情息花
人が取る全ての行動には、意味があると思っています。彼も、また。
「……次は、準備だ」
そう言ったシグの声が、まだ耳の奥に残っている。
あの黒い板――思考転写板の上で、言葉が浮かんでは消えた。消えても、残るものだけが残った。
下層に行ったことは記録されている。
私の移動も、私の視線も、私の“考えかけたこと”も。
そして、互いに単独では動けなくなった。
それが怖いはずなのに――妙に、息がしやすかった。
*
次の日。
王立大学は休みだった。
休みなのに、私は目が覚めるのが早かった。
考えすぎている。
昨日までなら、それは“疲れ”に繋がったのに、今日は違う。
思考が、少しだけ整っている。
――気づくことがトリガーになる。
シグが言っていた通りなのかもしれない。
朝の廊下は静かで、私が歩く音だけが、薄く反響する。
図書館の裏手の小部屋へ行くと、すでにシグがいた。
椅子に浅く座り、指輪を一つ、無意識に撫でている。
視線を上げた瞬間、その癖が止まった。
……こういうところが、ずるい。
本人に自覚がないのが一番ずるい。
「早いね」
いつもの口調。敬語じゃない。
昨夜あれだけいじったせいで、私はそれを聞くだけで少しだけ口角が上がりそうになる。
「寝られなかった」
「僕も。……だから、今日やろう」
「今日?」
シグは頷き、淡々と言った。
「魔導具を作る。言葉を交わせないなら、別の方法を用意する」
“別の方法”。
それを、彼は“目的”のように言う。
でも私は知っている。
彼は目的だけで動く人じゃない。
止める時、迷わない。守る時、説明しない。
「……どこで作る?」
「僕の家」
「家?」
「上層の外れだ。工房がある。簡易結界も張ってある」
淡々と言う。
それが余計に、現実味を増す。
「……行こう」
自分の声が、少しだけ硬いのが分かった。
*
上層の外れは、同じ上層なのに空気が違った。
整い方が、少しだけ雑になる。街灯の光がわずかに揺らぐ。石畳の継ぎ目が均一じゃない。
……それだけで、私は安心している。
シグの家は、思っていたより大きかった。
豪華ではない。目立たない。なのに、格がある。
門も派手じゃない。装飾も控えめ。
けれど、石材の質が違う。手入れが違う。空気の張りも、どこか違う気がする。
「すごく……良い家だね」
私が言うと、シグは少しだけ視線を逸らした。
「家にいる時間が少ないから、逆に“拠点”としては必要なんだ」
「旅が多いって言ってたもんね」
「うん。ほとんど、ここにはいない」
扉を開ける。
中に入った瞬間、私は別の意味で驚いた。
――物が、ない。
本当に少ない。
棚も、飾りも、雑貨も、生活感も。
広いのに、空っぽに近い。
でも決して、冷たくない。
所々にシグの“痕跡“がある。
整いすぎている上層の街の“整い”とは違って、これはただ、余計なものがない感じ。
「……ミニマリストなの?」
「必要なものしか置かないだけ。置いても、すぐ出るから」
「それ、寂しくない?」
私が聞くと、シグは少しだけ眉を上げた。
「寂しいと思う暇がない」
言い切る声が、少しだけ硬い。
私はその硬さを掘りたくなったけど、やめた。
今は、違う。
シグは廊下の奥へ向かい、扉を開けた。
「こっち」
その時。
私は、別の意味で息を止めた。
そこは、工房だった。
部屋の半分が作業台。
壁には工具。棚には瓶。机には紙束。床にも箱。
ごちゃごちゃ。少し汚い。だけど、“生きてる”。
研究資料が積まれ、金属片が転がり、魔石が光り、細い線が絡まり、途中で放置された設計図が見える。
「なにこれ……」
声が勝手に跳ねる。
「これ、全部シグの?」
「そう」
「素敵! え、これ、何!? あれ何!? これ……触っていい?」
「危ないものもある。触るなら、聞いてから」
「了解!」
自分でも驚くほど素直だった。
だって――楽しい。
私が外交補佐官だった頃の“資料の山”とは違う。これは、“技術”の山だ。
シグは部屋の隅、目立たない場所に手をかざし、目を閉じた。
空気が一度、ぴんと張る。
「簡易結界を貼り直した。完全じゃないけど、監視網の精度は落ちる」
「落ちる、って……どれくらい?」
「聞き耳が、遠くなるくらい」
