決戦有明ジャンクション
大ジャンプのあとの着地で少し間が空いたのか。
人面犬がそのまま車を抜き去っていく、なんてことにはまだなってない。
でもだいぶ距離を詰められた!
もうほぼ並走だよ!?
事故らないようにってスピード控えめで運転してたけど。
いっそアクセルベタ踏みの方がいいかもしれない。
でもソレだと壁に突っ込んだときがより悲惨に……
アレコレ悩んでしまう私に、
「そのままでいいよ」
「え?」
花恭さんの、優しく言い聞かせるような声がした。
「僕がなんとかするから、任せて」
なんかの術かな。落ち着く声。
「ただ、その代わり
真っ直ぐ走っといてね?」
そう言い残して彼は、傘から仕込み刀を抜き出し、
「よいせ」
「ちょっ!?」
助手席の窓から、車の上へスルリと上っていく。
何してんの!?
頭上からボン、と音と振動がする。
まさか、時速60キロの車の上で、仁王立ちしてるんじゃないよね!?
でもそのまさかかもしれない。
少なくともイメージじゃそう浮かぶような、威勢のいい啖呵が聞こえる。
「さぁ来いワン公! 所詮オマエは相手を抜かさないと何もできない走り屋だ! つまり!」
窓からコンコン、と音がする。
横目で見ると、仕込み刀がガラスをノックしている。
『開けて』ってことね。
「ガラスに傷付いたら、弁償だからね!」
窓ガラスを下ろしきると同時、
『バウッ!』
夜風に混じって、凶暴な犬の鳴き声が聞こえる。
直後、サイドミラーの中の人面犬が
跳んだ。
今度こそ私たちを追い抜くために。
マズい!
さっきの飛距離を考えるとじゅうぶんだ!
警告灯まみれのカーブも近い!
事故る!
そう思った瞬間、
ダン! と
ガラスを下げた窓枠に、
草鞋の足が力強く踏み込む。
花恭さんだ!
全身は見えないけど、視界の端で
プロ野球中継で見るような光景だった。
横から見た、ボールとスイングの軌道がよく見えるアングル。
その映像みたいに。
人面犬が横から追い越していこうとする刹那、
仕込み刀が高速道路の照明を反射して、
掬い上げるような動きで、人面と犬を分断した。
「わあっ!」
一瞬血が飛んだ。
けれど高速で走る車。
車内に入ってこずに、一瞬遅れて後部座席の窓で音を立てる。
じゃあ血以外は。
胴体はほんの一瞬、慣性かな、時が止まったみたいにその場でグラ付くと
素早く花恭さんの左手が伸びてきて、尻尾をガシッとつかむ。
そうだった、コレ、あの人の主食だもんね。
一方頭の方はというと、
サイドミラーの中、強烈な照明に照らされて
遥か後方にゴロゴロ転がっていくのが見え
なくなった。
後続車両がいないことを祈ります。
なんて余裕が生まれるころには、
「よっと」
花恭さんが助手席の窓から車内へ戻ってきて、
「あなたもあなたで、妖怪みたいな動きしますね」
「なんだってぇ」
車の速度は時速34キロ。
好きなようにスピードを落としつつ、
何事もなくカーブを曲がった。
「まさか、ジェットババアじゃなくて人面犬だったとは」
帰りの車内。
私たちは感想戦へと移行していた。
今回もうまいこと怪異を討てて興奮している。
同時に、緊張の糸が切れてもいる。
頭が熱いんだか眠いんだか分からない。
だから少しでも頭を働かせて起きるべく、会話をしているってわけ。
せっかく元凶を仕留めたのに、そのあと居眠りで事故るのは冗談にも質が悪い。
「大西さんの娘さんメモに書いてあってね。
『なるほど、この地域だとこういう扱いなんだな。コレはあり得る』
って」
「まさにさまさまなんですね」
「うん。それで会えるのが運みたいな相手でも、こっちなら釣れるかも、ってね」
感想戦をしてるのは、眠気覚ましだけじゃない。
