を見た。


「安心は……時に残酷だ」


 淡々とした声。

 でも、それは私への否定じゃない。忠告だ。


 私はネックレスを握りしめて、頷く。


「分かってる。……私はルシアに“残酷さ”まで背負わせたいわけじゃない。背負わせたくないから、これを渡すの」


 シグはそれ以上言わなかった。

 代わりに、小さく息を吐いて、作業を終えた。


 そして、最後に短く言う。


「君は……優しいんだな」


「優しくないよ。……怖いだけ」


 私が笑うと、シグは少しだけ視線を逸らした。


 その横顔が、なぜか安心しているように見えた。


 *


 工房を出る頃、空は夕方の色に傾いていた。

 上層の夕方は、相変わらず整いすぎている。


 シグが途中まで送ると言い、王立大学近くの街道まで一緒に歩いた。


「……ありがとう」


 私が言うと、シグは首を振る。


「必要なことをしただけ」


 必要、またそれだ。


 私は首元のネックレスを指で触れかけて、やめた。

 触れると、余計に意識してしまう。


「じゃあ、また」


「うん」


 別れ際、彼は一瞬だけ立ち止まった。


「リラ」


「なに?」


「……気をつけて」


「分かってる」


 私が頷くと、シグはそれ以上何も言わずに去った。


 ――去ったのに。


 呼吸が、まだそこにある。


 私はその事実に、少しだけ眩暈がした。


 *


「リラ!」


 声が飛んできた。


 振り返ると、マレイアがいた。

 軽装。髪を結び、額に汗。息が少し弾んでいる。


「マレイア?」


「今、走ってたの!健康のためにね!」


 無邪気すぎる。

 上層の人間とは思えないくらい、無邪気。


 彼女は私に近づき、首元を見た瞬間、目を輝かせた。


「え、なにそれ!綺麗!」


 私は反射的に首元を押さえる。


「……これ?」


「それ!その装飾、情息花じゃない!」


 私は固まった。


「……知ってるの?」


「知ってるよ!有名だもん!……っていうか、作ったの?誰と?」


 マレイアの目が、完全に“察し”の目になっている。


「……友達」


「友達ねぇ」


 言い方が、あからさまに怪しい。


「その花の意味、知ってる?」


「……信じあう心、とか。安全を願う、とか」


 マレイアは、にやりと笑った。


「表向きはね」


 胸の奥が、嫌な音を立てた。


「真の……意味があるの?」


 私は声が少しだけ震えるのを感じた。


 マレイアは、楽しそうに息を吸って――そして、容赦なく言った。


「“あなたと出会えたことが、私の幸福です”」


 私は目を見開いた。


「……え?」


「それだけじゃないよ。もう一つ」


 マレイアは、私の首元を指差して、囁くみたいに言った。


「“呼吸が途切れるその瞬間まで”」


 私は、言葉を失った。


 あの触れられない花。

 枯れない花。

 戻らないものの象徴。


 それが、首元で静かに光っている。


「……ち、違うの。これ、そういう――」


「そういうの!」


 マレイアが即答した。


「だってそれ、二人で作る魔導具だもん!互いの安全を願って、気持ちを確かめ合うの。……私、ずっと憧れてたんだよねえ」


 憧れ。

 その言葉が、私の胸を妙に刺す。


「……でも、シグはさっき」


 言いかけて、私は止まった。


 シグの名前を出した瞬間、マレイアの顔がさらに楽しそうに歪んだ。


「え。シグ?」


 終わった。


「……ちが、ちがう。そうじゃなくて」


「えー?なに、シグっていう人と作ったの?うわぁ、いいなぁ!ねえねえ、いつから?どこまで?どの段階?」


「どの段階って何!」


「どこまで行ったのってことよ!」


 マレイアは走った後の息のまま、完全に暴走している。


 私は首元を押さえたまま、顔が熱くなるのを止められなかった。


「……あ、そうだ」


 私は、思い出したように付け足した。


「情息花、三つ目も作ったの」


 マレイアが瞬きをする。


「……三つ?」


「うん。親友に渡す用。ノクスヴァイにいる子で……私がいなくても、不安にならないようにって」


 言い終えた瞬間だった。


 マレイアの表情が、すっと変わった。


 驚き――ではない。

 からかいでも、茶化しでもない。


 理解した人間の顔だ。


「……ああ」


 小さく、息を吐く。