遠くなる、という言い方が妙に生々しい。
私は喉の奥がきゅっと縮むのを感じた。
でも同時に、少し安心する。
見られている。
でも、見られていると知っている。
知らずに呼吸を浅くするより、知った上で息を吸う方が、私は楽だ。
「……ここなら、話せる?」
「重要なことを話すなら、短く。必要な分だけ」
それは、彼の癖でもある。
私は工房を見回し、ひときわ目を引く小さな箱を見つけた。
透明な蓋。中に、何かが浮かんでいる。
「……これ」
近づいた瞬間、私は胸の奥が不意に静かになるのを感じた。
箱の中には、花があった。
――花、に見える。
でも、触れられない。
実体があるのに、実体じゃない。
薄い光で縁取られた花弁。
淡い青とも、深い青とも言えない色。光の層が重なって、揺らぎのない“透明”を作っている。
花には、どこか儚い雰囲気があった。
今ここにあるのに、“二度と戻らない”感じがする。
枯れず、傷まない。
でも確かに――そこにある。
「……綺麗」
私が呟くと、シグが少しだけ近づいた。
「情息花のモデルだ」
「……情息花?」
その瞬間、シグの指が、箱の縁をなぞった。
無意識の癖のはずなのに、今だけは違って見えた。
まるで、“触れられないもの”に触れようとしているみたいだった。
彼は気づいたのか、指を止める。
「花は実在しない」
静かな声。
「かつて存在した“概念”を、魔法で写し取っただけだ。触れられない。枯れない。……でも、確かにそこにある」
私は箱の中の花を見つめた。
記憶と願いの複製。
二度と戻らないものの象徴。
その言葉が、胸の奥に沈む。
「……そうなんだ」
「この花には、意味がある」
シグは淡々と言った。
けれど、その淡々が、妙に優しい。
「花言葉も、あるの?」
「ある。意味は二つ。
“信じあう心”。それと、“互いの安全を願う”」
私は頷いた。
確かに、今の私たちに必要なのはそれだ。
でも、シグの口調がほんの少しだけ慎重だった。
――続きがある。
「……それだけ?」
私がそう聞くと、シグは一拍だけ間を置いた。
「……それは、知っている人間だけが持てばいい」
言い切り方が、強い。
私はそれ以上聞かなかった。
聞けなかった、の方が近い。
でも、胸の奥で何かが熱を持つ。
「それで」
シグは話を切り替えるように言った。
「これにまつわる魔導具を作る」
彼は作業台へ向かい、小さな金属枠を取り出した。
輪の形。ネックレスのようなものだろうか。
「見た目は、これがいいだろう。目立ちすぎない。装飾として成立する」
「うん。身につけやすくていいね」
「必要なら、隠せる。必要なら、見せられる」
必要、必要、と彼は言う。
その“必要”が、私の息を守るためだと分かってしまうのが、少し怖い。
「機能は単純だ」
シグは金属枠に魔石を嵌め込み、細い線を繋いでいく。
指が綺麗で、迷いがない。
「通信も、干渉もしない。できるのは――感じるだけ」
「感じる?」
「距離に関係なく、相手の呼吸のリズムを感じ取れる」
私は瞬きした。
「……それって」
「生きているか。落ち着いているか。乱れているか。……それだけだ」
それだけ。
なのに。
それだけが、残酷すぎる。
相手が死んだら分かる。
最後まで知ってしまう。
私は口を開きかけて、閉じた。
言葉にできない。
でも――言葉にしなくても、感じるものはあった。
「作る?」
シグが私を見た。
私は頷いた。
「作ろう」
怖いのに、迷わなかった。
*
作業は、思っていたより静かだった。
私が勝手に想像していた“工房”は、火花が散って、金属が鳴って――そんな世界だった。
でもシグは、必要な音しか出さない。
金属を削る音。
魔石を磨く音。
細い線を繋ぐ音。
その間に、彼は最低限の説明だけを落とす。
「ここは触らないように」
「ここは、脆いから気をつけて」
「ここに魔力を流しすぎると反応する」
私は頷きながら、手を動かす。
慎重に。
でも、楽しい。
途中で私が失敗して、細い線が切れてしまった時、私は思わず息を呑んだ。
「ごめん……」
「大丈夫。繋ぎ直せる」
怒らない。
責めない。
ただ、淡々と直してくれる。
その淡々が、私の心臓を余計に騒がせる。
「……シグ、慣れてるね」