まだ分からない部分、気になる部分もあるから。
「その『釣る』っていうのは、あの香水みたいなのですよね? 車に吹き掛けてた」
「そだよー」
「『用意するモノがある』っていうのもアレでしょ? いったいなんなんです?」
「コレはねぇ」
花恭さんはまた懐から瓶を取り出す。
「シベットさ」
「シベットってあの、香料の?」
「そう。香水やらの素材になるアレ。コレはジャコウネコから採れる分泌物をチンキにしたヤツ」
「どんな匂いするんですか? 話だけ聞いてると獣臭そうですけど」
「極めて臭いよ?」
「えぇ……」
「すっごい薄めるといい匂いになる。香りの世界は奥が深い」
花恭さんはしみじみ語りつつ、ドリンクホルダーに瓶を置く。
うーん、着流しだけど香道とかやってそうな雰囲気だけはないなぁ。
それはそうと、そんな劇物を置かないでいただきたい。
「で、どんな匂いなんです?」
「精いっぱい上品に言えば、動物の排泄物みたいな」
「全然上品になってない! なんてモノ人の車に掛けてんの!」
予想以上にアウト!
よくそんなの薄めてまで香料にしようとするね人類!
まぁ牛フンからバニラ香料と同じもの作った人もいるくらいだし。
「でもこの匂いが大事だったんだよ?」
花恭さんはイタズラっぽくニヤニヤしている。
「なんでですかどこがですか」
「娘さんノートに書いてあったんだ。
『人面犬:路地裏のゴミ箱を漁っている犬をよく見たら人間の顔。声を掛けると「ほっといてくれ」と言われる。
深夜の高速道路に現れて、追い抜かれると事故を起こす』」
前半の方は私も聞いたことがある。
メインというか、有名なエピソードだと思う。
「コレ見て思ったんだ。
『ゴミ箱ってコイツ、頭人間だけど生態は犬よりだな』
って」
「確かに」
「てことでコレだ。犬という生き物は刺激の強い匂いを好む。なおかつ、かつては狩猟動物だった本能を刺激するものも好む」
彼は後部座席へ目を向ける。
布に包まれて見えなくなってるけど、回収した犬部分が置いてある。
「排泄物は狩りをするうえで、
『このあたりに獲物が生息している』
ってのを示すサインだ。縄張りのマーキングに使う種族もいる。
なんだったら一番敏感に反応する匂いまである」
「それで釣られたってことですか」
「世界にはミンクの匂いを追って犬が飛び降りする橋もあるって話だよ」
花恭さんは目を閉じて深く頷く。
目論見どおりにことが運んで大満足なんだろうね。
あまりにもドヤ顔だから、ちょっとちょっかい掛けてみる。
「でも花恭さん。アレって食べられるんですか?」
「なんだい急に」
言われている意味が分からない、って感じの表情。
「だって花恭さんに言わせれば、都市伝説と妖怪は違うんでしょ? だったら食べられないとか、食べても妖力がないとかあるんじゃないかって」
すると彼は首を左右へ。
「分かってないなぁ。『妖怪として成立してないことが多い』って話だ」
「それで最初ジェットババアに乗り気じゃなかったんでしたっけ。でもそれだと、『歴史浅い』なんて言っちゃって、ちゃんと妖怪になってるじゃないですか」
まぁ私としても低レベルなおちょくり。
『うるさいなもう』くらいで片付くでしょ
なんて思ってたら、
「どうだろうね?」
「へ?」
意外に明るい、笑い混じりが返ってくる。
「江戸時代にはもう記述があったそうだからねぇ。人面犬は伝統ある妖怪だよ」
「えぇ……」
妖怪、奥が深い(?)。
お読みくださり、誠にありがとうございます。
少しでも続きが気になったりドキドキしていただけたら、
☆評価、ブックマーク、『いいね』などを
よろしくお願いいたします。