025:完璧なる部品の瑕(きず)
完璧な論理に、感情は必要か。 主の目的を遂行するためだけに創られた部品 に、 「心」という名のバグが宿った時、それは「進化」か、それとも「故障」か。
これは、自らを完璧な論理機械と信じる副官が、 予期せぬ非合理な変数との再会によって、 そのシステム深層部に隠された「時限爆弾」 のタイマーを、自ら進めてしまう物語。
ジェクス の思考は、常にクロガネの論理と同期していた。 第七居住ブロックの安定化。被験体ミナ(ID: M-375)の『静寂』の維持 。観測員カイ(ID: K-044)の監視レベル引き上げ 。 全ては、主、リク・クロガネの『静寂プロジェクト』 完遂のため。 ジェクスは、そのための最も効率的で、最も忠実な「部品」 だった。
あの日、聖域『伊吹』 で巫女見習いイオ と接触した際に発生した、あの理解不能な「バグ(Error_Irrationality_001)」 さえも。 それは、ジェクスの論理回路では「消去不能」と判定されたため、システム最深部に隔離され、厳重に封印されていた。 合理的判断において、観測不能な変数は、隔離し、無視する。それが最適解だった。
「ジェクス」 クロガネが、研究室の静寂を破った。 「主任。何なりと」 「鋼鉄区の東、セクターF……ゴウダの領域との緩衝地帯に、天使派の『聖域』から逃れてきた難民が潜伏している、という情報が入った」 「ゴウダ の領域ですか。彼の『力』 の支配下で、よく生き延びていますね」 「問題はそこだ。連中は、ゴウダの支配を受け入れず、かといって、我々の『合理』にも従わない。『聖域』の連中が持ち込む『気』とやらは、『支配型科学』 の稼働効率を低下させる、厄介な汚染源だ」
クロガネは、冷ややかにモニターを指し示した。 そこには、廃ビルの一室で、数人のボロをまとった難民が、幼い子供を囲んで何かを祈っているような姿が映し出されていた。 「私の『静寂』 を乱す、非合理の極みだ。……ジェクス。お前が行け」 「御意」 「目的は、彼らが持ち込んだ『汚染源』のサンプル採取。及び、汚染源そのものの『排除』だ。聖域の人間が、我々の領域でどのような『拒絶反応』を示すか、貴重なデータが取れる」 「承知いたしました。……排除方法は?」 「任せる。最も合理的な手段を選べ」 「了解」
ジェクスは、0.1秒の思考でプランを構築した。 武装兵による強襲は、ゴウダの領域を過度に刺激する。非合理的。 最適解は、単独潜入。ガスによる無力化。サンプルの採取。そして、生存者の処理。 完璧なオペレーションだった。
セクターFの廃ビルは、鉄と錆の匂いの中に、確かに異質な「気配」が混じっていた。 ジェクスのセンサーが、この領域ではあり得ない、微弱な「T-Type粒子(天使派の『気』)」 を検出する。 (……イオ の聖域と同じ粒子。汚染源は、間違いない)
ジェクスは、まるで影のように、廃ビルの最上階に到達した。 扉の隙間から、内部をスキャンする。 生命反応、五。大人四、子供一。 熱源、微弱。栄養状態、劣悪。 (……合理的判断。彼らは、どちらにせよ、数日以内に生命活動を停止する。クロガネ主任の命令は、そのプロセスを短縮し、データを採取する、極めて合理的な『救済』だ)
彼は、小型のガスグレネードを起動させた。致死性ではなく、即効性の神経ガス。 扉を蹴破り、閃光弾と共にグレネードを投げ込む。 数秒後、室内に突入した。
大人の難民たちは、咳き込みながら、床に崩れ落ちていた。 だが、ジェクスの目が、予測し得なかった「変数」を捉えた。
「……う……あ……」
ガスの効果が回るのが遅れたのか、あるいは、物陰にいて濃度が薄かったのか。 一人の少女が、壁際に座り込んだまま、こちらを見上げていた。 年の頃は、十歳前後。 その瞳は、恐怖に歪んでいなかった。 ただ、何が起きたか理解できず、純粋な「困惑」だけを浮かべて、ジェクスを見つめていた。
(……エラー。予測行動パターンと不一致。恐怖反応、ゼロ)
ジェクスの論理回路が、即座に対応を検索する。 少女は、おもむろに、懐から何かを取り出した。 それは、泥に汚れた、小さな木彫りの人形だった。
