ボクサー以上に意味があった
「厳島神社?」
「気持ちは分かる」
北京ダックパーティーがあった翌日の昼。
私たちは花鹿ちゃんに『お茶でもしませんか?』と、花橋邸に呼ばれたんだけど。
門をくぐって数歩進むとそこには、
広い広い敷地の9割を占める池と
そのうえに巡らされた、水上のお屋敷があった。
これ大雨の日とかどうしてるんだろう。
床下浸水とか氾濫で、水没してるんじゃない?
外観は中華風のお屋敷。
畳とかないだけマシ?
いや、普通に畳の間もありそうだけど。
「ひっろい池ですねぇ。不忍池思い出します」
「あのラーメン臭かったなぁ」
「生け捕りにして、しばらくキレイなプールで泥抜きするべきでしたね」
なんて、過ぎたことに思いを馳せてると
「おーい!」
遠くから呼ぶ声がする。
花鹿ちゃんの声だ。
でも、お屋敷を見ても、お屋敷と陸地を繋ぐ橋を見ても、
「いませんね?」
人はいるけど、彼女っぽい姿はない。
別にいつもセーラー服ってわけじゃないと思うけど、みんな和服。
それもやっぱり仲居さんとか、使用人らしい感じの格好をしている。
当主だか跡目継ぎだか言ってた人の姿じゃないと思う。
「おーい!」
でもまた声がする。
でもいない。
困ってキョロキョロしていると、
「アレだ」
花恭さんが肩に手を置く。
それから彼が指差す方を見ると、
「ようこそー! 花橋の屋敷へー!」
真正面、池を突っ切って
手漕ぎ舟を操り、こっちへ手を振る花鹿ちゃんが。
「えぇーっ!?」
しかもカヌーとかじゃない。
時代劇で見るような、櫓が1本のを立ち漕ぎ。
もう観光地にいるプロじゃん。
相変わらずセーラー服で包帯だったけど。
驚いているうちに、
漕ぐスピードも速いらしい。
舟はあっという間に目の前で接岸する。
「こんにちは」
「はい、こんにちは」
花恭さんには慣れた光景なんだろう。
普通にあいさつを返しているけど、
「ちょっと待って。情報量多い」
私は初見だよ。
「いくらでも待ちますよ? それはもう『夢十夜』の第一夜のように」
「ありがとう。いや、せいぜいハチ公くらいでいいんだけど」
「ハチ公も長いでしょ。市バスにしな」
「それ待ってくれないじゃん。じゃなくて」
聞くより先に、いったん池の奥まで見てみる。
でもよく分からない。
「なに? そこ橋架かってるけど、舟じゃないと行けない場所とかある感じ?」
「そんなことないですよ? 全部回廊で繋がってますし、大概の部屋は歩いて行った方が早いです」
「じゃあ何コレ」
「一見さん向けの、アトラクションみたいなものですね。さ、乗ってください」
本当に観光地のプロだった。
でも楽しませようと思って、やる側からすれば面倒なことをしてくれたワケで。
だったら私もノってくのが、客としてのマナーだと思う。
実際楽しそうではあるし。
やっぱり慣れた様子で乗り込む花恭さんに続こうとして、
いやコレ、
てことは、舟が使えるくらいには深い池ってことだよね。
「どうしました?」
「いや、まぁ」
落ちたらエラいことだ。
しかも舟は、花恭さんが乗り込んだ振動でゆらゆらしている。
「どしたの小春さん、怖いの?」
「いや! まぁ、いや、ね?」
この男!
煽るようなニヤニヤのせいで反射的に否定したけど。
そのあとうまく嘘が続かない。
曖昧な返事が出るばかり。
お父さん、お母さん、小春は正直な人間に育ちました。
というわけで、恐怖にも素直でいると、
「しょうがないなぁ。ぺこちゃん」
「はい」
一族二人、何やら頷き合った
と思った瞬間、
「はぁい、六根清〜〜浄〜〜!」
急に花鹿ちゃんが掛け声? とともに両腕を突き出す。
すると、
いつ見ても引くくらいびっちり巻かれたバンデージが、
はらりと独りでに解ける。
結びが甘かったのかな?
と思う間もなく、
「えっ?」
包帯がゆらっと動いたかと思うと、
「うわわわっ!?」
急に体に絡み付いてくる。
何事っ!?
昔活きのよすぎるタコを仕入れて、まな板の上で逆襲されたことがある。
でもその比にならないくらいの速度と、
「うおおお!!」
パワー。
「はいちょっと失礼〜」
腰と両脇両肩へ、支えるように巻き付いて
体を軽々と持ち上げる包帯。
口ぶりからして、花鹿ちゃんがやってるの?
「ちょちょっ! 何コレ! 説明!」
「その包帯、内側にお経がびっしり書かれてるんだ。だから術者の思うとおりに動きをコントロールできるんだね」
「そういうのじゃなくて!」
「どういうのだよ」
花恭さんは呆れた様子で私を見上げてるけど。
『How』とか『What』じゃなくて『Why』なんだよ。
人の切実な思いを無視して、
「暴れない暴れない」
花鹿ちゃんは包帯を操作し、
「下ろしますねー」
私を舟の上に乗せた。
まさか乗るのを躊躇してたからこんなことを!?
「あーあ、小春さんが怖がりだから、ぺこちゃんの手ぇ煩わせて」
「大丈夫! お姉ちゃんに任せてくれたら、なんにも怖くないからね!」
「普通に乗り込むよりよっぽど怖かったよ!」
コイツら!
正座させて説教したいところだけど、
真面目に従うタイプなら、最初からこんな暴挙しない。
「じゃ、出航しますね〜」
くるりと私に背を向けて、船を漕ぎ出してしまう。
こうなったらもう黙るしかないか。
向こうも善意ではあったし、ここは年上としての度量だ。
さっき16歳が『お姉ちゃんに任せて』とかほざいてたけど。
「このまま私のフロアまで直行しますね」
部屋じゃなくてフロアなのね。
規模が金持ち。
まぁこれだけ広いとね。
って池の中、ギッ、ギッ、と音を立てて舟は進んでいく。
人工池に波はない。
だから揺れも小さいし、振り落とされることはなさそうだけど、
ちょっと覗いてみたら、大きな鯉たちが悠々と泳いでいる。
もし花橋家の人々が花倉と同じ規模だったら、下手したら鯉の方が人口(?)多くなる。
逆に言えば、それだけの鯉が快適に過ごせる環境ってこと。
鯉は見えるけど水底は見えない。
「やっぱ相当深そうだね」
「長い歴史の中で『失恋した女中が身投げした』って話が伝わるくらいには。ご注意を」
「ひえっ」
「昔『これだけ広いんだったら鰻の生簀にしようよ』って言ったら、エラい怒られた」
「花恭さんって基本すごいバカでしょ」
「なんだと」
また本当のことを言ってしまった。迂闊。
事実陳列罪になっていると、
「あら、花鹿ちゃん」
細長い舟で、急に右から声がした。
反射的にそっちへ振り返ると、
「お客さま?」
時代劇で見るような、無駄に長い渡り廊下。
そこに、
着物を着た妙齢の女性が立っている。
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