「作るのは、仕事の一部だから」
「仕事?」
私が首を傾げると、シグは一拍だけ迷って、それから言った。
「魔法技術と対外交流を統括する――中枢寄りの要職にいる」
中枢寄り。
その言葉の重さが、今さら遅れてきた。
「……そんなに、偉い人だったのね」
「正式な肩書きは明かせない。……けど、君が関わるなら、隠し続けるのも不自然だ」
私は、作業台の上のネックレスを見た。
小さな枠。
そこに、情息花の模様が魔法で転写されていく。
触れられない花。
枯れない花。
戻らないものの象徴。
その“複製”を、私とシグが同じものとして持つ。
――それって。
私はその言葉を飲み込んで、代わりに言った。
「綺麗」
「そうだね」
シグは短く答えた。
そして、最後の工程。
魔石に、呼吸の“基準”を刻む。
彼が私に言った。
「深呼吸して」
「……今?」
「今」
私は目を閉じて息を吸う。
ゆっくり吐く。
その瞬間、ネックレスが微かに熱を持った。
私は目を開ける。
「……え」
「君の呼吸が刻まれた」
シグが、次に自分も同じように深呼吸する。
今度は、もう一つのネックレスが熱を持つ。
それだけで――世界が少しだけ変わった気がした。
言葉にしない約束が、形になった。
「これで、完成?」
「完成」
シグが二つのネックレスを手のひらに乗せる。
私の胸が、勝手に苦しくなる。
苦しいのに、目が離せない。
「つけてみる?」
私は頷いた。
シグが、私の首元に手を回す。
髪をそっと避ける。
指先が首筋に触れる寸前で止まって、触れない。
触れないのに、熱い。
ネックレスが首元で小さく光った。
「……変な感じ」
「呼吸、感じる?」
私は目を閉じる。
自分の呼吸が、まず聞こえる。
次に――もう一つ。
遠いのに、近い。
耳で聞く音じゃない。胸の奥で“分かる”。
そこに、誰かの生がある。
「……いる」
私の声が、勝手に小さくなった。
「うん」
シグの声も、少しだけ低い。
私は目を開けて、彼を見る。
言いたいことが多すぎて、言葉が出ない。
代わりに私は、いつもの逃げを選ぶ。
「……これ、残酷だね」
「そうだね」
「でも……美しい」
シグは答えなかった。
答えない代わりに、指輪を一つ撫でた。
触れられないものに触れようとする癖。
判断の前の、無意識の動作。
私はそれを見て、胸の奥が静かに震えた。
情息花の模様は、触れられないのに確かにそこにある。
私の指先が近づくたび、薄い光だけがわずかに揺れて、触れられない現実を優しく突きつける。
その光を見つめていたら――ふと、胸の奥の別の場所が疼いた。
「……ねえ、シグ」
「どうした?」
私は言葉を選ぶ。
“言葉を選ぶ”癖が、もう身体に染みている。けれど、これは監視のためじゃない。単純に、言いにくいだけだ。
「もう一個……作れない?」
シグの眉が、ほんのわずかに動いた。
「……もう一個?」
声の温度が落ちた。
感情が表に出ないタイプの人間が、わずかに揺れた時の感情。
私は慌てて続けた。
「誤解しないで。……友達に、渡したいの」
言った瞬間、シグの視線が私の首元――情息花へ落ちた。
そして次に、私の目を見る。
「……友達?」
「ルシア」
シグは一瞬だけ黙った。
沈黙が、工房の中で重く落ちる。
私は焦って、説明を足した。
「ノクスヴァイにいる、私の……親友。家族みたいな人。私がいなくなっても、あの子が一人で不安にならないように……って」
言いながら、自分の声が少しだけ柔らかくなるのが分かった。
ルシアのことを口にすると、私はいつもこうなる。
「王国の外交補佐官として動いてる時も、最後まで私の味方だった。……私が帰れなくなっても、せめて“生きてる”って分かるようにしたい」
そこまで言って、私はようやく息を吐いた。
シグは、まだ何も言わない。
でも――さっきまでの空気が、少しだけ崩れている。
「……それは、君にとって大事な人なんだな」
ようやく出た声は、低くて、静かだった。
「うん。大事」
私が即答すると、シグは目を伏せた。
指輪に触れる。あの癖で、自分を整える。
「……分かった。作ろう」
短い返事。けれど、その短さが、私を救った。
「ありがとう」
