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リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
始まりの国
11/52

正しさの形

第一部後半になりました。ヴァルデンその1です。

 国同士の正式な取り決めの元だからか。

 検問も形式的で、無駄な詮索(せんさく)はない。

 歓迎の言葉もない。


 ただ、確認される。

 目的と期間と、こちらがもたらすもの。


 街へ入ると、空気が少し違った。


 整備された石畳。

 機能的で合理的な建物。

 人の流れは一律で、立ち止まる者が少ない。


 視線は合うが、感情は交わらない。


 ──乾いてる。


 それが、最初の印象だった。


 歩いている途中、ふいに小さな影が視界を横切った。


 幼い女の子。

 走っていた足がもつれ、石畳に(つまず)く。


「あっ……」


 反射的に、リラは駆け寄った。


 膝をつき、手を差し伸べる。


「大丈夫? 怪我は──」


 その手は取られなかった。


 女の子は、後ずさる。

 母親らしき女性が、すぐに間に入った。


 警戒するような目。


「……何の用ですか」


 低く、平坦な声。


「いえ、転んだみたいだったので……」


 言い終わる前に、(さえぎ)られる。


「私たちに、何を求めているんです?」


 一瞬、意味が分からなかった。

 思わず、ぼんやりとした顔をしてしまう。


「見返り……ですか?」


「それとも、後で何か請求されるんですか?」


 母親の声は、責めていない。

 怒ってもいない。


 ただ、確認しているだけだ。


 リラは、言葉を失った。


「……いえ。

 ただ、助けようとしただけで」


 母親は、子どもを背に(かば)ったまま、少しだけ考える素振りを見せる。


「……結構です」


 それだけ言って、去っていった。


 女の子は、一度だけ振り返り、

 何も言わずに歩いていく。


 残されたのは、差し出したままの手。


 ゆっくりと、それを下ろす。


 胸の奥が、ひどく静かだった。


 “善意“はここでは価値にならない。


 助ける理由がなければ、

 助けられる理由もない。


 合理的。

 冷静。

 無駄がない。


 それが、この国の美徳(びとく)なのだ。


 リラは立ち上がり、周囲を見渡した。


 誰も、この出来事を気に留めていない。

 日常の一部として、流れていっただけ。


 文化が違う。

 そう頭では分かっているはずだった。


 けれど。


 胸の奥に残った小さなひびが、

 簡単には消えてくれなかった。


 ──ここは、西方連合国家ヴァルデン。


 善意では、何も動かない国。


 リラは、上着の前を()め直し、

 静かに歩き出した。


 まずは、知るところから始めなければならない。


 この国の、

 正しさの形を。


 *


 ヴァルデンに入って最初に案内された建物は、城というより──機関だった。


 石造りの外壁は無駄がなく、飾り気もない。

 門をくぐる時、衛兵は礼をするでもなく、ただ書類を確認して(うなず)いた。


 視察団の入国は、国同士の取り決めで決まっている。

 だから通る。(とどこお)りなく。感情を(はさ)む余地もない。


(……楽、ではあるけど)


 リラは胸の奥が少しだけ落ち着かないのを感じながら、案内役の背中を追った。

 歩く廊下には絵も旗もない。あるのは掲示板と番号だけだ。


「会議の後、会食が予定されています」


 淡々とした声で告げられる。


「会食……なんですね」


「はい。形式上は」


 *


 会議が終わり、移動をする。


 会食の席は広間ではなく、会議室を少しだけ整えたような部屋だった。

 長い卓、均一な椅子、距離を測ったように置かれた食器。

 花は一輪だけ。香りは弱いのか、感じられない。


 席に着く人々もまた、整っていた。

 官僚(かんりょう)、実務者、連合の各地域から選ばれた代表者。

 服装は統一されていない。だが、どれも“機能”が先に立っている。

 飾りの多い者はおらず、装身具も少ない。魔道具を嫌う国だという話を、リラは思い出す。


(……ここでは、派手に着飾る事に価値がない)


