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リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
始まりの国
14/19

旅の後に残る色

第一部、最終話です。旅立ちの時。

 目を覚ましたとき、天井が近かった。


 ……近い、というか。

 見慣れすぎている。


 白い漆喰、小さな染み。

 左上に、いつの間にか増えた細い亀裂。


 しばらく瞬きをしてから、ようやく理解が追いついた。


 ――あ、帰ってきてたんだ。


 リラは、布団の中でごろりと寝返りを打つ。

 掛け布団は半分ずれていて、片足だけ外に出ていた。

 髪は完全に爆発している。たぶん、寝相が最悪だった。


 旅先では考えられない姿だ。


 ヴァルデンでは、日の出前に起きて、身なりを整えて、頭を叩き起こしてから一日が始まっていた。

 それが今はどうだ。


 枕元には書き上げた報告書。

 床には脱ぎっぱなしの靴下。

 机の上には、冷めきったまま放置された昨日の茶。


 安心しきった部屋の空気が、肌にまとわりつく。


 リラは、ふうっと息を吐いた。


 身体が重い。

 疲労が抜けきっていない。

 というより――完全に油断している。


 視線だけで窓を見る。

 外は、もう明るい。


 嫌な予感がして、ゆっくりと身を起こし、壁際の時計に目を向ける。


 針は、容赦なく進んでいた。


「……え」


 一拍。


「……え?」


 次の瞬間、リラは布団を蹴飛ばして跳ね起きた。


「ちょ、ちょっと待って」

「これ……完全に、寝坊……!」


 頭の中で、城の始業時刻を思い浮かべる。

 報告会議。

 西方視察の総括。

 アデルを含めた重役揃い。


 ――詰んでる。


 いや、まだだ。

 まだ、間に合う。

 ……はず。


 リラは慌てて身支度を始める。

 髪をとかしながら、指が引っかかって苛立ちを覚える。

 服を探して、昨日のままの外套を引っ張り出す。


 鏡に映った自分を一瞬だけ見る。


 顔色は悪くない。

 目も、ちゃんと開いている。


 ただ――


「……気、抜けすぎでしょ」


 小さく呟いて、首を振った。


 ヴァルデンでは、こんな姿を見せたことは一度もない。

 理衡教の頂点に立つ人物の隣で、だらしなく欠伸などできるはずがなかった。


 でも、ここは自分の部屋だ。

 帰ってきた場所だ。


 少しだけ、心が緩む。


 ――だめだめ。

 しっかりしなきゃ。


 荷物を掴み、靴を履く。

 扉を開けた瞬間、朝の空気が流れ込んできた。


 懐かしい匂い。

 城下町の朝。


 パンを焼く香り。

 通りを行く人の声。

 遠くで鳴る鐘。


 リラは一瞬だけ立ち止まって、それを胸いっぱいに吸い込んだ。


 それから、走り出す。


 ルシアの店に寄る時間は無い。

 いつもなら、他愛もない話をしながら朝ご飯を食べる。今日はそれもできない。


 ――ごめん、あとでね。


 心の中でそう言って、城へ向かう。


 石畳を踏む足取りは、少し軽かった。


 旅は終わった。

 でも――


 ここからが、本番だ。


 *


 城に着いた頃には、息が上がり、外套の留め具を直す余裕すらなかった。


 西方連合国家ヴァルデン視察の正式報告会。

 場所は宰務局の大広間。普段よりも席が多く、空気も重い。


 アデル・グランハルトを中心に、宰務局の重役たちが並ぶ。

 リラはその一段下、報告者の席に立っていた。


 資料は完璧に揃えてきた。

 数字も、経過も、判断の根拠も。

 どこを切り取られても揺らがないように。


「――以上が、西方連合国家ヴァルデンにおける長期視察の概要です」


 声は落ち着いていた。

 緊張はあるが、怯えはない。


 リラの説明は簡潔だった。

 理衡教の思想。

 連合国家の成り立ち。

 共同輸送路再編後の歪みと、その修正案。

 ハルヴァの加工都市化計画と、その進捗見込み。


 誰も、口を挟まない。


 報告が終わり、沈黙が落ちる。


 最初に口を開いたのは、年嵩の重役だった。


「……非常に、よくまとめられている」


 続いて、別の者が頷く。


「現地理解も深い」

「外交官補佐としては、申し分ない成果だ」


 表向きの評価は、良好だった。


 だが――。


「ただ」


 低い声が、空気を切る。


「ひとつ、気になる点がある」


 発言したのは、資料をほとんど見ていなかった男だ。

 視線だけが鋭い。


「今回の交渉、随分と“個人の裁量”が大きいように見える」


 別の声が続く。


「確かに成果は出ているが……」

「一歩間違えれば、国全体を巻き込む判断だったのでは?」


 その言葉に、リラは微動だにしなかった。


 ――来た。


 胸の奥で、静かに理解する。


「危うい」

「若さゆえの独断ではないか」

「優秀だが、制御が必要だ」


 直接的な非難はない。

 だが、方向は明確だった。


 評価を下げるのではない。

 “危険視”する。


 それが、最も政治的な否定だ。


 アデルは、腕を組んだまま黙っている。

 表情は読めない。


 リラは一礼し、静かに言った。


「ご懸念は理解します。

ですが今回の判断は、すべて現地代表および連合側の正式合意のもとに行われています。

独断ではありません」


 正論だった。