「ただし、機能は同じでも“対”の調整がいる。君の呼吸を基準にするか、相手の呼吸を想定するかで精度が変わる」
「ルシアの呼吸……私、分かる気がする」
「……それは、親友だからだろうね」
シグはそう言って、作業台の引き出しから同じ金属枠を取り出した。
先ほどと同じ工程。だけど、今度は私の目が、少しだけ違う意味で冴えている。
――これを渡す時、私はどんな顔をするんだろう。
魔石を嵌め込む音。
線を繋ぐ音。
情息花の模様が、またひとつこの世界に“複製”される。
触れられない花が、枯れないまま、増えていく。
完成した三つ目のネックレスを見て、私は小さく頷いた。
「……これなら、きっと安心できる」
シグは、ほんの一瞬だけ私を見た。
「安心は……時に残酷だ」
淡々とした声。
でも、それは私への否定じゃない。忠告だ。
私はネックレスを握りしめて、頷く。
「分かってる。……私はルシアに“残酷さ”まで背負わせたいわけじゃない。背負わせたくないから、これを渡すの」
シグはそれ以上言わなかった。
代わりに、小さく息を吐いて、作業を終えた。
そして、最後に短く言う。
「君は……優しいんだな」
「優しくないよ。……怖いだけ」
私が笑うと、シグは少しだけ視線を逸らした。
その横顔が、なぜか安心しているように見えた。
*
工房を出る頃、空は夕方の色に傾いていた。
上層の夕方は、相変わらず整いすぎている。
シグが途中まで送ると言い、王立大学近くの街道まで一緒に歩いた。
「……ありがとう」
私が言うと、シグは首を振る。
「必要なことをしただけ」
必要、またそれだ。
私は首元のネックレスを指で触れかけて、やめた。
触れると、余計に意識してしまう。
「じゃあ、また」
「うん」
別れ際、彼は一瞬だけ立ち止まった。
「リラ」
「なに?」
「……気をつけて」
「分かってる」
私が頷くと、シグはそれ以上何も言わずに去った。
――去ったのに。
呼吸が、まだそこにある。
私はその事実に、少しだけ眩暈がした。
*
「リラ!」
声が飛んできた。
振り返ると、マレイアがいた。
軽装。髪を結び、額に汗。息が少し弾んでいる。
「マレイア?」
「今、走ってたの!健康のためにね!」
無邪気すぎる。
上層の人間とは思えないくらい、無邪気。
彼女は私に近づき、首元を見た瞬間、目を輝かせた。
「え、なにそれ!綺麗!」
私は反射的に首元を押さえる。
「……これ?」
「それ!その装飾、情息花じゃない!」
私は固まった。
「……知ってるの?」
「知ってるよ!有名だもん!……っていうか、作ったの?誰と?」
マレイアの目が、完全に“察し”の目になっている。
「……友達」
「友達ねぇ」
言い方が、あからさまに怪しい。
「その花の意味、知ってる?」
「……信じあう心、とか。安全を願う、とか」
マレイアは、にやりと笑った。
「表向きはね」
胸の奥が、嫌な音を立てた。
「真の……意味があるの?」
私は声が少しだけ震えるのを感じた。
マレイアは、楽しそうに息を吸って――そして、容赦なく言った。
「“あなたと出会えたことが、私の幸福です”」
私は目を見開いた。
「……え?」
「それだけじゃないよ。もう一つ」
マレイアは、私の首元を指差して、囁くみたいに言った。
「“呼吸が途切れるその瞬間まで”」
私は、言葉を失った。
あの触れられない花。
枯れない花。
戻らないものの象徴。
それが、首元で静かに光っている。
「……ち、違うの。これ、そういう――」
「そういうの!」
マレイアが即答した。
「だってそれ、二人で作る魔導具だもん!互いの安全を願って、気持ちを確かめ合うの。……私、ずっと憧れてたんだよねえ」
憧れ。
その言葉が、私の胸を妙に刺す。
「……でも、シグはさっき」
言いかけて、私は止まった。
シグの名前を出した瞬間、マレイアの顔がさらに楽しそうに歪んだ。
「え。シグ?」
終わった。
「……ちが、ちがう。そうじゃなくて」
「えー?なに、シグっていう人と作ったの?うわぁ、いいなぁ!ねえねえ、いつから?どこまで?どの段階?」
「どの段階って何!」
「どこまで行ったのってことよ!」
マレイアは走った後の息のまま、完全に暴走している。
私は首元を押さえたまま、顔が熱くなるのを止められなかった。
