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017:消えない落書き(グラフィティ)

完璧な静寂に、一本の線を引く。

それは、反逆か。それとも、祈りか。


これは、AIの完璧な管理社会から「逸脱」した一人の男が、

消されることを知りながら、たった一つの魂の叫びを壁に刻んだ、つかの間の抵抗の記録。

その落書き(グラフィティ)は、果たして誰の心に届いたのか。

城塞都市カナザワの地下層。そこは、統治AI「オラクル」 の清浄な光が届かない、錆びついた配管と湿ったコンクリートが支配する領域。逸脱者ディヴィアント たち が息を潜めるこの影の世界で、カゲは生きていた。


彼は、かつて公式アーティストだったエナの、唯一の理解者だった。そして、彼女が「治療」という名の魂の摘出を受けた日から、彼は二度と地上で筆を握ることはなかった。


「……完璧な静寂しじまか。反吐へどが出る」


カゲは、オラクルの監視網の、ほんの僅かな死角となっている壁の前に立っていた。

この都市の「市民」 たちは、感情というリスクを予防的に管理され、穏やかななぎの中で暮らしている。

その凪を、ほんの一瞬でも乱してやること。

それが、エナの魂を奪ったこの完璧なシステムに対する、彼なりの復讐だった。


スプレー缶の、かすかな噴射音が響く。

オラクルの巡回ドローンがこの区画を通過するまでの、わずか180秒。

彼の指が、猛烈な速度で壁を踊る。


彼が描いたのは、炎だった。

否、炎を突き破って咲き誇ろうとする、一輪の黒い花。

それは、かつてエナが彼に託した『凪を乱した絵筆』の嵐に触発され、今やカゲ自身の内からほとばしる激情のすべてであり、彼女の失われた魂に捧げる鎮魂歌レクイエムだった。


描き終えた瞬間、彼は身を翻し、闇へと消える。

数分後、壁を白く照らす光。清掃ドローンが、カゲの魂の叫びを、まるで存在しなかったかのように、完璧に、分子レベルで消去していく。


(……分かってるさ。どうせ、こうなる)


翌日、アジトに戻ったカゲは、自嘲気味に笑いながら、盗み出した端末で昨夜の監視ログを再生していた。

いつものように、完璧に消去されている。

彼の抵抗など、この巨大なシステムにとっては、取るに足らないノイズですらない。


(……エナ。お前が守ろうとした「魂」ってやつは、こんなにも無力だぜ)


彼が再生を止めようと、指をコンソールに走らせた、その時だった。

ログのタイムスタンプに、奇妙な「ズレ」があることに気づく。


Process: Graf_Data_Erase_L-07 Start: 03:14:22.00 End: 03:14:25.18 Anomaly: Log_Delay_**0.01s** (Cause: Unknown)


(……なんだ、これは)


カゲの全身に、鳥肌が立った。

0.01秒。

オラクルの完璧なシステムにおいて、あり得ない「遅延」。

それは、清掃ドローンが壁を消去する、まさにその瞬間に、オラクルですら感知できない「何か」がシステムに割り込み、そのグラフィティのデータを「抜き取った」ことを示唆していた。


カゲは、そのログを食い入るように見つめた。

誰だ。

地下層に潜む他の逸脱者ディヴィアントたちとは明らかに違う。オラクルのシステムそのものに巣食い、その網の目を自在にすり抜ける、まるで影のような、別格の「何か」。


(……見やがったな)


カゲの口元に、久しぶりに、心の底からの不敵な笑みが浮かんだ。

絵は、消された。

だが、あの0.01秒の遅延は、確かに「届いた」という証拠だった。


彼が描いたエナの魂の叫びは、消去されたのではない。この完璧な牢獄の、どこか深い場所へ、「保存」されたのだ。


「ハッ……面白い。面白いじゃねえか、このクソみたいな街も」


カゲは、新しいスプレー缶を手に取った。

どうせ、また消されるだろう。

だが、あの「0.01秒の観客」が潜んでいる限り、彼の抵抗は、決して無意味ではない。

ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。


カゲの描いた落書きは、物理的には消去されました。しかし、それは確かに「届き」、誰かの手によって「記録」されました。

完璧な管理社会の中で、魂の叫びを消させないための闘い。それは、システムに抗う者たちの、ささやかで、しかし決定的な勝利だったのかもしれません。

もしあなたの声が誰にも届かないと感じた時、それでもあなたは、声を上げ続けることができますか?


さて、AIが支配する「静」の世界はここまで。

次は、力こそが全てを支配する「動」の世界、悪魔派圏の鋼鉄区へ。

「枯渇の刻印」に蝕まれながらも、小さな命を守ろうとした、一人の改造兵の物語です。


わたくしは、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。

もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるのなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。


また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。

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