ブーダン・ノワールな昔話
「ブータン?」
花恭さんは知らないみたい。
「それは国の名前。ブーダン」
「ノワールってことは、フランス料理かな?」
「はい。でもフランスに限った料理じゃなくて、花恭さんもよく知ってるのですよ」
「ふーん」
「まず最初に、ミンチをボウルに出します」
「ほうほう」
花恭さんはカウンターを挟んで頷く。
思えば、目の前で妖怪料理をするのは初めてかも。
「せっかくだから一緒にやります?」
「見てる」
「つれない」
気を取り直して
「そこに塩コショウ、ラード、タマネギのみじん切り。スパイスはお好みで、今回はバジル、クローブ、おろしたレモンの皮少々」
「いろいろ入れるんだね」
「でもほとんどクローブと相性がいいのだから、味は散らかりません。最後に」
ここで調理台の棚から取り出したるは、瓶入りの
「吸血鬼の灰」
「ほう」
「あと氷」
「氷?」
「低温でやらないと、肉と脂が分離して仕上がりが悪くなるんです。これらをよぉく混ぜる」
簡単な作業だけど、やっぱり手伝ってくれない。
オマエが食べるものなんだぞ。
という恨みがましさは隠してミンチをこねる。
全体がよく混ざったら、
「ハンバーグみたいに叩いて空気抜いて。そしてコレ」
取り出したるは、例の白い長いゴムみたいなヤツ。
「あぁ、あのコンドー」
「豚の小腸です」
それ以上いけない。
でも古代の人は実際に、動物の腸をそういう使い方してたらしい。
でも花恭さんは引きずることなく、あっさり話題を変えてくれる。
「てことはアレか。腸詰め、ソーセージか」
「はい。ブーダン・ノワールは豚の血液を使ったソーセージなんです」
「へぇ〜、けったいな」
「ところがそうでもないんです」
腸にミンチを詰めると、人差し指代わりに立てる。
「実はヨーロッパを中心に、『ブラッド・ソーセージ』は各国で食べられています。
イギリスのブラック・プディング、ドイツのブルート・ヴルスト。私は昔おじいちゃんが買ってきた、スペインのを食べました」
「バリエーションも経験も豊富なんだね」
花恭さんはわりと蘊蓄を聞いてくれるタイプみたい。
「ブーダン・ノワールで重要なのが、血とニンニクの風味です。今回の灰はその両方が強烈に付いてるから、うってつけってわけ」
「なぁるほどぉ」
まぁ花恭さんも妖怪の蘊蓄多いしね。
そういう話が好きなんだろう。
「実はアジア、日本にも存在するらしいですよ」
「へぇー」
とはいえ、無限に語れる料理でもない。
ミンチを詰め終わるまで時間が掛かるので、少し持て余してしまう。
普段なら黙々とやってればいいんだけど、人がいると沈黙が気まずい。
なので
「あの」
「なんだい?」
テレビをつけようとした花恭さんに声を掛ける。
なぜそれを改まって述べるのかといえば、
結構覚悟がいったから。
「ひとつ、聞いてもいいですか?」
「ものによるかな」
「どうしてあんな、ぬらりひょんにこだわってるんですか?」
瞬間、花恭さんの体が止まった。
いや、動いてなかったんだけど、
何かが止まった。
纏う空気が凍った、とでもいうのかな。
でもここで引っ込むのもおかしい。
「まえ、言ってましたよね。『ぬらりひょんを狙ってる』って。
で、一昨日の吸血鬼尋問してるときも、尋常じゃない怒り方でした。
あれ、吸血鬼に対してじゃないですよね?