「……あ、そうだ」
私は、思い出したように付け足した。
「情息花、三つ目も作ったの」
マレイアが瞬きをする。
「……三つ?」
「うん。親友に渡す用。ノクスヴァイにいる子で……私がいなくても、不安にならないようにって」
言い終えた瞬間だった。
マレイアの表情が、すっと変わった。
驚き――ではない。
からかいでも、茶化しでもない。
理解した人間の顔だ。
「……ああ」
小さく、息を吐く。
「それで、か」
「……?」
私は首を傾げた。
マレイアは一度、私の首元の情息花を見る。
それから、私の目を見る。
「リラ。あなた……気づいてなかったでしょ」
「何に?」
「それ、あの人にとっては――かなり、堪えたと思う」
胸の奥が、きゅっと鳴った。
「……え?」
マレイアは、責めるような目じゃない。
むしろ、少しだけ困ったように笑った。
「だってそうでしょ。
二人で作る魔導具なのよ、それ」
「……」
「“互いの呼吸を知る”って、つまり――
“相手の最後まで知る”ってこと」
私は、言葉を失った。
「それを作った直後に、
“もう一人、同じものを作りたい”って言われたら……」
マレイアは肩をすくめる。
「そりゃ、ショックよ。
口には出さないだろうけどね。あの人」
あの人。
シグの顔が、脳裏に浮かぶ。
淡々としていて、怒らなくて、否定しなくて、でも――一瞬だけ、目を伏せた横顔。
あれは。
私は、唇を噛んだ。
「……知らなかった」
声が、小さくなる。
「そんな意味があるって……分かってたら」
「分かってたら?」
「……もう少し、言い方考えた」
マレイアは、ふっと笑った。
「責める気?」
「……ちょっとだけ」
「……そうよね」
そして、次の瞬間。
マレイアは、私の背中に手を回した。
抱き寄せる、というほど強くはないけど、優しく包まれる。
「でもね」
耳元で、優しく言う。
「リラが“親友のため”って言った瞬間、
あの人、きっと安心もしたと思う」
「……安心?」
「うん。リラが、ちゃんと人を想って選んでるって分かったから」
私は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「それに」
マレイアは、少しだけ悪戯っぽく続ける。
「情息花を“独占”したいほど、
器が小さい人じゃない気がする。あの人」
「……そうだけど」
「だからこそ、余計に我慢したと思う」
我慢。
その言葉が、重く残る。
「リラ」
マレイアが、腕に少しだけ力を込める。
「気づいたなら、それでいいよ」
「……うん」
「次から、ちゃんと“気持ち”として向き合ってあげて。理屈じゃなくて」
私は、首元の情息花に触れた。
触れられない花。
でも確かに、そこにあるもの。
「……私、ずるいね」
「今さら」
マレイアは即答した。
「でも、大丈夫。
ずるい人ほど、幸せになれるから」
「それ、慰めになってる?」
「なってるなってる」
私は小さく笑った。
そして、胸の奥で、ようやく理解した。
三つ目を作ったあの時。
シグが一瞬だけ、目を伏せた理由。
それは、私が“誰かを大切にしている”と知った安心と、
“自分だけのものではない”と理解した痛みが、同時にあったからだ。
私が今、感じている呼吸がある。
距離に関係なく、そこにある。
それを“幸福”と呼ぶ言葉が、首元で光っている。
私は、ようやく気づいてしまった。
シグが言っていた“必要”は、
ただの安全じゃない。
ただの準備じゃない。
私の中で、何かが形を持った。
「……リラ?」
マレイアが、珍しく少しだけ真面目な顔で私を見た。
「……大丈夫?」
私は笑おうとして、失敗した。
笑いの代わりに、息が漏れた。
「……大丈夫じゃないかも」
マレイアは、一瞬だけ驚いた顔をして――そして、すぐ笑った。
「なーんだ。大丈夫ってことね」
ひどい。
私は心の中でそう叫びながら、首元の情息花が静かに揺れるのを感じた。
“それ“が、私の今を照らしている。
――呼吸が途切れるその瞬間まで。
その言葉が、怖いのに。
私はなぜか、少しだけ安心してしまった。
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