 ノクスヴァイ側は、肩書きの格が見える着衣が多い。

 だがヴァルデン側は違う。偉い者ほど、余計な情報を削ぎ落としている。


 進行役が立ち、淡々と名前を呼ぶ。


「西方連合国家ヴァルデン、代表団──」


 一人ずつ、短く自己紹介が続いた。

 出身地域、担当分野、今回の議題における責務。

 決して(なご)やかな雰囲気ではない。


 ノクスヴァイ側も紹介される。


 リラは、自分の名前が呼ばれた瞬間だけ、背筋を伸ばした。

 リラ・ヴェルノア。宰務局、外交官補佐。

 小さく頭を下げ、笑顔を作りかけて──やめる。


 この場に、笑顔は“用途”がない。


 紹介が終わると、料理が運ばれてきた。


 それを見た瞬間、リラの心の中が、思わず跳ねた。


 皿は白。盛りは少ない。

 だが、香りが強い。穀物の甘さと、焼いた脂の匂い。

 薄い肉に、濃い色のソース。酸味と塩気が先に立つ。

 付け合わせは根菜。切り方も整然としており、味の整いも完璧であることを確信させる。


 ……とんでもなく、美味しそう。


 顔には出さない。

 けれど内側では、子どもみたいに喜んでしまう。


 一口。

 肉は硬い。だが噛むほど旨味が出る。

 ソースが、舌の奥を刺す。強いのに、後に残らない。


 ……美味しい、特にこのソース。

 少し緑茶の風味もするし……どれほど時間をかけて作られているんだろう。


 お酒が注がれた。

 赤い。渋い。香りは薄い。

 “酔うための液体”という感じが、妙にこの国らしい。


 会食は静かに進んだ。

 誰も誰かを褒めない。笑わない。

 料理の説明もない。

 ただ一人、リラだけが料理を味わっているようだった。


 食後の甘味だけが、少し意外だった。

 白い焼き菓子。粉糖の雪みたいなもの。

 甘さは控えめで、舌に残らない。


 ……ルシアの、あの白いのを思い出すな。


 一瞬、胸が温かくなる。

 だがそれすらも、ここでは余計な感情だと思い直し、リラは姿勢を戻した。


 そして──食後。


 連合国の代表の一人が、ぽつりと言った。


「……分配率の件ですが。再検討の余地があるようにも思える」


 一言で空気が変わった。


 会食が、会議になる。

 まるで最初から、そのために料理があったみたいに。


「合意文の表現が曖昧(あいまい)です。こちらとしては不利になる」


「曖昧さは、あなた方の文化でしょう?」


「再検討を」


「再検討は、双方のコストです。こちらが負担する理由は?」


 声は荒れていない。怒気(どき)もない。

 ただ、刃がある。


 リラの隣に座るノクスヴァイ代表の男は、少しずつ言葉が硬くなっていった。

 形式と体面で進めるノクスヴァイ側。

 だがヴァルデンは体面を価値に換算しない。


「友好のために──」


 その言葉が出た瞬間、ヴァルデン側の誰かが言った。


「友好は価値ではありません。結果が価値です」


 ぴたり、と会話が止まる。

 リラの背筋に冷たいものが走った。


 これが、この国の空気だ。


 善意は通じない。

 善意は、“疑い”になる。


 議論は、昼の会議の続きを正確に再生しているようだった。

 いや、昼よりも鋭い。夜だから、余計な飾りが落ちる。


 代表が折れる気配はない。

 ヴァルデンも譲る気配がない。


 ──このままだと、明日からの視察が“敵対の場”になる。


 リラは息を整えた。

 自分の出番ではない。そう分かっている。

 でも……ここで崩れたら、長期視察自体がまずい事になる。


 ……私なら、どうする?


