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024:王のシチュー

弱さは、罪か。 生きようとする欲望は、美しいか。


これは、力こそが「真実」であると信奉する鉄屑の王 が、 自らの食料を盗もうとした、か細い「牙」と出会った、一夜の記録。 その歪んだ優しさは、慈悲ではない。 ただ、己と同じ「正直さ」の匂いを嗅ぎ取った、王の気まぐれな咆哮ほうこうである。

鋼鉄区を、凍てつく冬の風が吹き抜けていた。ゴウダ・ソウジの領域では、冬は「淘汰とうた」の季節だった 。熱源を求めて人々は身を寄せ合うが、その輪から弾かれた者は、ただ静かに朽ちていく。力のない者、生きる意志の弱い者から、順当に死んでいく。それが、この街の揺るぎない「真実」だった 。


少年――ケンは、その「淘汰」の瀬戸際にいた。 彼が身を寄せるコンテナハウスの片隅で、幼い妹が、もう何日もまともな食料を口にできず、熱を出して浅い息を繰り返している。壁の隙間から吹き込む風が、なけなしの体温さえ奪っていく。配給だけでは、この冬は越せない。 (……このままじゃ、死ぬ) ケンの瞳に、ギラリとした光が宿った。それは、恐怖を凌駕した、生の欲望の光だった。


彼は、数日かけて調べ上げた、最も警備が薄く、そして最も上質な食料が備蓄されているという噂の倉庫へと、闇に紛れて忍び込んだ。分厚い鉄の扉。南京錠は錆びつき、わずかな隙間がある。ケンは震える手で、拾い物の針金を差し込み、息を詰めて錠を開けた。


中は、ケンの想像を絶する「宝の山」だった。 天井から吊るされた燻製肉の塊、高く積まれた乾いた豆の麻袋、壁際に並ぶ保存用のラードの樽。飢えた腹が、ごくりと鳴った。 (……やった) ケンは、よだれを飲み込むと、背負ってきた袋に、掴めるだけの干し肉を詰め込み始めた。妹の顔が浮かぶ。これで助かる。熱いスープを作ってやれる。


「――ククク。いい顔だ、小僧」


地獄の底から響くような、低い笑い声。 ケンが凍り付いて振り返ると、そこには、闇そのものよりも巨大な影が立っていた。 鉄屑の王、ゴウダ・ソウジ。 その手には、まるでオモチャのように、ケンがこじ開けたはずの鉄の扉の残骸が握られている 。いつの間に入ってきたのか。気配すら感じなかった。


「……あ……」 声が出ない。噂に聞く、王の「裁き」。嘘をついた者の腕を砕くという、あの鉄拳 。盗みは、この領域では死罪に等しい。 (……死ぬ) ケンは、恐怖でその場に崩れ落ちそうになった。だが、その瞬間、脳裏に妹の苦しむ顔が灼きついた。


(……死ねるかよ、ここで!)


ケンは、咄嗟とっさに、詰め込んだ干し肉の袋をかばうように抱きしめた。 そして、目の前の「王」を、まるで親の仇のように、睨めつけた。


「……これは、俺のだ。妹が……死んじまう」


震えながらも、絞り出した声。 それは、命乞いではなかった。所有権の主張。剥き出しの「欲望」の宣言だった 。


ゴウダは、目を見開いた。 彼は、ケンが慈悲を乞うか、あるいは泣き叫んで逃げ出すと思っていた。 だが、目の前の小僧は、自らの「獲物」を抱きしめ、この王に対して「牙」を剥いたのだ。


「……ハッ」 ゴウダの喉が鳴る。 「……ククク……クハハハハハハ!」 王の哄笑が、倉庫中に響き渡った。 「面白い! 実に、面白いじゃねえか、小僧!」


ゴウダは、ケンの前に無造作に歩み寄ると、備蓄棚から、ケンが盗もうとしていた肉の、倍はあろうかという巨大な塊を掴み取った。 そして、それを、ケンの足元に、ドンッ、と投げつけた。


「……え?」 ケンは、何が起きたか理解できなかった。


「いいか、小僧」 ゴウダは、ケンの小さな体を、巨大な掌で鷲掴みにし、自らの顔の高さまで持ち上げた。 恐怖で息が詰まる。 だが、ゴウダの瞳は、怒りではなく、まるで上等な獲物を見つけた獣のように、愉悦に輝いていた 。


「お前は、この俺の『力』の象徴である、この倉庫に忍び込んだ。それは、死罪に値する」 「……っ」 「だがな。お前は、『嘘』をつかなかった」 ゴウダは、その顔をケンの目の前に突きつけた。 「生きるためだの、仕方なかっただの、小賢しい『いいわけ』を並べて命乞いをしなかった。ただ、『俺のだ』と己の『欲望』を、『妹が死ぬ』というテメェの『真実』を、この俺に叩きつけた。その『正直さ』……気に入った!」


ゴウダは、ケンを床に降ろすと、足元の巨大な肉塊を顎でしゃくった。 「それは、くれてやる。だがな、小僧」 「奪うなら、鼠のようにコソコソと盗むんじゃねえ。牙を剥き、己の『力』で、正面から奪い取れ。次に俺の前に立つ時、お前が今より弱いままなら……その時は、俺が、お前のその『正直』な喉笛ごと、喰らい尽くしてやる」


それが、鉄屑の王が示す、最大限の「優しさ」であり、「教育」だった。 ケンは、何が何だか分からないまま、震える手で、巨大な肉塊を抱え上げた。 自分の体の半分ほどもある、信じられないほどの重さ。 彼は、一度だけ、王の顔を見上げた。 ゴウダは、ただ、不敵に笑っていた。 ケンは、脱兎のごとく、その倉庫から逃げ出した。


一人残された倉庫で、ゴウダは、壁際に積まれていた樽から、シチュー用の肉を豪快に掴み出した。 (……あの小僧の目。悪くねえ。あれこそが、『力』の源だ) 「嘘」と「欺瞞」を何よりも憎む王は、その夜、極めて上機嫌だった 。 自らの領域の片隅に、また一つ、「真実」の牙が生まれたことを、祝福するように。

ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。


ゴウダ・ソウジにとって、「生きようとする欲望」こそが「力」であり、それを隠さない「正直さ」こそが「真実」でした 。 彼が少年に与えたのは、食料ではなく、自らの哲学そのものだったのかもしれません。 もし、あなたの「欲望」が試された時、あなたはそれを「正直」に示すことができますか?


さて、鉄屑の王の「歪んだ人情」の記録はここまで。 次は、再び、リク・クロガネの領域へ。あの「完璧な部品」ジェクス が、自らの内に宿った「バグ」 と、静かに直面します。


わたくしは、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。 もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。 また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。

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