今までも人をたくさん殺した妖怪に会ってるけど、あんなに態度に出さなかった。
話題に出てた、ぬらりひょんの方が引っ掛かってるんですよね?」
彼が相槌すら打たないから。
私は一気に話してしまった。
花恭さんはというと。
体はテレビの方を向いたまま、首だけがゆっくり私の方へ。
少しアゴを引いているから、少し影が掛かった目元は
「そんなこと聞いて、どうするの」
平坦な声、平坦な口。
「そ、それは」
「嫌いな食べ物の理由聞くのとは、ワケが違うよ?」
明らかに『踏み込むな』という圧が掛けられてる。
おとなしく引き下がった方がいいかもしれない。
でも、
「私はこれでも、花恭さんのパートナーとしてやらせてもらってる、と、思ってます」
それより正直に、ちゃんとした理由を持ってぶつかるべき。
そう思った。
「だから知っておくべき、いずれは知らなきゃならないことだ、と思うんです」
内心目が怖かったけど、逸らさずに言い切ると
「ふーん」
花恭さんの方から外す。
「だったら話してもいいけどね」
また少し雰囲気が変わった。
さっきまでの冷たく怖いものとは違う、
静かで寂しく、少し悲しげな佇まい。
「早く食べたいから、手は止めないで聞いてね?」
「はい」
「そうだなぁ、簡潔にまとめると」
彼は鼻からため息をつく。
目線は沈黙したテレビの真っ暗な画面。
だけど、目の前には別のもの、遠い記憶が浮かんでいるんだろう。
「京都には平安末期から続く、退魔士の家がある。ちょうど武士が鬼退治より、政治や人間同士の戦争をするようなったころだ。
本家花形、花島、花積、花染、なんやらかんやら。
まぁみんな『花』が付く、花の一族なんだけどね。
そのなかでも、僕の両親の代の花瀬は、当代一の実力だった。
妖怪も同業者も含めて誰にも負けない。
妖怪を討った数も筆頭の、誉れある人らだった」
だが、『人だった』。
全ては過去形。
「それがよくなかったんだろうな。
僕が中学生のころだ。
ある夜二人は家でゆっくりしとるところを、徒党を組んだ妖怪どもに襲われて死んだ。
別種でつるむなんてほぼない連中が、百鬼夜行かって感じで来てね。多勢に無勢だったらしい。
僕は出掛けてて、ちょうど引き上げていく連中が遠くに見えた」
彼は頬杖を突き、足を組む。
じっと座っていられないんだね。
腸詰め作業はもう終わっていたけど。
いたたまれなくてボイルの工程に入る。
自分で聞いたのにね。
「その音頭を執ってたのが、ぬらりひょんだ。
ヤツには『妖怪の総大将』っていう伝承がある。
個々では勝てないと判断して、その力でかき集めてきたわけだ」
今度は私が相槌を打てない。
付け合わせのソテー用に、リンゴの皮を剥くくらいしかできない。
「だからウチはアイツを追ってる。仇だからね。
妖怪を狩るのも、食べるためだけじゃない。
アイツの配下を全員殺してやれば、いずれはアイツにたどり着く。
そのときようやく僕とぬらりひょんの、花瀬と妖怪の因縁が終わる」
そこまで語って。
きっと私が、情けない顔をしてたんだろう。
花恭さんはジョークめかして笑う。
「ちなみに僕が妖怪を食べるようなったのも、そのときからさ。
僕が慌てて家に入るとね。1匹だけ小鬼が残ってたんだ。
ソイツ、両親の死体を食べてた。
取るに足らない雑魚がよくやる、おこぼれ拾いだ。
それ見て、めちゃめちゃ腹が立って。
『なんで人間ばかりが、一方的に食われなきゃいけないんだ』
てね。
それで『調子乗んな!』って感じでソイツに噛み付いたんだ。
そしたらなんか、体質変わって。今に至る」
「……そうですか」
『妖怪からしか栄養を摂取できない』なんて冗談みたいな話も。
先天的でも、なりたくてなったわけでもないみたい。
彼が背負った、いまだ消えない心の傷を突き付ける、
『食べる』っていう、人が生きるうえで欠かせない行為に付いた、
花瀬花恭の人生の、根本に刻まれた呪いだ。
でも、だからこそ。
「じゃあ、私のしてることは、意味がありますよね?」
褒められたくて言ったんじゃない。
そこに少しでも寄り添いたくて、
『一人じゃないよ』って言いたくて。
すると花恭さんはようやく
「もちろん。ホントに助かってるよ? だから、
ご飯まだ?」
明るく笑ってみせた。
「はいどうぞ」
時間的にちょうどいいはず。
茹で上がったブーダン・ノワールを皿に取り、粒マスタードを添えて差し出す。
「ほー、ツヤツヤでいいね! いただきます」
花恭さんはパリッと、小気味よい皮の音を立ててかぶり付くと
「思ったより『スパイスの効いた普通のソーセージ』って感じだね。おいしい。
でもやっぱり血の料理だな。
少ぉし苦い」
私に向かって、また笑い掛ける。
リンゴのソテーは甘めにしようと思った。
ケダモノで化け物 完
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