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016:鉄の声、水の道

その声は、耳で聴くのではない。手で聴き、心で識るものだ。

自然の「仕組み(ことわり)」とは、力で支配するものではなく、

その流れに、自らを寄り添わせる「道」そのものなのだから。


これは、古の技術を受け継ごうとする一人の青年が、

頑固な師の言葉の意味を、自らの挫折と試行錯誤の果てに掴み取った、継承の物語。

「……だから、違うと言っとるだろうが、小僧!」


ガツン、と鈍い音が響き、リョウの手からスパナが弾き飛ばされた。

トキ爺さんの工房で、リョウが「工匠派」の弟子となってから、三月みつきが経っていた。

「焦るな。鉄は生き物だ。お前さんのように力任せにねじ伏せようとすれば、すぐにヘソを曲げるわい」

「……分かってるよ!」


リョウは、苛立ちを隠しもせず工具を拾い上げた。

あの一件以来、村の若い衆の何人かがトキ爺さんの元を訪れたが、そのあまりに地味で過酷な修行に、結局残ったのはリョウ一人だけだった。


(早く、一人前にならなきゃならないのに…!)


妹のユイが、今では元気に笑ってくれている。村人たちも、リョウを見る目が「異端者の弟子」から「水路の跡継ぎ」へと変わりつつあった。その期待が、彼を焦らせていた。

「鉄の声を聞け」「自然の『道』に倣え」。

師の言葉は、あまりに抽象的だった。


その日、トキ爺さんは、工房の隅で埃をかぶっていた一枚の羊皮紙をリョウに放り投げた。

「リョウ。お前に初仕事をやろう」

「えっ、本当か、爺さん!」

「集落の外れ、第三分岐路の調整弁だ。水量が不安定になっておる。こいつは、そこの古い設計図だ。お前一人で、直してこい」


リョウは、高鳴る胸を抑え、設計図を握りしめた。初めて任される、本物の仕事。

「……ああ! やってやるさ!」


現場は、リョウの想像よりも小規模な設備だった。旧文明の「重力水道」 の末端。水圧を調整するだけの、単純な歯車ギア機構。

(これなら、設計図通りにやれば、半日もかからない)

リョウは意気込み、工具を握った。


だが、二時間が経っても、調整弁は正常に機能しなかった。

設計図通りに部品を組み付けても、歯車が最後の最後で噛み合わない。無理に回そうとすれば、金属が悲鳴のようなきしみ音を上げた。

「クソッ、なんでだ! 設計図は完璧なはずなのに!」


焦りが、彼の視野を狭めていく。


彼は、かつてトキ爺さんがゴーストの汚染を粉砕した、あの力強い姿を思い出していた。

(そうだ、爺さんだって、最後は力で……!)

彼は一番大きなレンチを掴むと、テコの原理を使い、全体重をかけて歯車を回そうとした。

――バキンッ!!

甲高い音と共に、歯車の歯が、無惨に欠け飛んだ。

同時に、せき止められていた水が、歪んだ隙間から激しく噴き出した。

「なっ……! しまった!」

リョウは慌てて元栓を閉めようとするが、水圧でハンドルが動かない。泥水が容赦なく彼に降り注ぐ。

「くそ、くそ、くそっ!」

設計図は泥にまみれ、彼はただ立ち尽くすしかなかった。

(……なんでだよ。俺は、ただ、みんなのために……)

期待に応えようとしただけなのに。焦りが、全てを台無しにした。


泥だらけのまま、その場に座り込んだリョウの脳裏に、師の言葉が蘇る。

『焦るな。鉄は生き物だ』

『わしはわしのやり方で祈っとる。お前さんらには、鉄の呻き声が聞こえんようだがな』リョウは、泥の中で、ゆっくりと目を閉じた。


噴き出す水の音。軋む金属。風の音。

彼は、巫女のように「気」を読み解く霊力も持たない。

彼にあるのは、この三月でタコだらけになった、自分の「手」だけだ。


彼は工具を捨てた。

そして、激しく水が漏れる調整弁の、冷たい鉄の本体に、そっと両手を触れた。


(……鉄の、声)


耳を澄ますのではない。手のひらに伝わる、微細な「振動」に意識を集中させる。

ドン……ドン……と、規則的な水の脈動。その奥で、確かに感じ取れる、不規則な「揺らぎ」。

それは、設計図が描かれた旧文明の時代にはなかった、この150年で生じた、僅かな「地盤の沈下」が引き起こす、機構全体の「歪み」だった。


設計図は、間違っていない。

だが、世界は、生きている。大地もまた、ゆっくりと呼吸し、形を変えていく。

この調整弁は、その大地の「癖」に馴染めず、苦しんでいたのだ。


(……そうか。爺さんが言ってたのは、これか)


力でねじ伏せるのではない。この歪みを「受け入れ」、その上で、水が最も楽に流れる「道」 を、作ってやる。


リョウは目を開けた。その瞳に、もう焦りはなかった。

彼は予備の部品を取り出すと、ヤスリで削り始めた。

設計図通りの完璧な円ではない。この歪んだ水路の「癖」に、ぴったりと寄り添うための、不格好だが、ただ一つの「答え」の形に。


陽が傾きかけた頃。

リョウが、調整した部品をそっとはめ込むと、先ほどの抵抗が嘘のように、カチリ、と心地よい音を立てて収まった。

元栓を開く。

水はもう、漏れていなかった。ただ、サラサラと、まるで歌うかのように、清らかな音を立てて水路を流れていく。

「……ははっ。聞こえたぜ、爺さん。あんたの言ってた、鉄の声が」

泥だらけの顔で、リョウは笑った。


その様子を、少し離れた丘の上から、トキ爺さんが腕組みをしながら、静かに見下ろしていた。

「……ふん。半日仕事に丸一日かけおって。まだまだ鼻垂れ小僧が」

だが、その皺だらけの口元が、誰にも気づかれぬよう、満足げに歪んでいたことを、リョウはまだ知らない。


それは、忘れられた集落で、古の「祈りの形」が、確かに次代へと受け継がれた、瞬間だった。

ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。


リョウは、力ではなく「寄り添う」ことで、初めて鉄の声を聞くことができました。

それは、自然の法則を捻じ曲げる「支配型科学」 とは真逆の、「調和型科学」 の心そのものだったのかもしれません。

もし、あなたの目の前に「マニュアル通りにいかない」壁が立ちはだかった時、あなたは力でそれを壊しますか? それとも、その壁の声に耳を傾けますか?


さて、聖域や集落の「調和」の物語はここまで。

次は、視点を大きく変え、あの完璧なるAIの管理都市、カナザワの深層へ。

システムに抗う逸脱者たちの、小さな、しかし消せない抵抗の記録を辿ってみましょう。


わたくしは、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。

もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるのなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。


また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。

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