 “正しくあろう”とすると、いつも同じ癖が出てしまう。

 自分が矢面に立てばいい。

 自分が損をすればいい。

 そうすれば、場が丸く収まる。


 自分でも良くない癖であることは分かっている。


 でも、他に手が思いつかない。


 リラは立ち上がった。


「失礼します」


 声が震えないように、立つ両足に力を込める。

 視線が集まる。ヴァルデンの冷たい目。ノクスヴァイ側の警戒の目。


「ノクスヴァイ王国代表団、宰務局 外交官補佐官のリラ・ヴェルノアと申します。こちらの不手際が、交渉の遅れ を招いているのであれば──」


 リラは、条件の一部を“こちらの負担”として提示する言葉を組み立てて発言した。

 それは、自分が責任を背負う提案だ。

 代表の面子(めんつ)を保ち、ヴァルデンの利益も確保する。


 これなら収まるはずだ。

 そう、思っていた。


 ──その瞬間。


「お座りなさい」


 冷たい声がその場に響いた。


 リラの席の向かい、左前に座っていた女性。

 白を基調に、黒と緑が差す神官服のような装い。

 鋭い目つき。目の下に薄い影。疲れが隠しきれていない。


 部屋の空気がまた変わった。

 形容しがたい”圧”を感じる。


 リラの喉が鳴った。


「あなた、リラ・ヴェルノアといいましたね。

 私はヴェルナ・アリキュールです」


 誰かが姿勢を正す音が聞こえた。


 宗教の頂点──連合の主軸。

 この国を束ねる“思想”の象徴。


 ヴェルナは、リラの提案の途中を切り取って言った。


「あなたが損を被れば、今日の席は終わるでしょう」


 淡々と。事実だけを並べるように。


「しかし、明日からは終わりません。

 『ノクスヴァイは、個人を差し出す国だ』と理解されるだけです」


 リラの喉が詰まった。


「それは──」


「あなたが正しいことをしたいのは分かります」


 ヴェルナは、そこで初めてリラの目を見た。

 視線が鋭い。刺すようなのに、逃げ場がない。


「ですが、“正しさ”の形が幼い。

 あなたは、損を払うことでしか場を整えられない」


 冷たい。

 残酷。

 でも、真実だった。


 リラは立っていられなくなりそうになる。

 けれど、ここで崩れたら余計に“未熟”を証明する。


 ヴェルナは、リラの代わりに卓へ向き直った。


「本日の議題は、友好ではなく──配分です」


 一言で場が固まる。


「ヴァルデン側の要求を、半段階だけ下げます。

 その代わり、ノクスヴァイは輸送路の整備に人員を出してください」


 誰かが言いかける前に、ヴェルナは続けた。


「利益はヴァルデンが少し多い。ええ、承知しています。

 ただしそれは、整備の主導権をノクスヴァイが握ることで相殺できます」


 合理的すぎる提案。

 一見、ヴァルデンが得をする。

 でも“長い目”で見ると、ノクスヴァイも負けていない。


 ノクスヴァイ代表は、言葉を返さない。

 反論の言葉が見つからない。

 それだけ整っている。


 ヴァルデン側も沈黙した。

 反対する理由はある。だが、反対した場合の損が計算できてしまう。


 数秒の静寂の後、ノクスヴァイの代表が口を開いた。


「……合意する」


 それで決まった。


 会食が、会議として終わる。

 拍手もない。乾杯もない。

 ただ、記録だけが残る。


 人々が立ち上がり、淡々と散っていく。

 リラはまだ立ったままだった。


 悔しさではない。

 羞恥(しゅうち)でもない。


 自分が“守ってきた正しさ”が、薄い紙みたいに思えた。


 ヴェルナが、リラの横を通り過ぎる。

 その瞬間、リラは思わず口を開いた。


「……ヴェルナ様」


 呼びかけに、ヴェルナは足を止めた。

 振り返らない。背中だけで答える。


 リラは一歩だけ近づいた。


「さっきの……私の提案は、間違いでしたか」


 ヴェルナは、ようやく横顔だけ向けた。


「間違いではありません。短期的には“正しい”。

 だからこそ、危険です。あなたは、短期でしか正しさを見ていない」


 胸が痛い。

 まるで掌に、古い傷があるみたいに。


「……私は」


 言葉が出ない。

 自分が何を言いたいか分からない。


 ヴェルナは、淡々と締めた。


「今日はもう休んでください。

 考えるなら、頭が動く時に」


 そう言って去ろうとする背に、リラは(こら)えきれず言った。


「待ってください」


 ヴェルナが止まる。

 今度は、ちゃんとリラを見た。


 リラは腹を(くく)った。

 この国は、遠回しが通じない。


「私はあなたに──学びたいです」


 自分でも驚くほど、まっすぐな声だった。


「今日みたいに、正しさを“誰かの損”で終わらせるんじゃなくて」


「ちゃんと、盤面で勝てるように……」


 言いながら、自分が少し子どもみたいだと思う。

 でも、今はこれが精一杯だった。


「仕事以外の時間で構いません。

 あなたの側で、見て、学ばせてください」


「……お願いします」


 ヴェルナはすぐに答えなかった。

 鋭い目で、リラを測る。


 メリットがないなら、助けない。

 助けたなら、思惑(おもわく)がある国。


 ここは、そういう国だ。


 きっとヴェルナはこう言うはずだ。

 「見返りは?」と。


 だがヴェルナは、少しだけ眉を寄せただけだった。


 しばらく、何も言わない。

 二人の間に静寂が落ちる。


「……あなた、疲れているのに、よく喋りますね」


 ようやく発した一言。口調は冷たいのに、妙に人間臭く感じた。

 リラは一瞬、笑いそうになる。


「必要だと思ったので」


「必要、ですか」


 ヴェルナは小さく息を吐いた。


「いいでしょう。条件があります」


 来た、と思った。


「私の時間は有限です。あなたの成長が、私の仕事の効率に繋がると判断できる場合のみ。

 ……弱音を吐くなら、最初に吐いてください。後で吐かれると面倒です」


 その言葉は、厳しい。でも、嘘は無かった。


 リラは頷いた。


「吐きません」


「言いましたね」


 ヴェルナは、ほんの一瞬だけ口角を上げた。

 笑みというより、“確認”のようにも見えた。


「では明日。朝、日の出前に来てください。

 遅れることなど、ありませんね?」


「……はい」


 リラの胸の奥で、熱が(とも)った。

 恐怖もある。想像以上に過酷だろう。


 でも、それ以上に──成長できる。


 ヴェルナは背を向けた。


「リラ・ヴェルノア」


 呼ばれて、リラは背筋を伸ばす。


「あなたは、優しい」


「だから、危うい」


 ヴェルナの言葉が胸に刺さった。


「優しさを捨てろとは言いません。

 ただ──使い方を覚えなさい」


 そう言い残し、ヴェルナは去った。


 会食の部屋に残されたリラは、しばらく動けなかった。


 料理の余韻(よいん)は、もう消えていた。

 代わりに残ったのは、乾いた空気と、確かな予感。


 ヴァルデンで、何かが変わる。

 きっと、自分が変わる。


 そしてそれは──甘くはない。

次回、ヴェルナに弟子入りします。

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