 それ以上でも以下でもない。


 反論は出なかった。

 だが、納得もされていない。


 会議は、形式的な締めに入る。


「本件については、追って検討とする」

「評価は保留だ」


 その言葉で、すべてが終わった。


 *


 会議室が静かになる頃、リラは席を立った。


 廊下に出ると、重たい空気が一気に抜ける。

 深く息を吐いた、その背後。


「……お疲れ様、リラ」


 振り返ると、ミレアが立っていた。

 相変わらず、表情は穏やかだ。だが目は鋭くリラを捉えている。


「ありがとうございます、ミレアさん」


「顔に出てたわよ。半分は」


「半分で済んでよかった」


 そんな軽口を交わしながら、二人はアデルの執務室へ向かう。


 中に入ると、アデルはすでに窓際に立っていた。

 外を見たまま、背中で言う。


「……ご苦労だった」


「はい」


 短いやり取り。

 それだけで、十分だった。


 ミレアが静かに口を開く。


「思ったより、早かったわね」


「だな」


 アデルは、ゆっくりと振り返る。


「……限界か」


 その一言に、ミレアが頷いた。


「ええ。もう隠しきれない」


 リラの名は、まだ出ない。

 だが、話題が誰のことかは明白だった。


「留学の案件を、正式に進める」


 アデルの声は低い。


「表向きは、国交と人材育成」

「実際は――」


「武装の必要性を測る為。そして君の安全を守る為だ」


 ミレアが引き取る。


「凶作の時代は、交渉だけじゃ守れない」


 アデルは目を閉じた。


「……リラ。君には、荷が重い案件だ」


 リラは答えられない。

 

 代わりにミレアが応える。


「でも、逃げさせる気はないでしょう」


「ない」


 即答だった。


「だからこそ、外に出す」


 その決断に、迷いはなかった。


 *


 局長室を後にし、ミレアと簡単な挨拶を交わす。

 そのまま歩き出しかけたところで、背後から声がかかった。


「リラ・ヴェルノア」


 事務官が、事務的に告げる。


「長期視察明けにつき、本日はここまで。

 2週間の休暇を付与します」


「……休暇?」


「はい。命令です」


 思わず、瞬きをする。


「……ありがとうございます」


 頭を下げてから、廊下を歩く。


 城を出た瞬間、光がまぶしかった。


 城下町は、いつも通りだった。

 市場の声。焼き菓子の匂い。子どもたちの笑い声。


「……あ」


「リラ姉ちゃん!」


 振り返ると、顔見知りの少年が手を振っている。


「久しぶり! どこ行ってたんだよ!」


「ちょっと、遠くまで」


「ふーん。でもなんか、変わったな!」


「そう?」


「うん。なんか……ちゃんとしてる!」


 失礼なようで、誉め言葉だった。


 通りを歩けば、別の声もかかる。


「おかえりなさい」

「リラ様」

「元気そうで安心したわ」


 誰も、畏れていない。

 距離を取らない。


 それどころか――

 少しだけ、誇らしそうに見ている。


 リラは胸の奥が、じんわりと温かくなる。


 ここが、私の帰る場所だ。


 *


 夕方。


 《Líren》の扉を開けると、いつもの香りが迎えた。


「……あ」


 カウンターの向こうで、ルシアが顔を上げる。


「おかえり」


「ただいま」


 一瞬、ルシアがリラをじっと見る。


「……変わったわね」


 リラは、くすっと笑った。


「そう?」


「うん。でも」


 ルシアは、少しだけ柔らかく微笑む。


「ちゃんと、リラのまま」


 その一言で、力が抜けた。


「……疲れた」


 リラはそのまま、カウンターに突っ伏す。


「はいはい」


 ルシアは慣れた手つきで、カップを差し出した。


「甘えていい時間?」


「うん。今だけ」


 声が、少しだけ幼くなる。


「私、少し成長したと思わない?」


 ルシアは、くすりと笑った。


「ええ。とびきり」


 リラは、少女みたいに笑った。


 *


 カップを両手で包んだまま、ふと思い出したように呟く。


「ねえ、ルシア」


「なに?」


「……ヴァルデンにもね、白いお菓子があったの」


 ルシアの手が、ほんの一瞬だけ止まる。


「白?」


「うん。甘さは控えめなんだけど」

「繊細で。作り上げられた一つの芸術品みたいだった」


 リラは少し笑う。


「美味しかったよ。でもね」


 言葉を探す間。

 湯気が、二人の間をゆっくり漂う。


「……あの圧倒的な白とは、違った」


 ルシアは、何も言わずに頷いた。

 それから、静かに言う。


「そりゃそうよ」


「?」


「それは“向こうの白”でしょ」

「ここにあるのは、“帰ってくる白”」


 リラは、きょとんとしてから――

 次の瞬間、くしゃっと笑った。


「なにそれ」


「そのままの意味」


 ルシアは、カップを置く。


「外で何を食べても、何を見ても」

「最後に戻ってくる味があるなら、それでいいの」


 リラは、何も言えなくなった。

 胸の奥が、じんわり温かい。


「……ただいま、ルシア」


「おかえり、リラ」


 世界は、まだ厳しい。

 正しさは、いつも一つじゃない。


 それでも――

 帰れる場所がある。


 それだけで、明日へ行ける気がした。

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