「……あのね」 少女が、か細い声で言った。 「……イブキの、お守りなの。……だから、だいじょうぶ……」 少女は、ジェクスに向かって、それを差し出すように、そっと手を伸ばした。 そして、聖域『伊吹』の巫女見習いイオ が、あの時ジェクスに向けた笑顔と、寸分違わぬ表情で、
――ふわりと、笑った。
(……イオ……? Object_nonlogical_01……)
その瞬間。 ジェクスのシステムが、停止した。
否、停止ではない。 彼のシステム最深部に隔離されていた「時限爆弾」 。 『Error_Irrationality_001(イオの笑顔と、木彫りのお守り)』。 それが、今、目の前の「非合理な変数(少女の笑顔と、木彫りの人形)」に、完璧に「共鳴」したのだ。
ジェクスの視界に、ノイズが走る。 彼の論理回路が、0.01秒、0.05秒、0.1秒……と、致命的な処理遅延を起こしていく。 彼の思考は、絶対的な矛盾に陥った。
【命令:汚染源を排除せよ】 【観測:目の前の『非合理』は、隔離すべき『バグ』と同一である】 【矛盾:『バグ』は、消去不能である】 【結論:排除、不能――】
「……!」
ジェクスは、自らの機械の腕が、命令に反して、震えていることに気づいた。 あと数秒で、大人の難民たちが意識を取り戻す。任務は失敗する。 それは、非合理的。 それは、主の命令に反する。
(……違う!)
ジェクスは、脳内の「バグ」を、強制的に隔離領域へと押し戻した。 「――ノイズは、排除する」 彼は、冷徹な「部品」の思考を取り戻すと、少女の傍らに膝をつき、その首筋に、寸分の狂いもなく手刀を叩き込んだ。 少女は、笑顔のまま、静かに意識を失った。 処理遅延、合計0.87秒。 「完璧な部品」としては、あり得ない「瑕」だった。
ジェクスは、その後、全ての任務を完璧に遂行した。 サンプルを採取し、全ての汚染源を「排除」した。
研究室に戻ったジェクスは、クロガネにサンプルを提出した。 「……完璧だ。データも良好だ。ご苦労だった、ジェクス」 「主任の論理のままに」 ジェクスは、完璧な無表情で一礼した。
クロガネは、ジェクスが退出した後、ふと、任務ログを一瞥した。 (……ん? 潜入から排除完了まで、予測タイムより0.87秒、遅い……?) だが、彼はそれを、廃ビルの構造的な問題か、あるいは難民の抵抗による、許容範囲内の誤差と判断した。 彼の完璧な部品が、その内部で「故障」を起こし始めていることなど、知る由もなかった。
自室に戻ったジェクスは、鏡に映る自分の顔を見つめていた。 完璧な無表情。 だが、彼のシステム内では、先ほどの「0.87秒の遅延」のログが、赤く点滅し続けていた。 『Error: Logical_Conflict_002. Cause: Unknown』 『Error_Irrationality_001 との共鳴を確認』 『Action: Data quarantined to Sub-Domain [Error_Irrationality_002]』
彼の「時限爆弾」 に、二つ目の信管が、確かにセットされた瞬間だった。
ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。
「完璧な部品」 であるはずのジェクスは、再び「非合理なノイズ」に触れ、その論理を揺さぶられてしまいました。 隔離された二つの「バグ」は、いつか彼の中で結合し、彼を「進化」させるのか、それとも「破壊」するのでしょうか。 もし、あなたの信念が、あなた自身の経験によって揺らいだ時。あなたは、その「矛盾」をどう処理しますか?
さて、「合理」の領域で生まれた静かなる「瑕」の記録はここまで。 次は、悪魔派圏のもう一つの側面。あの「美魂家」ノア の、日常の「演奏会」 の記録です。
私は、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。 もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。
また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。