「それで、か」


「……?」


 私は首を傾げた。


 マレイアは一度、私の首元の情息花を見る。

 それから、私の目を見る。


「リラ。あなた……気づいてなかったでしょ」


「何に?」


「それ、あの人にとっては――かなり、堪えたと思う」


 胸の奥が、きゅっと鳴った。


「……え?」


 マレイアは、責めるような目じゃない。

 むしろ、少しだけ困ったように笑った。


「だってそうでしょ。

 二人で作る魔導具なのよ、それ」


「……」


「“互いの呼吸を知る”って、つまり――

 “相手の最後まで知る”ってこと」


 私は、言葉を失った。


「それを作った直後に、

 “もう一人、同じものを作りたい”って言われたら……」


 マレイアは肩をすくめる。


「そりゃ、ショックよ。

 口には出さないだろうけどね。あの人」


 あの人。


 シグの顔が、脳裏に浮かぶ。

 淡々としていて、怒らなくて、否定しなくて、でも――一瞬だけ、目を伏せた横顔。


 あれは。


 私は、唇を噛んだ。


「……知らなかった」


 声が、小さくなる。


「そんな意味があるって……分かってたら」


「分かってたら?」


「……もう少し、言い方考えた」


 マレイアは、ふっと笑った。


「責める気?」


「……ちょっとだけ」


「……そうよね」


 そして、次の瞬間。


 マレイアは、私の背中に手を回した。

 抱き寄せる、というほど強くはないけど、優しく包まれる。


「でもね」


 耳元で、優しく言う。


「リラが“親友のため”って言った瞬間、

 あの人、きっと安心もしたと思う」


「……安心?」


「うん。リラが、ちゃんと人を想って選んでるって分かったから」


 私は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。


「それに」


 マレイアは、少しだけ悪戯っぽく続ける。


「情息花を“独占”したいほど、

 器が小さい人じゃない気がする。あの人」


「……そうだけど」


「だからこそ、余計に我慢したと思う」


 我慢。


 その言葉が、重く残る。


「リラ」


 マレイアが、腕に少しだけ力を込める。


「気づいたなら、それでいいよ」


「……うん」


「次から、ちゃんと“気持ち”として向き合ってあげて。理屈じゃなくて」


 私は、首元の情息花に触れた。


 触れられない花。

 でも確かに、そこにあるもの。


「……私、ずるいね」


「今さら」


 マレイアは即答した。


「でも、大丈夫。

 ずるい人ほど、幸せになれるから」


「それ、慰めになってる?」


「なってるなってる」


 私は小さく笑った。


 そして、胸の奥で、ようやく理解した。


 三つ目を作ったあの時。

 シグが一瞬だけ、目を伏せた理由。


 それは、私が“誰かを大切にしている”と知った安心と、

 “自分だけのものではない”と理解した痛みが、同時にあったからだ。


 私が今、感じている呼吸がある。

 距離に関係なく、そこにある。


 それを“幸福”と呼ぶ言葉が、首元で光っている。


 私は、ようやく気づいてしまった。


 シグが言っていた“必要”は、

 ただの安全じゃない。


 ただの準備じゃない。


 私の中で、何かが形を持った。


「……リラ?」


 マレイアが、珍しく少しだけ真面目な顔で私を見た。


「……大丈夫?」


 私は笑おうとして、失敗した。

 笑いの代わりに、息が漏れた。


「……大丈夫じゃないかも」


 マレイアは、一瞬だけ驚いた顔をして――そして、すぐ笑った。


「なーんだ。大丈夫ってことね」


 ひどい。


 私は心の中でそう叫びながら、首元の情息花が静かに揺れるのを感じた。


 “それ“が、私の今を照らしている。


 ――呼吸が途切れるその瞬間まで。


 その言葉が、怖いのに。


 私はなぜか、少しだけ安心してしまった。

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夜の現在地、という名前でXも更新しています。

作中では触れない設定をつぶやいたりもしていくので、もし良ければフォローお願いいたします。

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