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素晴らしき朝活

 ピピピピピピッ!


 とスマホのアラームが響くのは午前5時30分。

 カーテンを閉め切られた、あるアパートのワンルームでのこと。


 フローリング直置きのスマホの横にはペチャンコの布団。

 お世辞にもふわふわではなさそう、というか、腰を悪くしそう。


 その敷布団とブランケットの隙間から、ニュッと腕が伸びる。

 顔は出ない。


 もちろんアラームを切ろうとしたわけだが、


 画面は床を向いていて、『停止』をタップできない。

 人差し指で機体の背中側を数回乱暴に叩くが効果なし。


 諦めた手は側面の電源ボタンを押して、スリープにして切る作戦へ。


 しかし直接見ないことには、どれが電源ボタンのあるサイドか分からない。

 しばらくクルクルとスマホを回したあと、


 グワシ! と乱暴に縦長の側面全体を覆うように握り込む。

 雑な面制圧で、ようやくアラームは静まりかえる。



「んんんん〜……! ふわああぁぁ……」



 その静寂を切り裂くような若い女性の声。

 同時に布団の中から、残りの手足と顔が生える。

 最初から出てくればいいものを。


「あぁ〜……」


 やがて彼女はゆっくり上半身を起こすと、カーテンへ目を向ける。

 隙間から流れ込む朝の日差しが、今日の天気をネタバレしている。


 ここまでモゾモゾ緩慢な動きをしていた彼女だが。

 立ち上がってからは素早い。

 ズカズカ大股でそちらへ向かい、カーテンを開け放つ。


 吸血鬼なら致死量の太陽光。

 人間なのでかまわず引き戸も開け、ベランダへ出る。


 さすがに8月も終わりがけとなれば、朝から暑いということはない。

 スズメも機嫌よさそうに鳴いている。


「うーん、いい朝。絵に描いたような朝。ビューティフル朝。

 仕事が待っている憂鬱な朝」


 彼女は無感情につぶやくと、昨日から干しっぱなしの着替えを取り込む。

 ただ寝起きでテンションが凪いでいるだけ。

 特別病んでいる様子はない。


 とりあえずシャツや靴下をクッションの上に投げると、


「さてと」


 今度は逆方向、玄関へと向かう。

 新聞を取りに行くとかではない。

 アラサーと言われたら『20代中盤!』と訂正する彼女に、購読する文化はない。


 では何があるのか。部屋の換気でもするのか。

 否。


 むふーっとした足取りでドアを開けると、足元には


「わぁ☆」



 小さな箱が置いてある。

 側面に書いてある文字は『aoyama』。

 中身は保冷剤と


 小瓶が2つ。



 ラベルは『美味なる牛乳』と『流体力学に基づくヨーグルト』



 そう。

 近ごろ少なくなった、牛乳の宅配である。


「うっふっふっふっふ〜!」


 コレが彼女のお目当て。

 人生の楽しみ。


 小さいころに観た『トムとジェリー』の『あべこべ物語』。

 あれ以来ずっとずっと


『朝、家に届く瓶の牛乳』


 というものに憧れていたのである。


 なので大学卒業後、一人暮らしを始めて以来ずっと続けている。

 同僚に


『ヤ◯ルトの方がいいんじゃない?』


 とか


『そんな金あるならもっとマシなとこに引っ越せ』


 と心ない言葉を浴びせられようと、ブレることなく。


「憂鬱な朝に楽しみを作る! コレが人生明るく楽しく生きるライフハックよ!」


 誰に向けての宣言か不明だが。

 とにかく彼女が『朝活』なる概念の流行った理由を噛み締めつつ

 逆に今は流行っていない理由に思い至らず(そんなだから人生が明るく楽しいのだ)


 牛乳瓶を手に取ると、



「あれ?」



 なんだかおかしい。

 違和感がある。


 その正体はすぐに気付けるもの。


 まずもって、封のビニール部分が一部裂けていて、


「うわっ、サイアク!」



 プラスチックの蓋に妙な穴が開いている。



 何より、手に取ったから分かること。

 それは、



 軽い。

 中身が空っぽだ!



「え〜! 何コレぇ〜!」


 彼女が瓶を振って騒いでいると、


 右2つ隣の部屋のドアが開く。


「あっ」


 出てきたのは若い男性。

 彼女の宅配牛乳仲間にして、


 実は狙っている男、田原(たはら)さんである。


 本来安アパートに住んでいる金なしなどノー眼中だが、

 顔がすごくアニメの推しキャラに似ている。


 きゃっ、私今タンクトップなの、見ないでっ

 と思いつつ、両腕をキュッと寄せてセクシーポーズを作る彼女はさておき


「あれっ? えー……?」


 田原さんも牛乳の箱を開けて、何やら唸っている。



 もしかして……コレはチャンス!



 彼女はスススススッと滑るように田原さんへ歩み寄る。


「あの〜、すいませ〜ん」

「あ、おはようございます」

「おはようございますぅ」


 田原さんの推しフェイスが近い。

 彼女は鼻の下が伸びそうになるのを必死で堪える。


 ちょうどこのまえスマホで推しの画像見ていて、同僚に


『アンタ時々スゴいヤバい顔してるよね』


 と忠告されたばかりである。


「あの、田原さぁん。もしかして、牛乳が?」

「あ、えっと」

川崎(かわさき)ですぅ」

「川崎さんも牛乳が?」

「そうなんですぅ!」


 田原さんは首の後ろをかく。


「いやぁ、困りましたね。宅配の人か、牛乳泥棒か」

「ねぇ〜!」


 川崎女史も頷いてはいるが、


「お問い合わせセンターに言っとかないと」

「ですですぅ〜」



 困るだなんてとんでもない!

 おかげで推しと話せてるんだけど!?



「そうだ! せっかくだし、朝ごはんご一緒しませんか!?」

「いえ、遠慮しておきます」

「は?」


 牛乳より素晴らしい朝活をプレゼントされた彼女であった。

お読みくださり、誠にありがとうございます。

少しでも続きが気になったりクスッとでもしていただけたら、

☆評価、ブックマーク、『いいね』などを

よろしくお願いいたします。

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